115貴族令嬢は、大きな飛行機で話し合いに行きます。 北ベトナムとの話し合い 北越南 北か南か?
第115章 貴族令嬢は、大きな飛行機で話し合いに行きます
バタヴィアへ戻った翌朝も、港ではフランス船の査定が続いていました。
帆を張り直す程度で使える船もあれば、船底や舷側を大きく直さなければ外洋へ出せない船もあります。帆柱まで交換する船になると、修理してフランスへ戻す費用だけで相当な額になり、船として直すより材木や金具を外した方がよいものまで混じっていました。
ネーデルラント側の船大工が船底を見て、フランス側の会計担当が横で数字を書きます。係留、食料、治療、倉庫、人足、応急修理と項目が増えるたび、ネーデルラントからの請求書は少しずつ厚くなっていきました。
「これ、全部直してフランスへ戻すより、ここで売った方が安いね」
どろちゃんが帳簿をのぞくと、トルシー侯も同じところを見ていました。
「陛下へも、そのように報告しております。大西洋を渡らせるための修理と乗員、食料まで考えますと、こちらで売却して請求額と相殺した方がよい船がかなりございます」
港では、もうネーデルラント側が買うつもりで何隻かを詳しく調べています。直して自分たちで使う船、別の商人へ売る船、帆柱や索具を部品として取る船と、使い道まで分かれ始めていました。
遠い土地を植民地にするために来たフランスの船が、最後にはバタヴィアで中古船として値段を付けられています。
ルイ十四世の判断は早いものでした。利益を得るために始めた遠征で損失だけが増えている以上、新しい兵を送り込む理由はもうありません。残っている人と船を回収し、払うものを払い、使える商路があるなら今度はそこで儲ける。その方が話はずっと簡単です。
*
昼前、仮設飛行場の通信所から人が走ってきました。
ヴェルサイユからの急報です。
プロ・コンドール沖で消えた約20隻のうち、フランスから奪われていた船が何隻か、海から消えたときの状態のままヴェルサイユへ戻っていました。船体も武器も積荷も航海日誌も残り、拿捕されたあと逃げられずに操船させられていたフランス人まで一緒です。
その人たちからの聞き取りで、20隻の中身が急に見えるようになりました。
西洋式の船は、船体だけ奪ってもすぐ自由に使えるものではありません。帆装、航海、砲、修理まで覚える必要があるため、清側と南側の人々は、捕らえたフランス人を船へ残して働かせていました。ベトナムの言葉や漢語系の言葉を分かる者もいたので、監視役や役人の会話までかなり聞いています。
自分たちだけで船を扱えるようになるまで使う。
十分に覚えたあと、フランス人を生かしておくつもりはない。
そこまで聞いた人が帰ってきました。
トルシー侯は通信文を読み進めるうち、ほとんど表情を動かさなくなりました。
やがて二つの名前が出ます。
郭世隆。
清の両広総督です。
もう一人は阮福淍。南側の阮氏政権を率いていた人物で、複数の証言を突き合わせると、二人とも20隻のどこかに乗っていたことが分かりました。
「二人とも、船にいたの?」
「そのようです。名前だけではなく、周囲にいた役人や呼ばれ方まで証言が合っております」
ルーク提督も紙を受け取りました。
乗船した理由まで読むと、事情はさらに分かりやすくなります。撤収中のイングランド東インド会社の船には、現金、武器、帳簿、商品、人員が一か所へ集められていました。相手は古い大きな船一隻、囲む側は西洋式の船が約20隻です。
奪った物の分配を現地の指揮官だけに任せれば、現金や商品が途中で消えるかもしれない。自分で見ていれば、自分の取り分も確実です。
そのため、南側の有力者までかなりの人数が船に乗っていました。
「確実に儲かると思ってたんだね」
どろちゃんが言うと、ルーク提督は通信文を畳みながら頷きました。
「我々が撤収のため一か所へ集めた物を見れば、そう考えたのでしょうな」
結果として、南側では政治を動かしていた人々が一度に大量にいなくなりました。清側も、西洋式の軍艦を北から南へ集めていたため、まともに動かせる船のかなりの部分を同時に失っています。
どろちゃんは地図を開きました。
南では政治と軍の空白が大きくなっていますが、北には昇龍があり、行政も役人も軍も残っています。税を集め、水路を見て、米を動かし、裁判をする仕組みまで残っているなら、南の暮らしを立て直す主体になれます。
「先に知らせよう」
「独立を促す文書になさいますか」
「そこまでは書かないよ。起きたことを知らせるだけ。南が空いたままだと、そこに住んでる人が困るでしょう」
英国もフランスも軍隊を戻して土地を取りに行かないこと、清とベトナムの政治関係を英仏の軍隊で決めるつもりもないこと、南では行政の空白が広がっていること。その事実を北へ伝え、治安、水路、米の移動、港、裁判といった仕事を早く戻してほしいと書くことにしました。
文章は現地の人が読むものと、役人や学者が読む漢文系のものを用意し、意味がずれないよう何人かで読み合わせます。文字だけでは拾った瞬間に内容をつかみにくいので、海に並ぶ20隻、そのあと何もない海、北と南の位置を示す簡単な図も添えました。
翌朝、ムリヤちゃんの貨物室には紙の箱が何列も並びました。
「今日は紙屋さんだね」
『いっぱいあるね』
「昇龍まで運ぶよ」
6発のエンジンを始動し、湿ったバタヴィアの空気を後ろへ押しながら離陸します。
北へ進むと海岸の形が変わり、大きな川と田畑の続く平らな土地が広がってきました。昇龍へ近づくころには、地上の人たちの方が先にムリヤちゃんを見つけています。
田の中で人が立ち止まり、川の船からも甲板へ出てきました。
都の上へ入る前に貨物室側の準備を終えます。最初の束が外へ出ると、風を受けた紙はすぐにほどけ、白いものが屋根や道、市場、川岸へ散っていきました。
ムリヤちゃんは大きく回り、役所の多い場所や船着き場へ届くよう位置を変えてもう一度撒きます。
『いっぱい落ちたよ』
「うん。これなら届くね」
下では拾った紙をその場で読む人もいれば、隣へ見せながら走っていく人もいました。
こちらから言葉を送るところまではできました。
返事を聞く方法は、これから作ります。
*
昇龍を離れたムリヤちゃんは、高度を上げてそのまま北京へ向かいました。
今度の紙は、清の海上行動に関する警告です。
イングランド、フランス、ネーデルラント連邦共和国、イタリア王国。この4か国が所有する船、または4か国に所属する船へ、宣戦布告のない状態で拿捕、乗り込み、略奪を行わないこと。船を使って島や沿岸の町を襲う行為も同じ扱いになります。
さらに重要なのは、北京で読んで終わりにしないことでした。
海へ出る船、地方の水軍、商船、清の命令で動く船まで、同じ文面を速やかに届ける。途中で文章を弱めたり、一部を抜いたり、後回しにしたりせず、皇帝本人にもそのまま見せる。
宮中の近侍や宦官が皇帝へ何を見せるかを選んでしまえば、警告そのものが止まります。そこで文面には、役人、近侍、宦官その他の者が止め、遅らせ、書き換え、削除してはならないことまで明記しました。
「ずいぶん細かく書きますな」
ルーク提督が読みます。
「途中で止まったら、船にいる人が知らないままになるでしょう。知らない人を増やしたくないの」
どろちゃんが清へ知らせるのは、やってはいけない行為と、通達を止めないことまでです。神様が誰に何年を加えるのか、過去の何を数えるのかといった内部の判定まで説明するつもりはありません。
北京へ着くと、城壁の内外、役所の多い場所、市場へ通じる道、商人が集まるところへ同じ紙を大量に撒きました。
一枚を誰かが隠しても、別の場所には何百枚もあります。
役人が燃やしても、市場には元の文面が残ります。
「これで、知らなかったは難しくなるね」
どろちゃんが下を見ながら言うと、トルシー侯は紙の行方より、その先を考えていました。
「地方まで正確に届けば、何も起こりません」
「うん。それが一番いい」
ムリヤちゃんは北京を離れました。
*
昇龍へは、そのあともう一度紙を送りました。
今度は交易についてです。
外国側が必要とする商館や倉庫の土地は5年ごとの賃貸とし、地代を払い、更新するときは改めて契約する。土地そのものの主権はベトナム側に残します。
治安についても、双方を同じ形にしました。
ベトナムに滞在するイングランド、フランス、ネーデルラント、イタリア王国の人々は、ベトナム側が守る。ベトナムの人が4か国へ滞在するときは、滞在先の政府が守る。そのために外国軍や外国警察の拠点を相手国へ置くことはしません。
最後に、直接会って話したいと書きました。
さらに数日後、三度目の紙を作ります。
こちらから一方的に言葉を送っていることへの詫びから始め、北側の代表にいくつかの国を実際に見てもらいたいこと、その話を受けるかどうかも含めて、まず直接会って説明したいことを書きました。
そしてムリヤちゃんが着陸するため、昇龍近くの広く平らな土地を一時的に借りたいと頼みます。到着と出発に必要な長い平地が一時的に現れるので、人、家畜、荷車を入れず、物も置かないでほしい。帰ったあと元の状態へ戻すことを望むなら、速やかに戻すことも添えました。
紙を撒いて数日待ちます。
返事を受け取る設備はまだありませんから、最後は予定どおり自分たちで行くことになります。
「じゃあ、会いに行こうか」
会談用の書類、地図、食料、水、贈り物を少し積み、代表者がそのまま同行することになっても座れるよう、パレット座席も残しました。
*
昇龍へ近づくと、地上に一本だけ、周囲の田畑とまるで違う長い線が見えました。
神様の滑走路です。
紙を読んだ人たちは場所を空けてくれたようで、荷車は道の脇へ寄せられ、家畜も少し離れたところへ移されています。上空を一度回ると、役人らしい人が紙に書かれた長さと目の前の滑走路を何度も見比べているのが見えました。
ムリヤちゃんは、紙を撒いたときにも空から見られています。
今日は、その巨大な機体が自分たちの前へ降りてきます。
どろちゃんは端から端まで人や荷車が入っていないことを確認し、6発の推力を下げて進入しました。
主脚が地面へ乗ると、何組もの車輪が続けて接地し、逆噴射の音が平らな土地へ広がります。馬が一斉に首を上げ、手綱を持つ人が身体ごと引かれましたが、滑走路へ飛び出す者はいません。
速度を落として決めた場所へ止まり、エンジンの出力を下げます。
音が少しずつ細くなったあとに残ったのは、地面へ長く伸びるムリヤちゃんの影でした。
近くで見ると、空にいたとき以上に大きさが分かります。人の背丈を越える車輪、その上へ続く胴体、左右へ長く伸びる翼、その下に三つずつ並んだエンジンを前に、待っていた人たちはすぐには近づきませんでした。
どろちゃんは機首側を開け、こちらから先に外へ出ます。
「こんにちは。紙、届いた?」
現地の言葉で話すと、前にいた役人の表情が少し変わりました。
空から紙を撒いた巨大な機械の中から、十八歳の娘が普通に歩いて出てきて、自分たちの言葉で話し始めたのです。
「届いております」
声にはまだ緊張が残っています。
「よかった。今日は話をしに来ました」
そこでようやく、人が少しずつ前へ出てきました。
*
最初の会談は、滑走路から少し離れた場所へ日除けを張って行いました。
北側から来たのは武官、書記、土地の管理を知る者、政務を扱う者たちです。茶が運ばれ、机へ着いてからも、何人かは時々ムリヤちゃんの方を見ていました。
飛行機が本当に地面へ降りた。
紙に書かれていた長い平地も、本当に現れた。
乗ってきた人間は普通に歩き、会話もできる。
それを一つずつ自分の目で確かめてから、本題へ入ります。
イングランドとフランスは軍隊を戻さないこと。
南には政治的な空白が大きくなっていること。
北には南の行政を回復できる仕組みが残っていること。
4か国が望んでいるのは、土地を取ることより交易を再開すること。
そして、その条件がどんなものかを一度自分の目で見てほしいこと。
「来るかどうかは、今日ここで決めなくていいよ。どこへ行くのか、何日くらいかかるのか、どうやって帰るのか、全部説明してから決めて」
北側の役人は質問をまとめ、その日のうちに昇龍へ戻りました。
*
翌日、滑走路の外へ馬車が止まり、護衛と書記が先に降りました。
そのあとから出てきた老人が鄭根でした。七十を越え、名目上の皇帝とは別に北側の政治と軍を実際に動かしている鄭主で、日本でいえば将軍に近い立場の人です。
昨日の役人たちから巨大な飛行機の話は聞いていたはずですが、自分の目でムリヤちゃんを見た瞬間には足が止まりました。
遠くからなら、大きな鳥か、空を進む建物のようにも見えます。
近くでは、比較する物がありません。
チン・カンは翼の端まで視線を動かし、六つのエンジンを数えました。
「これが、あの紙を撒いたものか」
「うん。ムリヤちゃん」
どろちゃんが答えると、チン・カンはその名を一度口の中で繰り返しました。
机へ着くと、質問は最初から具体的でした。
フランス王は本当に会うのか。
アン女王も関係するのか。
ネーデルラントでは何を見るのか。
何日かかるのか。
自分が帰国できない場合、国はどうなるのか。
最後の質問だけは、どろちゃんも軽く答えませんでした。
ムリヤちゃんは帰ってくるつもりです。それでも七十を越えた人が遠い国へ出る以上、飛行機とは別の理由で帰れなくなる可能性まで本人は考えています。
数日後、北側から正式な返事が来ました。
チン・カン本人が行きます。出発前には、曾孫で後継者に定めている鄭棡を摂政に置き、帰国期限まで文書で決めることになりました。期限までにチン・カンが戻れば摂政を終え、戻らなければチン・クオンが正式に権限を引き継ぎます。
どろちゃんは、その文書を思っていたより長く読みました。こちらにとっては数日で往復できる旅でも、チン・カンにとっては、見たことのない飛行機へ乗り、清よりさらに遠い国々へ出ていく旅です。自分が帰れなかった場合まで決めてから出発するところに、国を預かっている人の重さがありました。
*
出発の日、チン・カンはチン・クオンと印章、文書、命令の範囲、帰国期限を最後まで確認してからムリヤちゃんへ向かいました。
この便には、ホータンへ出す米と南方の果物も積みます。どろちゃんが前に立ち寄ったとき商人たちと話した品で、今回はベトナムから実際の商品として運ぶことになりました。人の旅と商売の荷物が、同じ便で北西へ向かいます。
機首側から中へ入ると、外で見た大きさとは別の驚きがあります。
高い天井と照明、床へ並ぶ固定具、パレットへ取り付けた座席、壁際へ緊締された荷物。その奥まで貨物室が続いているのを見て、チン・カンは入口で一度立ち止まりました。
「この中まで、これほど広いのか」
「上にも部屋あるよ。そっち使ってもらうね」
チン・カン本人と近い随員は二階側へ案内し、ほかの随員は貨物室の座席へ座ります。
機首を閉じると外の風が遠くなり、代わりに六つのエンジンが一つずつ動き始めました。床から伝わる振動が増え、機体が自分の力で動き始めると、随員の何人かが周囲を見回します。
滑走路へ入り、加速が始まりました。
チン・カンは黙って座っています。
速度が上がり、長く続いていた車輪の振動が、ある瞬間に消えました。
「もう飛んでるよ」
どろちゃんが二階へ顔を出すと、チン・カンはすぐには返事をしませんでした。
巡航へ入ってから操縦席へ案内します。
前の窓の下には、さっきまでいた土地が広がっていました。
川と水路がつながり、その間に田と集落があり、道が別の町へ延びています。地上では一日かけて移動する範囲が、ここからなら一度に見渡せました。
「ここまで見えるのか」
「高く上がると、もっと広く見えるよ」
チン・カンは、そのあともしばらく前を見ていました。
自分が長く治めてきた土地を、この高さから見るのは初めてです。
そして、その先にある国々へ、今から自分で行きます。
◇◇◇◇◇
この章で出てくるベトナム人名は、最初だけ漢字とカタカナを併記しています。鄭根はチン・カン、阮福淍はグエン・フック・チューです。当時のベトナムでは漢字が政治や学問の世界で使われていましたが、日本語の読者にはベトナム語の読み方が分かりにくいため、二度目からはカタカナを中心にしました。
1705年ごろの北部では黎朝の皇帝が存在する一方、実際の政治と軍事では鄭主の力が大きく、チン・カンはその中心人物です。本作では、日本の読者に位置づけをつかみやすくするため「将軍のような立場」と説明しています。




