105貴族令嬢は、ロンドンで土地を整理します。本領地ゲットです。 イギリス鉄道工事でもらっていた測量工事用の仮領地を整理統合します。
第105章 貴族令嬢は、ロンドンで土地を整理します
十二月のロンドンは、朝から薄い雲がかかっていました。
クリスマスが近いので、町にはいつもより人が多く、店先には冬の飾りも増えています。
けれど、どろちゃんが今日見るのは飾りではありません。
地図です。
大きな机の上には、ロンドンから北へ伸びる鉄道の線、その周囲の航空写真、地上測量図、土地台帳の写し、借地契約、土地を譲り受けたときの書類が重ねてありました。
ロンドンとエディンバラを結ぶ鉄道は、もう開通しています。駅も線路も車両基地も、実際の列車を動かしながら使われています。
ですから今日は、これから鉄道をどこへ通すか決める会議ではありません。開通までに急いで使った土地、航空測量のために先に持っていた土地、鉄道会社へ移した方がよい土地を、列車を走らせたまま整理する会議です。
その横には、色の違う札が何十枚もあります。
残す土地。
鉄道会社へ渡す土地。
元へ戻す土地。
借りるのをやめる土地。
相続関係が決まるまで触れない土地。
それぞれを同じ色で塗ってしまうと、あとで必ず分からなくなります。
どろちゃんの右にはロバート・フックが座り、その隣にはフランソワさんがいました。
向かい側にはゴドルフィン男爵と、土地を扱う役人、法務を担当する役人、測量担当者、鉄道会社の技師がいます。
みんなの前に同じ地図があります。
ただし、どろちゃんの地図だけ、ずいぶん書き込みが多くなっていました。
「最初に確認したいのですが」
土地担当の役人が、一枚の一覧表を開きました。
「女王陛下から認められた土地は、一か所につき十平方キロメートル以内、最大十か所という条件でございました。しかし、実際には十か所すべてを十平方キロメートルずつ受け取ったわけではございませんね」
「はい。上限ですから。必要のないところまで十平方キロメートルにする理由はありません」
どろちゃんは、地図の北寄りにある細長い区画を指しました。
「ここは滑走路と、写真を整理する場所と、燃料を置く場所が必要だったので取りました。でも、その隣は数日借りただけです。こちらはチェブラーシカちゃんを降ろすために借りた牧草地。こっちは地面が柔らかかったので、一度見てやめています」
測量担当者が、当時の飛行記録を開きました。
着陸日。
撮影した区間。
地上班が入った日。
土地の使用期間。
使用料。
損傷があった場合の補償記録。
全部残っています。
「一時使用地につきましては、鉄道用地に必要なものを除き、契約終了でよろしいでしょう」
「はい。借りたものは返します」
どろちゃんは、そこについて迷いませんでした。
鉄道の位置さえ決まっていなかったころ、航空測量のためだけに土地を取り上げることはしませんでした。必要な期間を決め、所有者と話し、使用料を払い、借りています。
問題は、その次でした。
地図の上に、細長い土地がいくつも並んでいます。
一つの長い滑走路ではありません。
少し離れて一本。
また少し離れて一本。
さらに先に一本。
地図だけ見れば、ずいぶん妙な配置です。
鉄道会社の技師が、その並びを指で追いました。
「この四か所ですが、いま決まっている鉄道線と、かなりよく重なります」
「重なるように取りました」
どろちゃんが答えると、技師は顔を上げました。
「最初から、でございますか」
「はい。もちろん滑走路として本当に使える場所です。測量にも使いました。でも、鉄道がこのあたりを通る可能性が高いのも分かっていました。線路の位置を公表してから、通したいところを全部買うより、先に使える場所を持っていた方がいいでしょう」
法務担当者が、一枚の書類を取って確かめました。
「取得時の用途を偽っていたわけではない、と」
「滑走路として使いました。写真もあります。飛行記録もあります。ここでは三回降りていますし、こっちは冬の測量拠点でした。ただ、滑走路にする場所を選ぶときに、将来の線路のことも考えていました」
どろちゃんは、もう一つの区画を指しました。
「逆に、ここは読み違えました。鉄道はもっと東へ行くことになったので、残す意味がありません」
ゴドルフィン男爵が、二枚の地図を重ねました。
「つまり、鉄道用地を隠れて取得したのではなく、実際に必要だった航空用地の選定で、後に鉄道へ使える場所を優先した。そのうち本当に鉄道へ使うものと、外れたものを、今ここで分けるということですな」
「そうです。外れたところまで持ち続けると、草を刈って、排水を見て、境界を確認して、税金まで払わないといけません」
「最後がいちばん分かりやすい理由です」
ゴドルフィン男爵が言うと、会議室に少し笑いが起きました。
土地は持っているだけでは終わりません。
使わない土地にも管理が要ります。
それなら、必要なところだけ持った方がいいのです。
◇ ◇ ◇
ところが、返せば終わる土地ばかりではありませんでした。
法務担当者が、赤い札を三枚置きました。
「こちらは、現在、相続人が確定しておりません」
年齢を加えられ、消えてしまった領主やジェントリがいました。
普通に亡くなった人なら、その日が分かります。
遺言があれば、それを調べます。
直系がなければ、傍系の相続人を探します。
けれど、人が突然消えた場合には、最初のところから簡単ではありません。
いつ亡くなったものとして扱うのか。
そもそも、亡くなったものとして扱ってよいのか。
消えた日に持っていた権利や契約は、その日で終わるのか。
その後の収益を誰が受け取るのか。
候補者が複数いれば、誰に土地を売る権限があるのか。
畑や家があれば、誰かが耕し、誰かが住んでいますから、行政側も早く決めなければ困ります。
ところが、人の住んでいない林や、街道から外れた草地は後回しになりやすい。
その中に、すでに開通している本線のすぐ脇へ、細長く食い込んでいる土地がありました。
鉄道技師が、現在の線路図をその上へ重ねます。
「本線そのものは、もうこちらを避けて完成しております。列車の運転には支障ございません。ただ、周囲の土地を返還・交換して一続きに整理しようとすると、この一筆だけ所有者を確定出来ません」
「では、そこだけ保留でいいです」
どろちゃんはすぐに答えました。
「鉄道はもう走っています。急いでいるからといって、売れる人が決まっていない土地を、誰かから買ったことには出来ません」
「その扱いがよろしいでしょう」
法務担当者が赤い札を残しました。
土地の整理が終わらないことと、鉄道が未完成であることは別です。
ロンドンとエディンバラの間では、もう毎日列車が走っています。今日しているのは、開通前に決められなかった所有関係や、航空測量のために残った土地を、運行を止めずに後から整える仕事でした。
ゴドルフィン男爵は、赤い札をそのまま地図に残しました。
「本日の会議で全部の境界を確定させる必要はありません。決められるものと、決めてはいけないものを分けることも整理です」
どろちゃんは、その言葉を気に入りました。
分からないものを無理に分かったことにしない。
工学でも土地でも、大事なところは似ています。
◇ ◇ ◇
次は、残す土地です。
地図の上に六つの青い札が置かれました。
その一つは、すでにあるロンドン郊外の飛行場です。
新しく残すのは、あと五か所。
「最初の取得可能数は十か所でしたが、最終的には六か所でよろしいのですね」
「はい。全部持っている必要はありません」
どろちゃんは、一番大きな青い区画を指しました。
「大きな都市の近くでは、市街地から少し離します。今はまだ飛行機が少ないですけれど、近くで大きな機体が何度も上がったり降りたりすれば、音は邪魔になります。それに、町は大きくなります」
ロバートっちが、風の観測記録を横へ出しました。
「この場所は地面が比較的平らで、鉄道からも近い。ただし風向が一方向だけではありません。主滑走路だけに頼るより、横風時に使える方向も土地として残した方がよいでしょう」
「四千メートル取れるなら、主滑走路は四千メートル。横風用も取ります。全部を今すぐ舗装しなくてもいいです。土地だけ先に残しておけば、あとから町が近づいてきても困りません」
土地担当者が面積を計算しました。
「かなり広くなります」
「ここは広くていいです。その代わり、ほかを小さくします」
次の青い札は、中くらいの町の近くです。
「ここは二千八百メートルくらい。横風用を必ず二本目として作るところまではしません。必要になったときに増やせる方向だけ、建物で塞がないようにします」
さらに小さな町の近く。
「ここは千二百メートル。連絡、郵便、救急、測量、鉄道の保守に使えれば十分です」
ゴドルフィン男爵が六つの位置を見比べました。
「大小を同じ規格にそろえるのではないのですね」
「町も仕事も違いますから。全部四千メートルにしたら、土地がもったいないです」
そこでフランソワさんが、北側の一か所へ指を置きました。
「こちらは残していただいた方がよろしいと思います。冬に風が悪くなったとき、わたくしも一度こちらへ降りております。南の次の場所まで行ける日であっても、降りられる場所が途中にあるだけで運航の余裕が変わります」
「そこ、神様タンクもあるよね」
「ございます」
どろちゃんは、青い札を動かしませんでした。
滑走路をなくすと、その場所にある神様タンクもなくなります。
タンクだけ便利だから残しておく、ということはできません。
ですから、航空路の途中にある小さな滑走路には、滑走路の長さ以上の価値がありました。
ロバートっちは六地点の距離を測り、観測記録と重ねました。
「この六つなら、どれか一つを廃止したときに極端な空白が出来る配置ではありません。反対に、これ以上残しても、近いところが重なりすぎます」
「では六つ」
ゴドルフィン男爵が、青い札の数を確かめました。
「合計面積は」
土地担当者が紙の数字を足しました。
「おおむね三十平方キロメートルです」
どろちゃんは少し考えました。
「ずいぶん減ったね」
「減らすための会議ですから」
ゴドルフィン男爵の答えはもっともでした。
◇ ◇ ◇
「この六か所に、住民を置かれる予定はございますか」
土地担当者が尋ねました。
「置きません」
どろちゃんはすぐに答えました。
「領民を作るために持つ土地じゃないです。飛行場ですから」
「では、日常の管理はどなたが」
「近くの村にお願いします」
役人が少しだけ紙へ視線を落としました。
六か所。
三十平方キロメートル。
現地管理人をそれぞれ置けば、それだけでかなりの費用になります。
ところが、どろちゃんは別の地図を出しました。
滑走路や格納庫の予定地だけではありません。
周囲に、妙に形のよい草地が残っています。
「土地を取るときに、細長い滑走路だけ切り取らないようにしました。境界がぎざぎざだと管理しにくいですし、余ったところは牧草地に出来ます」
フランソワさんが、契約案の一枚を開きました。
「滑走路、進入に必要な範囲、燃料設備の周囲などは使用を制限いたします。その外側の草地については、近隣の村が放牧や採草に使えるようにいたします。その代わり、排水、柵、境界、草地の状態、飛行場周辺の見回りなどをお願いする形でございます」
「管理費は」
「払いません」
どろちゃんが言いました。
「使っていい土地の方を渡します。牛さんや羊さんに食べてもらえるところを、わたしがお金を払って草刈りするのは変でしょう」
ゴドルフィン男爵が、草地の面積と村の位置を見ました。
「村側にとっても、ただ仕事を押しつけられる形ではない」
「はい。村の人はわたしの領民にはなりません。今まで通り、その村の人です。飛行場の余っている草地を使って、その代わり見てもらいます」
土地担当者は、今度は青い札の横へ小さな緑の札を置きました。
所有はどろちゃん。
居住者なし。
周辺村が余剰地を利用。
維持管理は土地利用と交換。
現金の管理費なし。
六か所とも同じ考え方にそろえると、書類もずいぶん分かりやすくなりました。
◇ ◇ ◇
航空用地が六か所にまとまると、机の上から青い札がかなり減りました。
その代わり、鉄道会社へ渡す黄色い札が増えます。
「ここからここまでは、鉄道会社の土地にまとめます」
どろちゃんは、直列に並んでいた旧滑走路用地を指でつなぎました。
その中央には、もう複線の本線が通っています。列車も走っています。航空測量のために先に確保していた土地のうち、実際に鉄道へ使った部分を、今度は所有関係まで鉄道会社側へそろえるのです。間に必要だった土地も、開通までに鉄道側で取得されています。
「線路に使わなかった余りまで、全部鉄道会社が持つ必要はありません。返せるところは返して、交換した方が形がよくなるところは交換しましょう」
鉄道会社の技師が、ロンドン近郊の幅の広い区画を指しました。
「こちらは、現在の複線に必要な幅よりかなり広く残ります」
「そこは残してください。六本分」
「六本、でございますか」
「三複線です。いま走っているのは二本です。でも、あと四本を足せる幅は残します」
どろちゃんは、そこで椅子の横に置いてあった箱を引き寄せました。
ロバートっちが、少し笑います。
「ようやく出番ですね」
「持ってきたんだから使わないともったいないもの」
箱の中から出てきたのは、以前ロンドンの町を歩いていたとき、おもちゃ屋のガラスケース越しに見つけて、その場で買った鉄道模型でした。
メルクリンの車両。
直線レール。
曲線レール。
ポイント。
小さな駅。
買ったときには、会議資料にする予定などありませんでした。
ただ欲しかったので買っただけです。
今日は、たいへん役に立ちます。
どろちゃんは机の端を少し空け、直線レールを二本並べました。
「今はこれで足ります」
その横に、さらに四本を並べます。
「でも、土地だけはこれくらい残します」
鉄道技師が模型と地図を交互に見ました。
「将来、六線すべてを使う可能性があると」
「ロンドンの近くです。列車が増えたあとに、家を壊して六本分に広げるより、何もない今に幅だけ取っておく方が安いです。長距離の列車と、近くまで何度も走る列車と、貨物や回送を、ずっと同じ二本へ詰め込む必要もなくなります」
「用途は今から固定なさらない?」
「固定しません。六本あれば、あとで選べます。土地が二本分しかなければ、選べません」
ゴドルフィン男爵は、六本のレールをしばらく眺めました。
「建設費ではなく、選択肢の土地を今買っておくということですな」
「はい。持っているところなら、なおさら売らない方がいいです」
黄色い札が一枚、地図へ戻りました。
ただし、今度は「線増用地」と書かれています。
◇ ◇ ◇
「もう一つあります」
どろちゃんは、模型の小さな駅を置きました。
「今度は、まだ線路がないところのお話じゃありません。もう走っている鉄道のお話です」
ロンドンとエディンバラの間では、開通後、列車の本数が少しずつ増えていました。最初は終着駅や途中の折返し駅で、到着した列車をホームに置いたまま向きを変えても、次の列車まで余裕があります。
けれど、本数が増えれば同じことは出来ません。
客を降ろした列車がホームを長く使えば、次に入ってくる列車の場所がなくなります。
「今ある車両基地を造り直すお話じゃないです。列車がもっと増えて、折返し駅にも別の基地が欲しくなったときのお話です。あとから増やすなら、置く場所を先に悪くしないようにしておきたいの」
どろちゃんは、模型の線路を駅で止めました。
「頭端駅です。ここへ到着した列車は、どこかへ片づけるなら一度は向きを変えます。でも、そのあと本線を長く戻るのはもったいないです」
駅からかなり離れたところに車両基地を置き、列車模型をそこまで戻してみます。
客はいません。
それでも本線を使います。
「この距離を、空の列車が使います」
鉄道技師が頷きました。
「列車本数が増えれば、その回送のためにも進路を空ける必要がございます」
「だから、後から基地を造るなら、頭端駅のなるべく近くで本線から外せるようにします。戻るのは仕方ないけれど、本線を戻る距離は短くしたいです」
どろちゃんはポイントを駅の近くへ移し、その横へ何本かの側線を並べました。
模型列車は駅を出て少しだけ戻ると、すぐ本線を離れて基地へ入れます。
「これなら、まだまし」
「かなり違います」
鉄道技師は、今度は自分で模型の列車を動かしました。
次に、どろちゃんは途中駅を作りました。
ロンドンを南側に置き、線路を北へ伸ばします。
「ロンドンから、ここまで来て折り返す区間列車は、もうあります。今は駅で折り返せても、本数が増えて、ホームへ置いておけなくなったら、ここにも基地が欲しくなるかもしれません」
今度は駅の南側へ側線を置きました。
ロンドンから来た列車は駅で客を降ろしたあと、来た方向へ本線を戻らなければ基地へ入れません。
「これは嫌です」
どろちゃんは側線を片づけ、駅の北側へ置き直しました。
ロンドンから来た列車模型は、客扱いを終えたあと、そのまま北へ進んで基地へ入ります。翌朝は基地から南へ出て、駅で客を乗せ、そのままロンドンへ向かえます。
「途中駅なら、大原則こっち。ロンドン側じゃなくて北側です」
ロバートっちが、地図の駅周辺を見ました。
「現在すぐ建設する必要はありません。ただ、将来ここへ基地を追加する可能性があるなら、北側のまとまった土地を細かく売ってしまわない方がよいでしょう。入口になる場所も同じです」
「それを付箋にします」
どろちゃんは小さな紙を取りました。
将来、列車本数が増えたときの車両基地候補。
駅の北側を優先。
頭端駅では本線上の回送距離を短くする。
入口になる土地を塞がない。
それだけ書いて鉄道会社の図面へ貼りました。
「いま基地を造れ、という意味じゃないです。必要になったとき、悪い場所しか残っていないのを避けたいだけ」
「線路も駅も、すでに使っておりますからな」
ゴドルフィン男爵が言いました。
「使い始めたからこそ、次に詰まりそうなところが見える、ということでしょう」
「はい。走らせる前より、走らせたあとに分かることもあります」
鉄道技師は嫌そうではありませんでした。
むしろ模型のポイントを自分で一つ動かし、基地への入り方をもう一通り試しています。
鉄道が出来れば、鉄道を好きになる人も出来ます。
そして、鉄道模型が売られれば、会議中にポイントを触りたくなる技師も出来るようでした。
◇ ◇ ◇
大きな土地がほぼ片づいたころ、土地担当者が別の紙を出しました。
「最後に、非常に小さいものが二筆ございます。こちらは今回も、そのままお持ちになる扱いでよろしいでしょうか」
「ロンドン駅の、ボーリングしたところだね」
「はい」
出てきた図面には、ロンドン駅のコンコースが描かれていました。
その中に、小さな四角が二つだけ残っています。
合わせて、およそ百平方メートル。
どろちゃんも、この二筆のことはよく覚えていました。
この二筆を買ったのは、駅の場所が決まる前でした。
ロンドン側の駅をどこへ置くか決めるため、候補地の地盤をボーリングで確かめていたころです。ところが、この二か所だけは土地の持ち主が穴を掘る許可を出しませんでした。
別の場所を調べ直すことは出来ます。
交渉を続けることも出来ます。
ただ、そのころのどろちゃんは鉄道工事を急いでいました。
そして少し前に、土地や工場の話が止まりそうになると、必要なら自分で買って話を進めてしまうルイ14世陛下を見ています。
「じゃあ、わたしが買うわ」
どろちゃんも真似をしました。
必要なのはボーリングをする小さな区画だけです。値段を確認し、現金で払い、正式に売買の書類を作りました。
その時点では、そこにロンドン駅を建てると決まっていたわけではありません。
ただ、買ってしまえば、自分の土地に穴を掘る許可を自分で出せます。
調査はその日のうちに進みました。
その後、地盤、線形、道路とのつながりなどを比べていくと、駅の位置がそこへ決まりました。
本来なら、駅の本工事へ移るときに鉄道会社が買い取るか、交換するか、何かの形で整理するところです。
けれど、そのころは土地の処理が多すぎました。
鉄道用地の取得。
借地の整理。
相続人が決まらない土地。
消えてしまった地主。
測量図と古い台帳の不一致。
二つ合わせても百平方メートルほどしかありません。誰かがあとで処理するつもりのまま、駅の方が先に完成し、列車まで走り始めました。
しかも、駅の大屋根はその上まで普通に続いています。
地面だけがどろちゃんのものです。
「そこだけ屋根を開けるわけにもいかなかったのでございます」
土地担当者が言いました。
「雨が降るよ」
「はい」
ですから、しばらくの間、コンコースの中に妙な空き地が二つありました。
鉄道会社の床。
どろちゃんの土地。
また鉄道会社の床。
境界だけは正確です。
しばらくは、使い道だけがありませんでした。
けれど、空いたままにしておくのも変なので、どろちゃんは自分で使うことにしました。
「そのままでいいよ。もうお店にしました」
どろちゃんが言いました。
ゴドルフィン男爵が図面から目を上げました。
「二店ともですか」
「はい。一つはピロシキとジャム入りミルクティー。もう一つはエルレンフェルトのアクセサリーです」
土地担当者は、別の書類を確認しました。
「確かに営業しております」
鉄道技師が少し笑いました。
「ずいぶん違う二店ですね」
「客単価も、だいたい千倍違います」
一瞬、会議室が静かになりました。
「千倍?」
「ピロシキを食べたりミルクティーを飲む人と、宝石や真珠やアクセサリーを買う人を比べたら、それくらいになります」
ロバートっちが笑いました。
「同じ面積の土地でも、上に何を置くかで収益はまったく違う、という土地会議らしい実例ですね」
「ピロシキ屋さんも必要だよ。列車を待ってる人は、お腹が空くもの」
「もちろんです」
フランソワさんも笑っています。
こうして、三十平方キロメートルの航空用地を整理する会議の最後に、百平方メートルの駅構内私有地が残りました。
数字だけ見れば、ほとんど誤差です。
けれど、場所はロンドン駅の中です。
小さいから価値が小さいとは限りません。
◇ ◇ ◇
夕方までに、地図の色はずいぶん減りました。
航空施設として残す土地は六か所。
合計、およそ三十平方キロメートル。
ロンドン郊外の一か所は従来どおり。
残り五か所は、都市の大きさ、滑走路長、風、鉄道との接続、神様タンクの配置を見て残します。
不要な借地は終わらせます。
鉄道線に使う土地は鉄道会社へ移します。
ロンドン近郊で、すでに幅を持っているところは三複線分を確保します。
列車本数が増えた場合の追加車両基地候補地には、付箋を付けます。
相続未確定の土地は、無理に今日処理しません。
そしてロンドン駅の中には、百平方メートルほどのどろちゃんの土地が残ります。
土地担当者が、最後に税の見込みを出しました。
「今回の整理がすべて完了すれば、従前より納税額はかなり下がります」
「ほんと?」
「所有面積そのものが減っておりますし、用途の整理も進みますので」
どろちゃんは、今日いちばん分かりやすくうれしそうな顔をしました。
「土地もきれいになって、税金も安くなる」
「そのために何時間も会議をした、と言っても間違いではありませんな」
ゴドルフィン男爵が書類を閉じました。
ただし、今日決まったのは原則です。
境界を測り直す土地もあります。
周辺村と利用条件を決める場所もあります。
相続人を確定させなければならない土地もあります。
鉄道会社が、列車本数の増加に合わせて追加の車両基地が必要か、必要ならどの規模にするかを決めるのも、これからです。
仕事は来年まで続きます。
それでも、何を残し、何を手放し、何を鉄道へ渡すのかは決まりました。
会議室を出たあと、どろちゃんたちはロンドン駅へ寄りました。
大屋根の下には、たくさんの旅客がいます。
その中に、二軒だけ、地面からどろちゃんの店があります。
一方では、揚げたてのピロシキから湯気が上がっていました。
ジャム入りミルクティーもあります。
もう一方の店では、照明の下でエルレンフェルトのアクセサリーが光っています。
値札の桁は、隣の店とはずいぶん違いました。
「土地って、変だね」
どろちゃんが言いました。
「三十平方キロメートルを減らす話をしたあとで、百平方メートルを残して喜んでおりますものね」
フランソワさんが答えました。
「だって、ここは便利だもの」
「それが、いちばん強い理由かもしれません」
ロバートっちは、ピロシキの店を見ました。
「会議の続きは、あちらでいたしましょうか」
「もう会議は終わったよ」
「では、反省会です」
「それならいいね」
三人は、どろちゃんの土地へ入りました。
正確には、ロンドン駅の大屋根の下にある、ほんの小さなどろちゃん所有地です。
今日、何十平方キロメートルもの土地を整理したあとに残った場所としては、ちょうどよい大きさでした。
*
第105章の小さな説明
【土地取得と整理】
英国での航空測量では、一時的に使う牧草地や畑は所有者と条件を決め、使用料を払って借りていました。一方で、長期の航空拠点として与えられた土地もあります。今回の整理では、借地、所有地、鉄道へ転用する土地、相続関係が未確定の土地を同じ扱いにせず、それぞれ分けて処理しています。
【六つの飛行場】
整理後のどろちゃん所有航空用地は六か所、合計約三十平方キロメートルです。大都市では四千メートル級の主滑走路と横風用滑走路を確保できる土地、中規模都市では二千八百メートル程度、小さな町では千二百メートル程度を基本にしています。土地を確保することと、今すぐ全長を舗装することは同じではありません。
【神様タンク】
本作では、滑走路を廃止すると、その場所の神様タンクもなくなります。そのため、飛行場を残すかどうかは滑走路利用だけでなく、航空路全体の給油・退避拠点としての価値も含めて判断します。
【三複線と車両基地】
ロンドン―エディンバラ間の鉄道はすでに開通し、現在の複線を列車が走っています。ロンドン近郊で既に幅のある土地を持っている場所では、将来の線増を考えて三複線、すなわち六線分まで広げられる用地を残します。残り四線を今すぐ建設するのではなく、都市化後に土地を買い戻す困難を避けるためです。車両基地についても開通前の建設計画ではなく、列車本数が増えて駅だけで折返し列車をさばきにくくなった場合の追加用地です。途中駅ではロンドン側へ長く逆行しなくて済むよう原則として北側、頭端駅では本線上を戻る距離をなるべく短く出来る位置を優先します。
【メルクリンの模型】
この世界では鉄道の発達に伴って、すでに鉄道好きと市販の鉄道模型が生まれています。どろちゃんは以前、ロンドンのおもちゃ屋でメルクリンの車両、レール、ポイント、駅などを見つけて購入しており、今回はそれを会議の説明用に使っています。
【ロンドン駅の二筆】
ロンドン駅の位置がまだ確定していなかった時期、候補地のボーリング調査をしようとしたところ、二か所の元所有者が掘削を許可しませんでした。工事を急いでいたどろちゃんは、ルイ14世のやり方を真似て「じゃあ、わたしが買うわ」と小区画を現金で正式に購入し、自分の土地として調査を進めました。その後そこに駅が造られましたが、所有権整理が後回しになったため、合計約百平方メートルだけが駅コンコース内の私有地として残りました。現在はピロシキとジャム入りミルクティーの店、エルレンフェルト・アクセサリー店として使われています。
どろちゃんの名前ですが、愛称どろちゃんはいつも同じ
転生前の15歳飛び級天才少女のロシア人少女の名前は、カタカナでドロテーヤ
転生後の15歳で亡くなった子爵の娘は、ドロテーアとドロテアの中間くらいがナーロッパ共通言語です。まあドイツ語読みですが。仮に英語があればドロシーです。
どろちゃんが、認識している(自分がどっちモードか)で、カタカナ表記は揺れます。
それで、呼ばれたときのどろちゃんの位置がわかります。相手がドロテーアって呼んでいてもロシア少女時代のような思考をしているときは、本人にはドロテーヤってきこえています。
これは、ナーロッパ共通言語なので仕方ないことです。
おおほうせんか と オオホウセンカ が同類の別品種で仕方ないのでひらがなとカタカナで区別しているのと同様です。




