107貴族令嬢の滑走路に、ムリヤちゃんが来ました。 An-225登場
第107章 貴族令嬢の滑走路に、ムリヤちゃんが来ました
エルレンフェルトの小さな電車は、いつの間にかずいぶん立派になっていました。
最初は、旧飛行場のある丘と、三キロほど離れた三千メートル滑走路を結ぶだけの単線でした。レールが足りなかったので、路盤だけ先まで造っておき、いつか周回させる予定にしていた線です。
そのレールが、ようやくそろいました。
格納庫裏から領主館前、会議棟前を通り、丘と丘をつなぐ区間を抜けて、三千メートル滑走路の待合室へ。そこからチェブラーシカの格納庫裏を通り、将来いろいろ建てる予定の広い土地へ回り込みます。いちばん奥でぐるりと向きを変えると、反対側を戻って、また待合室、会議棟前、領主館前へ戻り、旧飛行場側でも大きく回ってつながります。
電車そのものは、いつも時計回りです。
途中の停留所も増えました。
三千メートル滑走路の横には待合室や運航に使う設備も少しずつ整い、試験運用を続けていた計器着陸の誘導設備も、いよいよ通常運用へ入っています。
これでミツバチちゃんもチェブラーシカも、夜や霧の中で帰ってこられます。
どろちゃんは、その日の午後、ホテル棟のレストランにいました。
食事をするためではありません。
いつものように、食事をしている人たちの邪魔にならない程度の音量で、楽器を弾いていました。演奏会ではなく、ただの生演奏のBGMです。誰かが拍手するような曲の終わり方もしません。次の曲へ自然につないでいきます。
そこへフランソワさんが来ました。
いつもの仕事の報告とは少し違う顔をしています。
「お嬢様。三千メートル滑走路に、壊れた飛行機がございます」
どろちゃんは弾いていたところを止めました。
「壊れた飛行機?」
「はい。滑走路の上にございますので、いまは使えません」
それは困ります。
壊れていることより、滑走路の上にあることの方が、まず実務上は大問題です。
どろちゃんは代わりの人に事情を伝え、フランソワさんと一緒に外へ出ました。
領主館のある丘から三千メートル滑走路の方向を見ると、すぐ分かりました。
「……ムリヤちゃん?」
遠いのに、見間違えようがありません。
六発。
巨大な主翼。
双尾翼。
そして、あの胴体です。
Ан-225 Мрія(アントノフ225・ムリヤ。「夢」の意味。)でした。
ただし、飛べる姿ではありません。
機首は折れて、前の方へ転がるように離れています。主翼も胴体の付け根から外れています。機首と主翼の間は激しく焼けていて、本来そこにあるはずの胴体そのものが、かなり失われています。
後ろの方は、遠くから見ても形が残っていました。
「これ……飛んできたわけじゃないよね」
どろちゃんはそう言いながら、領主館前から電車に乗りました。
電車はいつもの向きに走ります。
会議棟前を通り、丘をつなぐ区間へ入りました。
近づくほど、ムリヤちゃんは大きくなります。
飛行機というより、建物が滑走路へ倒れているように見えてきました。
三千メートル滑走路待合室のところで降りると、どろちゃんはまず、前へ折れて転がっている機首部分へ向かいました。
外側はすすけています。
窓の周囲も黒くなっています。
それでも、コックピットの形は残っていました。
「入れそうです」
フランソワさんが足元を確かめてくれました。
どろちゃんは壊れたところを避けながら中へ入りました。
そして、少しだけ立ち止まりました。
水色でした。
すすけていても分かります。
いつもの、アントノフの水色の計器板です。
どろちゃんは前へ進み、操縦席のまわりを見ました。
壊れているところもあります。曲がっているものもあります。
でも、知らない飛行機の残骸を見ている感じがしません。
「ほんとうにムリヤちゃんだ」
どろちゃんは外へ戻ると、今度は中央部を見ました。
こちらはひどいものでした。
焼けたところは、もう飛行機の形ではありません。
主翼は胴体から分かれています。
それなのに、その向こう側には、巨大な後部胴体がそのまま残っていました。
後ろへ回ってみると、さらに驚きました。
「後ろ、ほとんど残ってるね」
双尾翼まであります。
前と中央があれほど壊れているのに、後ろ半分は、まだ飛行機の形をしています。
どろちゃんはしばらく見ていました。
直せるとか、直せないとか、そういうことをその場で考える大きさではありません。
そもそも、どうしてここにあるのかも分かりません。
「……今日は無理」
フランソワさんが隣で、巨大な残骸を見上げました。
「明日にいたしましょうか」
「うん。滑走路は閉めておいてください。誰も勝手に中へ入らないようにして、続きは明日考えます」
計器着陸の設備は正常です。
でも、滑走路の上にムリヤちゃんがいるので使えません。
どろちゃんとフランソワさんは、また待合室前から電車に乗りました。
帰りも時計回りです。
丘をつなぐ区間を戻り、会議棟前を通り、領主館前で降りました。
後ろには、三千メートル滑走路を塞いだまま、壊れたムリヤちゃんが残っていました。
◇ ◇ ◇
次の朝。
どろちゃんは領主館を出て、三千メートル滑走路の方を見ました。
すぐに足が止まりました。
「……直ってる」
昨日とは形が違います。
機首があります。
主翼があります。
胴体も一本につながっています。
双尾翼もあります。
朝の光の中に、巨大なAn-225が、一機まるごと立っていました。
しかも、きれいです。
白い機体に青と黄色の入った、どろちゃんが前の世界で知っていた最後のころの塗装です。
昨日の残骸ではありません。
新品の飛行機が置いてあるように見えます。
どろちゃんはフランソワさんと一緒に、また電車で三千メートル滑走路へ向かいました。
近づくと、さらに新品らしく見えます。
窓までぴかぴかです。
昨日はすすけていた操縦席の窓が、朝の光をそのまま反射しています。
どろちゃんはコックピットへ入りました。
水色の計器板もきれいになっています。
座席も、レバーも、頭上のパネルも、昨日の焼け跡がありません。
神様の飛行機は、エルレンフェルトで一晩休むと、摩耗したところやオイルまで元へ戻ります。時間がたって古くなったところも、次の日には調子のよい状態へ戻ります。
でも、昨日のムリヤちゃんは、摩耗どころではありませんでした。
どろちゃんは左席の横で、そっと呼びました。
「ムリヤ」
その瞬間、胸の奥へ、とても嬉しそうな感じが来ました。
『なおったみたいだよ』
どろちゃんは目を見開きました。
「ムリヤちゃん?」
今度は、もっとはっきり分かりました。
声を耳で聞いているのとは少し違います。
でも、言葉として分かります。
どろちゃんとムリヤちゃんの魂が、つながっていました。
ムリヤちゃんが覚えていることも、少しずつ聞けました。
前のおうちでは格納庫にいたこと。
そこで爆弾が爆発したこと。
あちこちが壊れて、ばらばらになってしまったこと。
そして、とうとう天国へ行ったこと。
そのあと神様が、ムリヤちゃんをここへ連れてきて、三千メートル滑走路へ置いていったこと。
昨日の夕方、どろちゃんたちが見たのは、壊れたままの姿でした。
そして一晩たったら、こんなにきれいになっていました。
『すごく調子いいよ』
本人は嬉しそうです。
どろちゃんは、しばらく水色の計器板に手を置いていました。
タドポール君も、一度天国へ行っています。
だから、どろちゃんと自由に話せます。
神様が初心者だったどろちゃんにタドポール君を選んだのも、安全に空を覚えられるからでした。操縦を教えてくれて、危ないときには助けてくれて、どろちゃんが操縦席で眠ってしまっても大丈夫です。
ムリヤちゃんも、同じように魂がはっきりした飛行機でした。
ただし、ずっと話しているうちに、別の気持ちも伝わってきました。
『お腹すいた』
「……お腹?」
どろちゃんは燃料計を見ました。
「ああ。ごはんないんだ」
『ないよ』
機体は新品になっていても、燃料が勝手に増えるわけではありません。
しかも相手はムリヤちゃんです。
五十リットルの燃料缶を何本か持ってくるような話ではありません。
どろちゃんは操縦席を見回しました。
前の席だけでも、普通の飛行機ではありません。
その後ろには、航空機関士が扱う大きな水色のパネルが並んでいます。
「ムリヤちゃん。操縦席、二人でなんとかなる?」
ムリヤちゃんは、自分の身体のことなのでよく分かっています。
姿勢や舵、六発のエンジンのバランス、燃料や油圧や電気など、必要なところは自分でもずいぶん動かせるようです。
小鳥さんが可変翼を自分で動かしてくれるのと似ています。
どろちゃんが全部のスイッチを一つずつ追いかけなくても、ムリヤちゃん自身が自分の身体を管理できます。
前の世界で言えば、もっと新しい旅客機が、人間の操作を機体側で整理してから各部へ伝えているのに近い感じです。
それでも、飛ばすなら航空機関士はいた方がいい、とムリヤちゃんは言いました。
「二人かあ」
航法や通信は、どろちゃんとムリヤちゃんでかなり補えます。
でも、巨大な機体の各系統を人間側でも理解して見ている人は必要です。
どろちゃんは、オイゲンさんの部下から二人を出してもらうことにしました。
機械を覚えてもらい、航空機関士として養成します。
もともと護衛のできる人ですから、飛行中は乗員であり、到着した先ではどろちゃんの護衛もできます。
ムリヤちゃん本人が先生になれば、普通の航空機関士養成よりずっと分かりやすいはずです。
間違ったところを触れば、
『そこじゃないよ』
と本人が教えてくれます。
危ない操作なら、ムリヤちゃん自身が止めることもできます。
とはいえ、それはこれからです。
今日の問題は、まだ滑走路を塞いでいることでした。
◇ ◇ ◇
燃料を入れようにも、滑走路の上まで届くホースがありません。
接続部分そのものは、チェブラーシカと共用できます。
新しい金具を一から作る必要はありません。
足りないのは長さです。
「長いホースがいるね」
ところが、その前に別のものが見つかりました。
トーイングカーです。
しかも、ムリヤちゃんに使えるトーバーまであります。
「……あるじゃん」
どろちゃんは思わず言いました。
これなら、燃料を入れる前に動かせます。
ムリヤちゃんは、ほとんど燃料を積んでいません。
いま以上に重くする前に、まず滑走路から外してしまった方が安全です。
トーバーを取り付け、ムリヤちゃん本人にも前脚やブレーキの状態を確認してもらいました。
それから、ゆっくり動かします。
六発のエンジンは回しません。
巨大な機体が、トーイングカーに引かれて少しずつ滑走路から出ていきます。
移動先は、チェブラーシカが格納庫から滑走路へ出入りする動線から外したエプロンです。
翼端まで遠いので、外にも人を置きました。
ムリヤちゃん本人が、
『右はまだ大丈夫』
と教えてくれますが、人間の目でも確認します。
ようやく指定したところまで移動し、停止しました。
これで三千メートル滑走路が空きました。
計器着陸設備も、また使えます。
そして、その近くには、昨日までなかった大きな神様タンクが来ていました。
「四百キロリットル……」
タンクだけではありません。
給油ポンプも、給油に必要な施設もついています。
なぜ今ここに来たのか、考える必要もありません。
「ムリヤちゃん、ごはん来てるよ」
ものすごく嬉しそうな感じが返ってきました。
ただし、満腹にするわけにはいきません。
ムリヤちゃんは大きすぎます。
燃料を大量に入れれば、それだけ脚から舗装へかかる荷重も増えます。
今の三千メートル滑走路は、ムリヤちゃんを満載状態で日常運用するために造ったものではありません。
長いホースを用意し、チェブラーシカと共通の接続部を使って給油しました。
入れたのは五十キロリットルだけです。
ムリヤちゃんには、ずいぶん少ない朝ごはんです。
それでも、
『ごはん入った』
と嬉しそうでした。
どろちゃんは改めて機体を見上げました。
窓も外板も新品のようにきれいです。
「これ、汚れたらお掃除たいへんだね」
ムリヤちゃんから、自分でも大きいことは分かっているような、少し楽しそうな気持ちが返ってきました。
そして、もう一つ問題があります。
運ぶものがありません。
この世界で、ムリヤちゃんでなければ運べない貨物など、そう簡単には出てきません。
チェブラーシカでさえ巨大な輸送機です。
その横に、さらに大きなムリヤちゃんが来てしまいました。
航空機関士の養成もこれからです。
当分、飛ぶ仕事はありません。
三千メートル滑走路には、チェブラーシカだけ専用の格納庫があります。
ムリヤちゃんは、しばらくエプロン暮らしです。
それでも退屈ばかりではありませんでした。
夜になると、ムリヤちゃんはチェブラーシカと話をしていました。
一度天国へ行ったときのこと。
神様のところにいたときのこと。
そして、チェブラーシカという名前のもとになった、耳の大きな不思議な子のお話です。
チェブラーシカは、自分の名前のもとになった子の話を聞きます。
ムリヤは「夢」。
チェブラーシカは、ちょっと変わっていて、少しおかしくて、でもかわいい子。
二機の巨大輸送機は、飛ばない夜に、そんな話をしていました。
◇ ◇ ◇
次の日の朝。
どろちゃんは領主館を出たところで、また足を止めました。
「……増えてる」
遠くからでも分かります。
三千メートル滑走路のさらに向こう、ループ鉄道のいちばん奥にある建設予定地Aに、昨日までなかった巨大な建物が立っています。
近くまで行かなければ分からない、という大きさではありません。
領主館のある丘から見ても、はっきり格納庫だと分かります。
「ムリヤちゃん。あれ、なに?」
嬉しそうな返事が来ました。
『おうち』
「やっぱりムリヤちゃんの?」
『うん。神様にお願いしたよ』
「作ってもらったの?」
『前のおうちのを、直して持ってきてもらったみたい』
どろちゃんは、しばらく遠くの巨大格納庫を見ていました。
ムリヤちゃんは一度天国へ行っているので、神様との話もずいぶん直接的です。
どうやら外に置かれているのが嫌だったので、自分でおうちをお願いしたようです。
ループ電車で三千メートル滑走路側へ行き、さらに建設予定地Aの方へ回ると、建物だけではないことが分かりました。
「地面まで違う」
どろちゃんは電車を降りて、足元を見ました。
昨日までの工事予定地とは、明らかに舗装の感じが違います。
表面のアスファルトの素材感が違います。
細かく排水用の溝が切られています。
広い舗装面は真っ平らではなく、中央がわずかに高く、左右へ水が逃げる形になっています。
雨が降ったとき、水を広い面の上へ残さない造りです。
どろちゃんにも、見ただけで違いが分かりました。
「これも、前のおうちと一緒?」
『うん』
ムリヤちゃんに聞くと、表面だけではありませんでした。
アスファルトの下にあるコンクリートも、そのさらに下の砕石も、前にムリヤちゃんが使っていたところと同じです。
表面だけ黒く舗装したのではありません。
巨大な飛行機を置いて動かすための地面を、下からまとめて持ってきています。
「そこまで一緒なんだ」
『うん。ここなら大丈夫だよ』
これなら、ムリヤちゃんの重量を気にしながら既存のエプロンへ置き続けなくて済みます。
格納庫の前まで、ムリヤちゃんを使うことを前提にした舗装になっています。
建設予定地Aは、一晩で用途が決まりました。
昨日までは「将来いろいろ建てるところ」だった場所です。
今日は、ムリヤちゃんのおうちがあります。
チェブラーシカには三千メートル滑走路の格納庫。
ムリヤちゃんには、ループのいちばん奥にできた巨大格納庫。
そして、その間を小さな電車が、今日も時計回りに走っています。
どろちゃんは巨大な格納庫と、その前の新しい舗装を眺めてから、ムリヤちゃんへ聞きました。
「気に入った?」
返ってきた気持ちは、聞くまでもないくらい嬉しそうでした。




