13領地の地図をつくろう
第十三章 領地の地図をつくろう
どろちゃんは子爵家の娘です。
空を飛び、手紙を届け、お母様をおじいさまのお見舞いへ連れて行く、ごく普通の十五歳の女の子です。
ただ一つ普通でなかったのは――
今日、どろちゃんは、領地を高度一万五千メートルから写真に撮ろうとしていたのです。
◇ ◇ ◇
お母様と男爵領から帰った翌日。
どろちゃんは、書斎の大きな机へ三枚の地図を広げました。
一枚目は、子爵領の古い地図です。
町、村、街道、橋、川、森が描かれています。
二枚目は、税を集めるための地図です。
畑と牧草地の区画、持ち主、耕している家の名前が細かく書かれています。
三枚目は、どろちゃんが男爵領へ飛ぶために作った地図です。
川の合流点。
二本塔の町。
長い森。
白い丘。
空から見つけやすい目印が並んでいます。
どれも役に立つ地図でした。
ただし、三枚を重ねると、川の曲がる場所が少し違いました。
森の端も違いました。
同じ村が、別の場所に描かれているところもあります。
「どれが合ってるんだ」
お父様が三枚を見比べました。
「それを調べたいの」
「村は動いてないぞ」
「地図の中では動いてるよ」
村は動いていません。
地図を作った人たちが、別々の場所へ描いただけです。
地上を歩くためなら、街道と橋がつながっていれば大きな問題になりません。
税を集めるなら、畑の持ち主が分かれば使えます。
けれど、空を飛ぶには、川の曲がり、森の端、丘の高さ、草地の長さが、なるべく正確でなければなりません。
「作り直してみる」
「またみんなで測るのか」
「地上からも測るけど、先に空から写真を撮るの」
「小鳥ちゃんで?」
「うん」
お父様は、地図を見ました。
次に、どろちゃんを見ました。
それから天井を見ました。
どろちゃんの部屋へ大きな箱が来るとき、天井を見ても何も分かりません。
しかし、見たくなることはあります。
◇ ◇ ◇
その夜。
どろちゃんの寝室には、大きな箱がありました。
扉より幅がありました。
窓から入る大きさでもありません。
神様から届く箱は、入口の寸法を測らずに部屋へ入ることがあります。
箱の側面には、見慣れない文字が書かれていました。
航空写真機。
交換式フィルムカセット。
距離間隔撮影装置。
防振架台。
密閉式写真バッグ。
現像器具。
焼付け器。
引き伸ばし機。
立体めがね。
ルーペ。
そして、たくさんの説明書です。
「今度は何の箱?」
お母様が説明書を一枚取りました。
「写真を撮るものと、地図を作る道具」
「全部ここに入っていたの?」
「うん。まだ下にもあるよ」
「それなら大きいはずね」
箱の大きさと、中身の量には、少し関係がありました。
全部の関係は、誰にも分かりませんでした。
写真機そのものは、人が手に持つカメラより大きく、重いものでした。
真下を撮る広角寄りのレンズ。
大きなフィルムを収めるカセット。
短い時間だけ開く高速シャッター。
何枚撮ったかを表示する計数器。
飛んだ距離に合わせて、次のシャッターを切る装置。
それらが、流線形の外殻にまとめられています。
写真を入れて運ぶ鞄ではありません。
写真を撮って帰ってくる鞄です。
名前は、写真バッグになりました。
――小鳥へ載せる。
頭の中で、技師さんが言いました。
――タドポールではないの?
――まず広域を撮る。高度が要る。
――画角は六十度。
――対地高度一万五千。直下の写幅、約十七キロメートル。
――一コマで二十キロ弱ですね。
――重複を取る。距離間隔で作動。
――ロケット燃焼中は撮るな。振動が大きい。
――四本を使い切って高度と速度を取る。
――撮影後は滑空帰投。
技師さんたちは、箱の中身を見る前から使い方を知っていました。
説明書を書いた側の人たちが混じっているのですから、たいへん便利です。
◇ ◇ ◇
翌朝から、地上の準備が始まりました。
空から写真を撮っても、写真の中でどこがどこか分からなければ、正確な地図にはなりません。
そこで、領地の中へ基準点を置きます。
子爵家の屋敷の中庭。
川に架かる大きな石橋の両端。
町の教会塔のそば。
北の丘の頂上。
領境に近い街道の分岐。
南の牧草地の井戸。
それぞれの場所へ、白い板を十字形に並べました。
高いところから見ても分かる大きさです。
「なぜ十字なのですか」
領兵さんが尋ねました。
「丸だと、干してある布や石灰をまいた場所と区別しにくいから」
「十字なら、神聖な印にも見えますな」
「写真の真ん中を測りやすい印です」
大切な印ですが、拝むためではありません。
測量係は、測量鎖、方位盤、水準器を使って、基準点どうしの距離と高さを測りました。
村の人たちは、自分たちの村がどの写真へ入るのか気にしました。
「うちの畑も写るのかね」
「写ります」
「屋根の穴も?」
「大きければ」
その日のうちに屋根を直し始めた家が、何軒かありました。
写真測量は、領地の建物を少しだけ丈夫にしました。
お父様は、各村の代表、猟師、御者、川船の船頭も呼びました。
地図にない小道。
雨のときだけ水が流れる谷。
冬にぬかるむ場所。
春に川があふれる草地。
地上で暮らす人しか知らないことを、大きな地図の余白へ書き込みます。
どろちゃんは、その話を一つずつ聞きました。
ロシアで学校へ通っていたころ、地理の授業で地図を読みました。
縮尺。
等高線。
緯度と経度。
地形図。
地図投影。
写真から土地の形を読む方法も、技師さんたちの話や本で見ています。
けれど、子爵領のどの小川が夏に干上がるかは、学校では教わりませんでした。
近代教育は、何を調べればよいかを教えてくれます。
領民は、その土地で何が起きるかを教えてくれます。
領主の娘には、どちらも必要でした。
◇ ◇ ◇
小鳥ちゃん用の発進設備は、伯爵領で作り始めたものと同じ図面を使い、子爵領でも準備されていました。
長い発進レール。
機体を載せるスレッド。
門型クレーン。
写真バッグは、小鳥ちゃんの胴体下、重心に近い場所へ取り付けます。
レンズは真下を向きます。
前後左右へ傾かないよう、取り付け面を水準器で確認しました。
光学窓には、曇りと着霜を防ぐ仕組みがあります。
高度一万五千メートルでは、外はたいへん冷たくなります。
小鳥ちゃんの操縦席は、もともと与圧されています。
どろちゃんは高い空でも、いつもどおり呼吸できます。
今回、特別に守らなければならないのは、写真バッグの窓とフィルムでした。
ロケットは四本です。
左右一対ずつ、二組。
最初の一組で、発進と初期上昇。
次の一組で、高度と速度をさらに稼ぎます。
四本とも、撮影前に使い切ります。
「四本とも使うの?」
お母様がロケットを見ました。
「うん」
「帰りは?」
「滑って帰るよ。高いところまで上がるから」
「ちゃんと、ここまで届くのね」
「風も見てから飛ぶよ」
高さは、ただ地面から離れている量ではありません。
グライダーにとっては、帰れる距離の蓄えです。
小鳥ちゃんは、翼を後ろへたたんだ高速の形で、発進スレッドへ載せられました。
『今日は、写真屋さんなのね』
「広いところを撮ってね。細かいところは、あとでタドポール君と撮ります」
『子爵領は何枚くらい?』
「中央の二枚にほとんど入ると思う。でも、全域を立体にするには、前と後ろを足して四枚」
『そのあとは?』
「お姉様の領地へ続くところも撮っておきたいの」
『では、写るところまで撮るわ』
小鳥ちゃんは、たいへん素直でした。
◇ ◇ ◇
発進の日。
空には高い雲が少しあるだけでした。
子爵領の上には、撮影を邪魔する低い雲がありません。
地上の白い十字も確認できました。
どろちゃんは、撮影経路を最後に見直します。
撮影線は、子爵領へ入る少し手前から始まります。
そこから領地の長い方向を横切り、お姉様の伯爵領へ続く川と街道の方向へ伸びています。
写真一枚の幅は、約十七キロメートル。
子爵領そのものは、中央の二枚へほとんど収まります。
けれど、二枚だけでは領境に近い部分を立体的に見られません。
領地へ入る前に一枚。
領地の上で二枚。
領地を出たあとに一枚。
この四枚を六割ほどずつ重ねれば、子爵領の全域が、どこかの二枚へ重なって写ります。
撮影は、四枚で終わりません。
小鳥ちゃんは減速しながら、そのままお姉様の領地の方向へ撮り続けます。
一枚ごとの撮影間隔は、時間ではなく距離で決めます。
速度は、撮影中にも変わるからです。
小鳥ちゃんは、最大で対地速度およそ時速千五百キロメートル。
そのままでは、同じ距離を十数秒で通り過ぎます。
速度が時速五百キロメートルまで落ちれば、次の一枚まで、もっと長く待ちます。
写真バッグは、秒を数えません。
地面の上を進んだ距離を数えます。
約七キロメートル進むごとに、シャッターを切ります。
どろちゃんは与圧扉を閉じました。
革帯を締めます。
計器を確認します。
翼の後退角。
ロケットの点火回路。
写真バッグの作動表示。
フィルム残数。
高度計。
速度計。
方位。
――発進線上、異物なし。
――スレッド固定、解除準備。
――写真バッグ、安全位置。
――第一組、点火。
技師さんたちの声が硬くなりました。
実際の発進中だからです。
左右のロケットが同時に火を噴きました。
発進スレッドがレールの上を走ります。
音が、地面と格納庫へ跳ね返りました。
小鳥ちゃんの身体が細かく震えます。
写真バッグの作動表示は、まだ赤です。
撮影禁止。
レールの終端で、小鳥ちゃんが空へ出ました。
スレッドは地上へ残ります。
小鳥ちゃんは高速の形のまま、急角度で上昇しました。
町が小さくなります。
川が細い銀色の線になります。
丘が、地図に描かれた盛り上がりに近づいていきます。
最初の二本が燃え尽きました。
音が急に減ります。
しかし、すぐには静かになりません。
翼と胴体には、まだ振動が残っています。
どろちゃんは、二組目の点火まで少し待ちました。
姿勢を整えます。
『二組目、使えるわ』
――高度、確認。
――針路、確認。
――第二組、点火。
もう二本のロケットが火を噴きました。
小鳥ちゃんはさらに高く、速くなりました。
一万メートル。
一万二千メートル。
一万四千メートル。
やがて、高度計が一万五千メートルの近くを示します。
速度は、対地で時速千五百キロメートル近くありました。
四本目の火が消えました。
ロケットの白い煙が、後ろへ離れていきます。
撮影は、まだ始めません。
『まだ揺れているわ』
「うん。落ち着いてから」
小鳥ちゃんは機首を水平へ近づけました。
翼は深く後退しています。
燃焼の振動が消えていきます。
ロケットを切り離したあとの小さな姿勢変化も収まりました。
写真バッグの表示が、赤から緑へ変わります。
撮影可能。
下には、子爵領へ続く川と街道が見えていました。
『撮影線へ入るわ』
「翼を水平に。高さを保って」
『ええ』
小鳥ちゃんは、領境の手前に置いた最初の白い十字を、機体の真下へ合わせました。
写真バッグが、一枚目を撮りました。
カシャリ。
操縦席には聞こえないほど小さな音です。
表示器に、一という数字が出ました。
一枚目は、子爵領へ入る前の写真です。
同時に、ロケットの振動が完全に消えたことを確かめる写真でもありました。
七キロメートルほど進みます。
二枚目。
子爵領の手前側から、屋敷のある中央部までが入りました。
さらに七キロメートル。
三枚目。
屋敷の周りから、反対側の領境までが入りました。
もう七キロメートル進んで、四枚目。
子爵領を出た先の川と森までが写りました。
子爵領そのものは、二枚目と三枚目へほとんど収まっています。
一枚目と四枚目を加えると、領地の端まで必ず隣の写真と重なります。
これで、子爵領の全域を立体的に見るための四枚がそろいました。
けれど、写真バッグは止まりません。
小鳥ちゃんは、速度が落ちるのに合わせて、主翼を少しずつ前へ開きました。
深く後退した翼が、ゆっくり横へ広がります。
有効な翼幅が増え、低い速度でも揚力を作りやすくなります。
機首は、ほとんど上がりません。
高度も、ほとんど変わりません。
完全に同じ姿勢ではありません。
けれど、写真の向きが大きく変わるほどではありません。
小鳥ちゃん自身が、細かなトリムを調整していました。
『次の一枚まで、少し長くなったわ』
「速度が落ちているからね」
写真バッグは時間ではなく、距離を待っています。
五枚目。
六枚目。
子爵領の外へ出ても、川は続いています。
街道も、森も、領境の線で切れてはいません。
七枚目。
八枚目。
地上の町と村が、少しずつ後ろへ移っていきます。
写真の中では、同じ川が何度も続きました。
同じ森も、位置を変えて写ります。
重なっていることが大切です。
一枚だけなら平らな写真です。
少し離れた二枚があれば、人の左右の目と同じように、丘と谷を立体的に見られます。
速度が時速千キロメートルを下回りました。
小鳥ちゃんの翼は、さらに前へ開きます。
十枚目。
十一枚目。
高い雲の影が、一枚の端へ少し入りました。
どろちゃんは、その番号を記録しました。
写真は、撮るだけで終わりません。
どの一枚に何があったか、あとで分かるようにすることも仕事です。
その先に、見覚えのある大きな川が現れました。
レーィカちゃんが越えた川です。
続く写真には、お姉様の町が入りました。
丘の上の屋敷も、小さく写っています。
『お姉様のところまで来たわ』
「うん。もう少しだけ」
最後の数枚には、お姉様の領地と、子爵領からそこまで続く地形が重なって写りました。
速度が時速五百キロメートル近くまで落ちました。
小鳥ちゃんの翼は、滑空に向いた形へ近づいています。
写真バッグは、最後の一枚を撮りました。
『これで、予定した範囲は入ったわ』
「撮影終了。帰ろう」
写真バッグの表示が、再び赤へ変わりました。
今度は故障ではありません。
任務終了です。
◇ ◇ ◇
ロケットは、もう一本も残っていません。
けれど、小鳥ちゃんは高度一万五千メートル近くにいます。
翼をさらに前へ開き、最良滑空に近い速度へ移ります。
撮影中は、写真の向きをそろえるため、高度を保って飛びました。
帰りは、その高さを少しずつ使います。
一万五千メートル。
一万四千メートル。
一万三千メートル。
高度が減るたびに、帰る距離が増えていきます。
『静かになったわね』
「ロケットを全部使ったからね」
『写真も撮り終わったし、あとは帰るだけだわ』
小鳥ちゃんは、大きくゆるやかに旋回しました。
急な旋回はしません。
高度は帰るための蓄えです。
余分に失わないよう、滑らかに方向を変えます。
下では、さきほど写真に撮った川が流れています。
写真の中では、一本の線です。
実際には、船が行き来し、魚が泳ぎ、岸で洗濯をしている人がいます。
森は、写真では濃い緑の面です。
実際には、猟師の道があり、薪を集める場所があり、春に花の咲く空き地があります。
写真は、何でも見せてくれるわけではありません。
けれど、地上からは一度に見られない形を見せてくれます。
小鳥ちゃんは、滑空だけで子爵領の発進場へ戻りました。
高度を十分に残して一度上空を通り、風を確認します。
次に大きく回り、着陸進入へ入りました。
可変後退翼は、すっかり前へ開いています。
高速で領地を撮った飛行機が、最後は静かなグライダーになりました。
主輪が草へ触れます。
少し走り、止まりました。
地上では、お父様、お母様、測量係、職人さんたちが待っています。
お母様が先に近づいてきました。
「撮れた?」
「うん。お姉様のところまで」
「そんなに先まで?」
「まだ速かったから、そのまま撮ったの」
お父様は写真バッグを見ました。
「中に入ってるんだな」
「まだ開けちゃだめだよ」
「触らない」
飛行は終わりました。
地図作りは、まだ始まったばかりでした。
◇ ◇ ◇
写真バッグは、そのまま明るい部屋で開けてはいけません。
フィルムを光へ当てれば、せっかく写した土地が全部白くなります。
屋敷の一室を暗室にしました。
窓を厚い布でふさぎます。
扉の隙間もふさぎます。
赤い安全灯だけを点けます。
「入っていいか」
扉の外から、お父様の声がしました。
「いいよ。後ろをちゃんと閉めてね」
お父様が入りました。
「赤いな」
「暗室だから」
「見ていてもいいのか」
「いいけど、しばらく何も見えないよ」
「では、ここにいる」
お父様は壁際の椅子へ座りました。
少しして、扉の向こうからお母様の声がしました。
「お茶を置いておくわね」
「あとで飲む」
「お父様の分もあるわよ」
「ここでは飲めないのか」
「薬品のそばではだめ」
「分かった」
お父様は、また椅子へ戻りました。
どろちゃんはフィルムカセットを外し、撮影順を崩さないよう、一枚ずつ現像器へ送りました。
現像。
停止。
定着。
水洗。
乾燥。
薬品の温度と時間を守ります。
頭の中の技師さんたちは、飛行中ほど硬くありません。
――攪拌を忘れない。
――温度、少し低いね。
――急がなくていい。
――番号を先に書いておこう。
どろちゃんは、フィルムの端へ番号を付けました。
しばらくすると、お父様が言いました。
「まだ見えないな」
「まだだよ」
「どれくらい」
「もう少し」
「さっきも、もう少しだった」
「現像は急がせられないの」
「そうか」
また静かになりました。
乾いたネガフィルムを、ルーペで見ます。
最初の一枚。
領境の手前と、最初の白い十字。
わずかに振動の影響があります。
使えないほどではありません。
二枚目。
子爵領の手前側と、屋敷のある中央部。
三枚目。
屋敷から反対側の領境まで。
四枚目。
領境の外まで続く川と森。
この四枚が、子爵領の地図を作る中心になります。
そのあとも写真は続きました。
子爵領と伯爵領の間の街道。
川沿いの町。
長い森。
最後の数枚には、お姉様の領地が写っています。
レーィカちゃんが川を越えた丘も見つかりました。
高い雲の影が入った写真は、撮影中に記録した番号と一致しました。
「見えた?」
今度は、お母様の声です。
「小さくなら。外で焼き付けるね」
二人は暗室を出ました。
廊下の机には、お茶が三人分置いてありました。
どろちゃんは一口だけ飲んで、すぐ作業へ戻りました。
「冷めるわよ」と、お母様が言いました。
「写真が先」
「写真は逃げないでしょう」
「順番があるの」
お母様は、残りのお茶を暗室から離れた机へ移しました。
どろちゃんは、まず全コマを小さく密着焼付けしました。
撮影順に並べると、子爵領からお姉様の領地まで、土地が細長く続きました。
お父様とお母様も、机の両側からのぞき込みました。
「ここがお屋敷?」
お母様が指しました。
「そこ。庭の白い点が基準の印」
「こんなに小さいのね」
「町も入ってるよ」
お父様は四枚目の先へ指を移しました。
「ここから、もう外か」
「うん。この四枚で子爵領全部」
「真ん中の二枚で入りそうね」と、お母様が言いました。
「入るよ。でも端まで立体にするから四枚」
「こちらは、お姉様の町?」
「もっと先。最後の方」
三人で写真を順番に見ていきました。
お姉様の町。
川。
丘の上の屋敷。
レーィカちゃんが飛び越えた場所。
「本当に、つながっているのね」
お母様が、最初の写真から最後の写真まで見渡しました。
地上では一日がかりの道が、机の上では一列に並んでいます。
どろちゃんは重要な写真を大きく引き伸ばしました。
一枚がおよそ二十キロメートル弱を写しています。
屋敷の庭は小さな点です。
村は屋根の集まりです。
川は細い線です。
けれど、ルーペを使えば、橋、道、森の端、畑の大きな境界が分かります。
◇ ◇ ◇
四枚のうち、隣り合う二枚を立体めがねへ入れます。
左目には一枚。
右目には、少し先で撮ったもう一枚。
どろちゃんが目の位置を合わせると、二枚の平らな写真が一つになりました。
丘が盛り上がります。
谷が沈みます。
川岸の段差が見えます。
森の高さも、周囲の草地とは違って見えます。
「お父様、見て」
「どこを見ればいい」
「まず真ん中。少し待って」
お父様は、めがねの位置を動かしました。
「見えた。丘が出てきた」
「川の左も見て」
「低くなってるな」
「そこ、雨のあと水がたまるところじゃない?」と、お母様が言いました。
「たぶん。あとで村の人にも聞く」
「私にも見せて」
お父様がお母様へ立体めがねを渡しました。
「本当ね。こちらの森も少し高いわ」
「木の高さも混じって見えるから、地面と分けて読むの」
お母様は、もう一度ゆっくり見ました。
次の組では、領地の中央部が立体になります。
さらに次の組では、反対側の領境まで見られます。
四枚を順に使うと、子爵領の全域を立体的に確かめられました。
測量係も見ました。
猟師も見ました。
猟師は、北の森に小さな谷があることを知っていました。
測量係は、その谷を古い地図へ描いていませんでした。
写真では、谷の形がはっきり見えます。
「ここは雨のあと水が出ます」と猟師が言いました。
「この下まで?」と、どろちゃんが尋ねました。
「春は、もっと下までです」
お父様も写真を見ました。
「前に馬車が止まったところだな」
「そうです。あの年は川の近くまで湿っていました」
どろちゃんは、写真の横へ書き留めました。
写真だけでは、いつ水が流れるか分かりません。
猟師の話だけでは、谷全体の形が分かりません。
二つを合わせると、使える地図になります。
どろちゃんは基準点の白い十字を写真上で探しました。
地上で測った距離と高さを使い、写真の縮尺と向きを合わせます。
レンズの端で広がった部分。
高い丘が外側へ倒れて見える部分。
機体がわずかに傾いたため、左右で縮尺が違う部分。
そのまま紙へ写してはいけません。
技師さんたちが、補正の順番を教えます。
――基準点を固定。
――中央から合わせる。
――斜め写真は、全部を無理に使わない。
――高さの差は、立体視で読む。
――写真の線と、地上測量の線が違えば、理由を確かめる。
どろちゃんは、透明な紙を写真の上へ置きました。
紙の端が、くるりと戻りました。
「また丸まった」
お母様が机の端にあった小さな重しを置きました。
「こっちはこれでいいでしょう」
「うん。お父様、そっちお願い」
「ここか」
「もう少し左」
お父様は手をずらしました。
「そこ。そのまま」
どろちゃんは、基準点を写しました。
川。
主要街道。
村。
森。
丘の稜線。
領境。
しばらくして、お父様の指が少し動きました。
「動いた」
「すまん」
「そこだけ引き直すね」
「もう動かさない」
お母様は、自分の側の重しがずれていないか確かめました。
まず、領地の骨格を写します。
小鳥ちゃんの写真は、広く見るための写真です。
畑一枚ごとの境界や、細い水路、小さな石垣までは十分に読めません。
そこで、翌日からタドポール君の出番になりました。
◇ ◇ ◇
タドポール君の後席を外し、別の航空カメラを載せました。
小鳥ちゃんより低い高度を、ゆっくり飛びます。
一つの写真へ入る範囲は狭くなります。
その代わり、畑の畝、細い水路、屋根、柵、小道まで写ります。
『ぼくは、細かい方だね』
「小鳥ちゃんは領地の骨組み。タドポール君は中身です」
『どっちが大事?』
「どっちも」
『よかった』
タドポール君は、領地の上を平行に何本も飛びました。
北から南。
少し東へずれて、南から北。
また少し東へずれて、北から南。
畑を耕す馬のように往復します。
ただし、畝の代わりに写真を残します。
撮影中は翼を水平に保ちます。
旋回は撮影線を外れてから行います。
地上班は白い十字の位置を確認し、撮影予定の草地から家畜を移しました。
何日かかけて、必要な区域を写しました。
小鳥ちゃんが撮った子爵領四コマと、伯爵領まで続く高高度写真。
タドポール君の低高度写真。
地上で測った基準点。
古い地図。
税の台帳。
村の人たちの記憶。
どろちゃんは、それらを作図机の上へ集めました。
◇ ◇ ◇
地図作りには、飛行より長い時間がかかりました。
朝から写真を見ます。
昼には村の代表へ地名を尋ねます。
午後は線を引きます。
夜には、引いた線が正しいか、もう一度写真と比べます。
お父様は仕事の途中で書斎をのぞきました。
お母様は、お茶や食事を持ってきて、そのまま写真を見ることがありました。
「まだ川?」
お父様が机の向こうから尋ねました。
「ここの曲がり方が合わないの」
お父様は古い地図を隣へ置きました。
「昔の地図は、こっちだな」
「写真はこっち」
「明日、見に行かせるか」
「うん。測量係にも見てもらう」
「分かった」
次の日、川は写真どおりの場所を流れていました。
古い地図の線が違っていたのです。
どろちゃんは、川を正しい場所へ引き直しました。
森の端は、季節によって少し変わるので、調査した年も書きます。
畑の境界には、土地の持ち主だけでなく、実際に耕している家も記録します。
丘には等高線を引きます。
急な斜面では線が近づきます。
緩い斜面では広がります。
着陸できそうな草地には、小さな印を付けました。
ただし、地図に印があっても、飛ぶ前には必ず上空から確認します。
地図は、判断を助けます。
判断そのものを代わりにするものではありません。
ある午後、お父様が立体写真の一か所を指しました。
「ここ、昔はずっとぬかるんでたぞ」
「今の牧草地?」
「そう。雨の多い年は馬車が入れなかった」
お母様も写真をのぞきました。
「あなたが車輪を取られたところでしょう」
「御者が道を外したんだ」
「あなたが近い方へ行けと言ったのよ」
「そうだったか」
「ここまで水が来た?」と、どろちゃんが尋ねました。
お母様が鉛筆の先を少し川の方へ動かしました。
「この辺りまで。春だったわね」
「うん。覚えてる」
どろちゃんは、二人の話を聞きながら薄い青色で印を付けました。
写真には、昔のぬかるみとは書いてありません。
お父様とお母様の記憶にも、正確な形までは残っていません。
写真と二人の記憶を合わせ、村の人にも確かめました。
別の日、どろちゃんは古い地図にない一本の道を見つけました。
北の村から川沿いへ抜ける、細い道です。
写真では、林の中に薄い線が続いています。
「この道、知ってる?」
どろちゃんがお父様へルーペを渡しました。
「ああ。子どものころに通った」
「今もあるの?」
「途中まではあるはずだ」
お母様が横から見ました。
「結婚したころ、一度通ったわ」
「馬車で?」
「途中から歩いたの。枝が低くて通れなかったから」
「今は、もっと草だらけかも」
「明日、村の人に聞いてみる」
お父様は、もう一度ルーペをのぞきました。
「私も行ってみる」
「仕事は?」
「朝のうちなら大丈夫だ」
翌朝、お父様は村の年寄りと一緒に林へ入りました。
道は途中まで残っていました。
先は草と低い木に埋もれていましたが、少し整備すれば、町までの距離を短くできます。
地図には、現在使われている道と、直せば使える古い道を、別の線で記しました。
森の南端には、火が出たときに延焼を止められそうな広い草地がありました。
西の丘には、タドポール君より大きな機体でも使えそうな、長い緩斜面がありました。
地図へ書くことが増えるたび、机の上の紙も増えました。
ある朝、お父様が書斎へ入ると、自分の椅子の上にも写真が置かれていました。
「私の椅子がない」
「そこ、まだ乾いてないの」
お母様も後ろから入りました。
「こちらの椅子も使っているわよ」
「ごめんなさい。今日だけ」
「昨日もそう言ってたでしょう」
お母様は笑いながら、部屋の隅の小さな椅子を二つ持ってきました。
「これで足りるわね」
お父様は小さな椅子へ座り、台帳を開きました。
お母様は乾いた写真を順番に重ねました。
どろちゃんは線を引き続けました。
しばらくは、三人とも何も話しませんでした。
紙をめくる音と、鉛筆の音だけが続きました。
正確な地図は、空を飛ぶためだけのものではありません。
道を直すため。
橋を架けるため。
洪水を避けるため。
森を守るため。
税を集めるため。
そして、領地に住む人たちが、どこで暮らしているかを知るためのものです。
夕方、お母様が作図中の地図を見ました。
「もう少し?」
「村の名前が二つと、森の線」
「夕食までに終わる?」
「森は終わると思う」
お父様が台帳を閉じました。
「名前は明日でもいいだろう」
「あと二つだけ」
「では、二つで終わりにしなさい」と、お母様が言いました。
「うん」
二つの村名を書いたあと、どろちゃんは鉛筆を置きました。
残りは、次の日です。
どろちゃんは十五歳です。
けれど、領主の娘です。
ロシアで受けた近代教育は、遠い国の記憶だけではありません。
いま暮らしている領地を、正確に知るために使えます。
頭の中の技師さんたちは、方法を教えました。
小鳥ちゃんとタドポール君は、写真を撮りました。
測量係と領民は、地上のことを教えました。
お父様は、昔の土地を覚えていました。
最後に、何を地図へ残すか決め、線を引いたのは、どろちゃんでした。
これは、どろちゃんのお仕事です。
◇ ◇ ◇
完成した地図が、書斎の大きな机へ広げられました。
川は、正しい場所を曲がっています。
森は、正しい広さです。
村と村の距離も分かります。
丘の高さも、斜面の向きも分かります。
空から見つけやすい目印もあります。
洪水の水が広がりそうな場所もあります。
着陸できそうな草地もあります。
地上から見ても、空から見ても、同じ領地になりました。
「できたよ」
どろちゃんが呼ぶと、お父様とお母様が一緒に来ました。
お父様は、まず屋敷を探しました。
お母様は、その横の庭を見つけました。
「ここね」
「うん。白い十字はもう消してあるよ」
お父様は北の林を指しました。
「古い道も入ってる」
「直せば使える道だから、線を変えたの」
お母様は川沿いの薄い青色を見ました。
「ここは、雨の多い年のところ?」
「村の人にも聞いた。だいたいここまでだって」
「私たちの記憶も、少しは役に立ったのね」
「かなり役に立ったよ」
お父様は、地図の端から端までゆっくり見ました。
「これを全部、写真から引いたのか」
「写真だけじゃないよ。測った数字と、台帳と、みんなに聞いたことも」
「そうだったな」
お母様は、地図の隅を見ました。
そこには、作った年と、使った基準点と、撮影した飛行機の名前があります。
小鳥ちゃん。
タドポール君。
そして、作図者。
どろちゃんは、こちらの世界では読めない文字で、小さく署名しました。
Доротея(ドロテーヤ)。
お父様とお母様には、神様の箱に書かれているものと同じ、読めない印に見えました。
「これも入れるのね」
「うん。作った人の印」
「そう」
村の代表たちは、自分たちの家や畑を探しました。
測量係は、古い地図との違いを書き出しました。
お父様は、最後にお姉様の領地まで続く写真を見ました。
「この先の地図も作るのか」
「お姉様が作るなら手伝うよ。写真はもうあるから」
「では、持っていかないとな」
「うん。お姉様にも見せる」
お母様は、完成した地図をもう一度見ました。
「しばらくは、この机を使えるようになるのね」
どろちゃんは、机の横に積み上がった写真を見ました。
「片づけたらね」
「今日は片づけるところまでよ」
「はあい」
小鳥ちゃんは、子爵領を四枚の重なった写真へ収めました。
その先には、お姉様の領地まで続く土地も写しました。
どろちゃんは、写真と測量と、人々の記憶を一枚の地図へまとめました。
こうして子爵領には、初めて、上から見ても地上から見ても正しい地図ができました。
そして、正確な地図ができると――
今まで誰も気づかなかった仕事まで、きちんと見つかってしまったのでした。
◇ ◇ ◇
第十三章の小さな説明
航空写真測量
航空機から地面を連続撮影し、写真に写った地形や建物を測って地図を作る方法です。
一枚の写真だけでは、地面の平面的な形は分かっても、高さを正確に読み取ることは難しくなります。そこで、少し位置を変えて撮った写真どうしを重ねます。
左右の目が少し違う位置から物を見るのと同じように、二枚の写真の差から、丘、谷、建物などを立体的に見ることができます。
画角六十度と高度一万五千メートル
写真バッグのカメラは、全画角がおよそ六十度です。
対地高度を一万五千メートルとすると、平らな地面を真下へ撮ったとき、一コマの横幅はおよそ十七・三キロメートルになります。
本文では「二十キロメートル弱」と表現しています。
実際には、地面の高さ、機体の傾き、レンズの歪みなどで、写る範囲と縮尺は場所ごとに少し変わります。
写真の重複
本章では、隣り合う写真が飛行方向へ約六割重なるよう、約七キロメートル進むごとに撮影しています。
子爵領そのものは中央の二コマへほとんど収まります。しかし、その二コマだけでは、領地の両端に一枚しか写らない部分ができます。
そこで、領地へ入る前に一コマ、出たあとに一コマを加えます。連続する四コマを使うと、子爵領の全域が少なくとも一組の重複写真に入り、全域を立体視できます。
撮影はその後も続き、子爵領からお姉様の伯爵領までの川、街道、森、町も連続写真に収めています。
重複部分があれば、二枚を使って立体視できます。また、一枚に雲の影や揺れが入っても、隣の写真で補える可能性があります。
小鳥ちゃんは撮影中に時速約千五百キロメートルから約五百キロメートルへ減速します。そのため、一定秒数ごとではなく、進んだ距離を基準にシャッターを切ります。
ロケットと撮影
ロケット燃焼中は、推力変動、機体振動、姿勢変化が大きいため、地図用写真の撮影には向きません。
小鳥ちゃんは四本のロケットを使って高度と速度を得ます。全部の燃焼が終わり、振動と姿勢変化が収まったあとで撮影を始めます。
撮影後に使うロケットは残していません。高度約一万五千メートルを帰投距離へ換え、グライダーとして滑空して戻ります。
可変後退翼
高速時には翼を後ろへたたみ、速度が下がるにつれて前へ開きます。
翼を前へ開けば、有効翼幅が増え、低い速度でも揚力を得やすくなります。そのため、時速千五百キロメートル付近から五百キロメートル付近へ減速しても、機首姿勢を大きく変えず、高度をほぼ一定に保って撮影できます。
完全に同じ迎角や姿勢ではありません。必要な小さなトリム変化は、小鳥ちゃん自身が調整しています。
基準点
航空写真だけでは、地図上の正確な位置、方角、縮尺、高さを決められません。
そこで、地上で位置関係と高さを測った点へ、空から見える白い十字を置きます。
写真の中で基準点を見つけ、地上測量の値と合わせることで、写真を地図へ結び付けます。
現像と作図
撮影したフィルムは、暗室で現像、停止、定着、水洗、乾燥します。
その後、密着焼付けで全体を確認し、必要な写真を大きく引き伸ばします。
ルーペで細部を見て、立体めがねで地形の高低を読み、基準点と照合しながら、川、道、森、村、等高線などを地図へ写します。
写真に土地の呼び名や利用方法は写りません。そのため、測量係、村人、猟師、船頭など、地上で暮らす人々の知識も必要です。
どろちゃんの仕事
本章では、どろちゃんは操縦だけを担当しているのではありません。
領主である子爵の娘として領地を把握し、ロシアで受けた近代教育と、頭の中のアントノフ技師さんたちの助言を使って、撮影資料を行政に使える地図へ仕上げます。
飛行機が写真を撮っても、写真は自動的に地図にはなりません。
何を確かめ、何を記し、どの線を公的な地図へ残すか決めるのは、人の仕事です。




