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11空の道を、地図に引きます。おじいさまのお見舞いです。

第十一章 空の道を、地図に引きます


どろちゃんは子爵家の娘です。


家族の手紙を届けたり、お姉様のところへケーキを運んだりする、ごく普通の十五歳の女の子です。


ただ一つ普通でなかったのは――


その朝、伯爵領の格納庫へ、ロケット機を発進させる設備の設計図を置いて帰ろうとしていたことでした。


◇ ◇ ◇


お姉様がレーィカちゃんで川を越えた翌朝。


どろちゃんは、できたばかりの格納庫の机へ、三組の設計図を広げました。


一つは、小鳥ちゃんを載せて走る発進用スレッド。


一つは、そのスレッドをまっすぐ走らせる発進レール。


もう一つは、小鳥ちゃんを持ち上げ、スレッドへ載せる門型クレーンです。


伯爵様は、二号機の図面だと思っていました。


「これは、レーィカちゃんの二号機ではないのか」


「二号機は、昨日使った型板と治具で作れます。これは別の子のためです」


「別の子」


「小鳥ちゃんです」


どろちゃんは、小鳥ちゃんの横から見た図を見せました。


細い胴体。


前へ開いたり、後ろへたたんだりする翼。


胴体の下へ並ぶロケットユニット。


伯爵様は、昨日の夜、三号機の話はまだ聞かないことにしました。


ところが翌朝には、三号機ではなく、音より速く飛ぶ機体の地上設備を渡されました。


聞かないことにした質問は、答えの方からやって来ることがあります。


職人さんたちは図面を囲みました。


どろちゃんは、クレーンの柱を地面へ深く固定すること、レールの左右高さをそろえること、スレッドが途中で横へ逃げないことを説明しました。


作業の説明ですから、頭の中の技師さんたちの声も短くなります。


――レール間隔、全長で確認。


――クレーン荷重は機体重量だけで見ない。吊り上げ時の衝撃を含める。


――停止端に人を立たせない。


――スレッドの走行試験は、最初に空荷。次に重り。機体は最後。


どろちゃんが、そのまま職人さんたちへ伝えました。


伯爵様は図面の端へ署名しました。


「これで、わが領地にも小鳥ちゃんが来るのか」


「設備が完成して、風がよくて、私が飛んで来れば」


「最後の条件は、設備ではどうにもならないな」


「私が決めますからね」


伯爵様は、たいへん正しい順番だと思いました。


昼前、どろちゃんはタドポール君へ乗りました。


お姉様とレーィカちゃん、伯爵様、子どもたち、職人さん、昨日までゴム索を引いていた領兵さんたちが見送ります。


「また明日も来るの?」とお姉様が尋ねました。


「今日は帰るよ。次は、小鳥ちゃんの設備を見に来ます」


『どろちゃん、また来てね』


レーィカちゃんの声は、どろちゃんにしか聞こえません。


「うん。お姉様の練習も見に来るね」


タドポール君は丘の斜面を走り、静かに地面を離れました。


伯爵領と子爵領のあいだは、およそ百キロメートルあります。


馬車なら、途中で夜になります。


タドポール君なら、夕食までに帰れます。


空を飛ぶ道具ができても、家族の夕食の時刻は、あまり変わりませんでした。


◇ ◇ ◇


子爵家へ戻ると、お母様が書斎にいました。


机の上には、一通の手紙が置かれています。


封蝋には、お母様の実家である男爵家の印がありました。


「おじいさまのお具合がよくないの?」


どろちゃんが尋ねると、お母様はうなずきました。


おじいさまは、すでに男爵家の仕事をおじさまへ譲っています。


最近は寝台で過ごす時間が増え、食事も少なくなっていました。


すぐに命が危ないという手紙ではありません。


けれど、会えるうちに会っておいた方がよい、と書かれていました。


「馬車を用意しよう」とお父様が言いました。


男爵領までは、街道を通れば何日もかかります。


川を渡り、森を回り、宿場で馬を休ませなければなりません。


お母様は、実家へ嫁入り前と同じ道が残っていることを知っていました。


ただし、その道を今すぐ通りたいとは思いませんでした。


「私が連れて行きます」と、どろちゃんが言いました。


お父様とお母様は、同時にどろちゃんを見ました。


「タドポール君の後席へ、お母様を乗せます」


お母様は、窓の外の丘を見ました。


自分の娘が空を飛ぶところは、何度も見ています。


娘が空から帰ってくるところも見ています。


自分が乗るところだけは、まだ見たことがありません。


「私も、あれに乗るの?」


「後ろ向きの席だけれど、前を見る鏡があります」


「どうして後ろ向きなのかしら」


「技師さんたちが、その方が面白いと思ったから」


たいへん正確な説明でした。


お父様は、すぐに許可しませんでした。


「いきなり二人で百五十キロメートル飛ぶのか」


「先に私だけで行きます。地形と着陸場所を見て、手紙を落として、帰りに二人で離陸できる斜面も確かめます」


「百五十キロメートルを往復するのだな」


「三百キロメートルです」


言い直すと、少し遠くなったように聞こえます。


実際には、言い直す前から同じ距離でした。


◇ ◇ ◇


飛ぶ前に、地図を作ることになりました。


現代のような測量図も、空から撮った写真もありません。


そこで、お母様の記憶と、古い街道図と、男爵領へ何度も行った御者や使用人の話を集めました。


大きな紙が、食堂の長い机へ広げられました。


お母様が、子爵領から南東へ延びる街道を描きました。


「最初に、この川を渡ります」


「橋はどこ?」


「街道の町の西側。大きな水車があったわ」


年長の御者が、川の曲がりを少し直しました。


「奥様、水車は橋の東です。西にあるのは染物小屋でございます」


「そうだったかしら」


「嫁がれてから、ずいぶん経ちましたから」


お母様は、少しだけ御者をにらみました。


記憶が古くても、川と町が数年で別の場所へ移るわけではありません。


水車が建て替えられることはあります。


森が少し広がることもあります。


けれど、山は来年までに隣の領地へ引っ越しません。


川も、今週のうちに百キロメートル移動することは、たぶんありません。


地図には、大きな目印が順番に描かれました。


子爵領の丘。


二つの川が合流する場所。


城壁と二本の教会塔がある町。


長い森の北端。


白い岩肌が見える丘。


三本の街道が分かれる宿場。


そして、男爵家の屋敷と、その周囲に広がる牧草地。


「まっすぐ行けば、これくらいね」


お母様が、子爵領と男爵領を一本の線で結びました。


どろちゃんは、その線を少し曲げました。


「どうして遠回りするの?」


「ここは森が長く続いているから」


「上を飛べばいいでしょう」


「飛べるよ。でも、ジェットが止まっても降りられる場所がある方を通ります」


タドポール君には、小さなジェットエンジンがあります。


けれど、飛行計画は、ジェットがいつでも動くと思って作ってはいけません。


飛行機は、動く装置より、動かなくなったときの場所を先に考えます。


どろちゃんは、二十から三十キロメートルごとに目印を選びました。


最初の川の合流点までは、約二十五キロメートル。


二本塔の町まで、さらに三十キロメートル。


長い森の端まで二十五キロメートル。


白い丘まで三十キロメートル。


そこから男爵領まで、約四十キロメートル。


全部を足すと、約百五十キロメートルです。


「目印の間が、空の道になるのね」とお母様が言いました。


「うん。でも、道が見えるわけではないよ」


街道なら、車輪の跡があります。


橋もあります。


宿場もあります。


空には、誰かが先に通った跡が残りません。


ですから、川、町、森、丘を順番に見つけ、自分の位置を確かめます。


どろちゃんは、それぞれの区間へ、予定時間を書きました。


出発から十五分で最初の川。


三十五分で二本塔の町。


一時間ほどで長い森の端。


一時間十五分で白い丘。


一時間半で男爵領。


風がなければ、そのくらいです。


風が横から吹けば、機首を少し風上へ向けなければなりません。


機首が向いている方向と、地面の上を進む方向は、同じとは限りません。


「斜めを向いたまま、まっすぐ進むの?」とお母様が尋ねました。


「川を渡る舟と同じ。流される分だけ、上流へ向けるの」


お母様には、その説明の方が分かりやすかったようです。


地図の余白には、予備の着陸場所も記しました。


川沿いの広い草地。


収穫後の畑。


修道院の南にある放牧地。


白い丘の手前にある長い谷底。


森と森の間にある開けた場所。


ただし、上から広く見えても、溝や石垣があるかもしれません。


地図の丸印は、「必ず降りられる場所」ではありません。


「上から、もう一度よく見る場所」です。


どろちゃんは、飛行中に見るための細長い経路表も作りました。


目印。


予定時刻。


次の方角。


その地点を通るときに残しておきたい高さ。


その先で降りられる場所。


大きな地図を操縦席へ広げることはできません。


ですから、必要な部分だけを細い紙へまとめ、計器盤の横へ固定します。


「地図を小さくしたの?」とお父様が尋ねました。


「飛ぶ順番だけを抜き出したの」


大きな地図は、考えるために使います。


小さな経路表は、飛びながら確かめるために使います。


机の上と空の上では、紙の役目も違いました。


◇ ◇ ◇


次に、荷物を考えました。


本番では、お母様が後席へ座ります。


着替え、寝間着、洗面道具、おじいさまへの小さなお土産まで後席へ積めば、お母様の座る場所がなくなります。


座る場所が残っても、二人乗りの機体は、それだけ重くなります。


そこで、着替えなどは偵察飛行のときに先に届けることになりました。


小鳥ちゃんには、胴体の下へ投下容器を付ける中央パイロンがあります。


その仕組みを小さくし、タドポール君の重心に近い胴体下へ、着脱式のパイロンを追加してありました。


最初に地上で荷重を掛けます。


次に、子爵領の誰もいない草地で、古い布を詰めた容器を落としました。


容器は機体へ当たらず離れ、小さなパラシュートを開き、草の上へ降りました。


――投下前、下方確認。


――旋回中に落とさない。


――人、家畜、建物の上では投下しない。


――投下後、機体姿勢と操縦感覚を確認。


技師さんたちの声は、試験中なので硬いままです。


どろちゃんは、一つずつ確かめました。


本番の投下容器には、お母様とどろちゃんの着替え、寝間着、洗面道具、小さな手土産が入れられました。


壊れやすい物はありません。


衣服は、空から落ちても、たいてい衣服のままです。


ただし、泥の中へ落ちれば洗濯物になります。


そのため、容器には大きな白と青のパラシュートが付きました。


通信筒は別です。


手紙を革で包み、細い金属筒へ入れ、見つけやすい長い赤布を付けます。


最初に通信筒を落とし、男爵家の人たちに説明を読んでもらう。


理解したら、牧草地へ白い布を三枚並べてもらう。


それを見てから、着替えの容器を落とします。


空から荷物を届けるにも、受け取る人との相談が必要です。


相談より先に荷物だけ降ってくると、たいてい驚かれます。


◇ ◇ ◇


偵察飛行の日は、朝から雲が少なく、風も弱い日でした。


どろちゃんは一人で前席へ乗りました。


後席は空いています。


胴体の下には、着替えを入れた投下容器があります。


通信筒は、操縦席の横へ固定しました。


タドポール君へ燃料を入れ、地図と経路表を確認します。


「今日は百五十キロメートル行って、帰ってくるよ」


『三百キロメートルだね』


「往復で言わなくていいよ」


『帰ってくるところまでが飛行だから』


タドポール君は、たいへん正しいことを言いました。


ジェットが始動しました。


細い笛のような音が高くなります。


タドポール君は丘を下り、草地の先から空へ上がりました。


最初は、地図に描かれた川の合流点を目指します。


どろちゃんは方位磁針を見ました。


風は西から少し吹いています。


予定の線から東へ流されないよう、機首をわずかに西へ向けました。


タドポール君は、地面に対しては南東へ進みます。


機首の向きと、進む向きが少し違います。


空には車輪の跡が付きませんから、誰にも曲がっているようには見えません。


十五分ほどで、大きな川が見えました。


けれど、予定していた合流点は、機首の少し左にあります。


「少し東へ流されたね」


『上では、西風が地上より強いよ』


どろちゃんは経路表へ、小さく書き込みました。


上空の風、西から強め。


次の区間では、もう少し風上へ向けます。


川の合流点を翼の下へ置き、時刻を記しました。


予定より二分遅れです。


二分なら問題ありません。


二分ずつ五回遅れれば、十分になります。


小さなずれは、小さいうちに直します。


二本塔の町は、遠くからよく見えました。


城壁の中に、二本の高い塔が並んでいます。


地図には町の北を通る予定線を引いていました。


実際には、町の南側に広い畑があり、もしものときに降りやすそうでした。


どろちゃんは町の南を通る線へ、経路を少し変えました。


塔は位置を確かめるために使います。


塔の真上を飛ぶ必要はありません。


町の人たちは、白い翼とジェットの音に気づき、広場から空を見上げました。


どろちゃんは手を振りませんでした。


地図と風と次の森を見ています。


空を飛ぶ人は、地上から見るより忙しいことがあります。


長い森が見えてきました。


地図では、街道が森の中央を通っています。


上から見ると、木々は地図より西へ広がり、街道は途中で見えなくなりました。


森の上には、すぐに降りられる場所がありません。


どろちゃんは森へ入る前にジェットの出力を上げ、高さを取りました。


「この高度なら、もし止まっても向こうの草地へ届くね」


『うん。右にも小さな谷があるよ』


「地図にはないね」


『地図は木の下を見られないから』


森を越えるあいだ、地面は濃い緑の固まりになりました。


畑のような畝も、町のような道も見えません。


どろちゃんは速度と方位を保ちました。


高く飛ぶことは、景色をよく見るためだけではありません。


降りられない場所を、降りずに越えるためでもあります。


森の向こうで、白い丘が光っていました。


岩肌が出ているため、曇っていても見つけやすそうです。


地図に描いた位置より、少し北でした。


どろちゃんは時刻と方向を修正しました。


白い丘を越えると、地面は広い牧草地へ変わりました。


細かな畑より、緑の面が多くなります。


牛や羊の群れが、白や茶色の点に見えました。


男爵領です。


◇ ◇ ◇


お母様の実家は、低い丘のそばにありました。


大きな城ではありません。


母屋、納屋、厩舎、使用人の建物がまとまり、その周囲に牧草地が広がっています。


どろちゃんは、まず屋敷の上を高く通りました。


庭にいた人々が空を指さしました。


次に高度を下げ、屋敷から少し離れた草地を一度通過します。


通信筒を落とす場所を選びます。


屋根の上はいけません。


人の近くもいけません。


井戸へ入っても困ります。


庭の外にある、刈られた草地が空いていました。


「通信筒、落とすよ」


『下に人はいない』


どろちゃんは通信筒を外へ出しました。


長い赤布が風を受けます。


筒は少し後ろへ流れ、刈られた草地へ落ちました。


赤布が草の上に伸びました。


男爵家の使用人が走っていきます。


どろちゃんは高度を上げ、屋敷の周囲を大きく旋回しました。


そのあいだに、牧草地を見ます。


地図では、屋敷の西側が緩い斜面になっていました。


実際には、途中に石垣と細い水路があります。


着陸はできても、二人乗りで長く走ることはできません。


北側には、もっと長い牧草地がありました。


上の端から下の端まで、六百メートル以上あります。


高低差は大きくありません。


けれど、機体が重いときには、緩い下りでも加速を助けます。


斜面の先には、低い柵があります。


外してもらえば、その先にも平らな草地が続きます。


西端には大きな木が二本あります。


着陸進入では避けられますが、風向きによっては邪魔になります。


どろちゃんは、北牧草地の上を方向を変えて何度も通りました。


一本目は、斜面の向き。


二本目は、長さ。


三本目は、柵と石。


四本目は、屋敷までの道。


五本目は、機体を一晩置ける納屋の前。


『降りられそうだね』


「降りるだけならね」


『二人で帰るなら、朝の風が変わるまで見たい』


「日の出のあと、四時間くらい待って、この斜面を上る風になればいいね」


夕刻の東向き斜面には、高い方から斜面を下る弱い風がありました。


太陽が西へ傾くと、東向き斜面は谷間より早く日陰になります。地面が冷え始めると、その上の空気も冷え、斜面に沿って下へ流れます。


到着時には、その風へ向かいながら、斜面を上るように着陸できます。向かい風と上り斜面の両方が、着陸後の速度を減らしてくれます。


翌朝は、日の出直後にはまだ斜面を下る風が残ります。その状態で下り斜面へ発航すれば追い風になるので、飛びません。


日の出からおよそ四時間待ち、東向き斜面が谷間より十分に温まり、空気が斜面を上る向きへ変わったことを確かめてから、反対向きの下り斜面を向かい風で発航します。


毎日必ずそうなるわけではありません。


ですから、通信筒の手紙には、夕刻の風向きと、日の出から一時間ごとの風向きを、長い布で確かめてもらうよう書いてありました。


しばらくすると、屋敷の前へ白い布が一枚出ました。


次に二枚目。


最後に三枚目が並びました。


手紙を読み、合図を理解したようです。


どろちゃんは投下容器の安全止めを外しました。


――投下区域、確認。


――人員退避。


――機体、水平。


――速度、規定内。


――投下。


どろちゃんがレバーを動かすと、胴体下の容器が離れました。


一瞬だけ、黒い細長い箱のように落ちます。


次に蓋が開き、白と青のパラシュートが大きく広がりました。


容器はゆっくり揺れながら、北牧草地の中央へ降りました。


着地すると、パラシュートが草の上へ倒れます。


使用人たちは、機体が遠ざかるまで近づきませんでした。


手紙の指示どおりです。


『着替えの方が、先に里帰りしたね』


「着替えは、緊張しないからね」


お母様とどろちゃんは、まだ子爵領にいます。


寝間着と着替えだけが、先に男爵家へ着きました。


空からの訪問では、人より荷物の方が先に着くこともあります。


どろちゃんは北牧草地の位置と向き、目立つ木、柵、屋敷までの距離を地図へ書き込みました。


それから翼を振り、男爵領を離れました。


今日は着陸しません。


偵察飛行は、着陸して歓迎を受けるための飛行ではありません。


次に安全に着陸するための飛行です。


◇ ◇ ◇


帰り道では、太陽の位置が変わっていました。


同じ地形を反対から見ると、別の場所のように見えます。


白い丘は、帰りにもよく見えました。


長い森は、こちら側から見ると、途中に細い草地が一本通っていることが分かりました。


二本塔の町は、塔が重なって一本に見える方向があります。


どろちゃんは、それも地図へ書きました。


目印は、どこから見ても同じ姿とは限りません。


往路では二本に見えた塔が、帰路では一本に見えれば、知らない町だと思うかもしれません。


川の合流点を過ぎるころには、午後の風が少し強くなっていました。


行きより地面の流れが速く見えます。


追い風です。


タドポール君は、予定より少し早く子爵領へ戻りました。


丘の草地へ着陸すると、お父様、お母様、執事、使用人たちが待っていました。


「どうだったの?」


お母様が、どろちゃんのベルトを外すより先に尋ねました。


「着陸できる牧草地がありました。帰りに使える緩い斜面もあります。着替えも届きました」


「私より先に?」


「うん。白と青のパラシュートで」


お母様は、自分の寝間着が空から実家へ戻ったところを想像しました。


嫁いだときは、大きな衣装箱を馬車へ積みました。


今度は、着替えだけが先に空から降りました。


長く生きていると、同じ実家へ帰る方法も変わることがあります。


◇ ◇ ◇


夕食のあと、修正した地図が、もう一度机へ広げられました。


どろちゃんは、偵察飛行で確かめたことを説明しました。


最初の川の合流点は、地図より少し東。


二本塔の町は、南側を通る方が安全。


長い森は地図より広い。


白い丘は、よい目印。


男爵領では北牧草地を使う。


到着は夕刻。


斜面を下る弱い風へ向かい、緩く上る方向へ着陸する。


帰りは翌日。日の出直後には飛ばず、四時間ほど待つ。


斜面を上る弱い風へ向かい、下り方向へ発航する。向かい風と下り斜面を利用し、二人乗りに必要な対気速度を得る。


風が合わなければ、待つ。


「いつまで待つの?」とお母様が尋ねました。


「飛べるまで」


「おじいさまのところへ、何日いてもいいの?」


「いつでも来られるから、一泊して、次の日に戻る予定。でも、天気が悪ければもう一泊します」


お母様は、その答えに安心しました。


娘は空を飛びます。


けれど、空を飛ぶからといって、必ず予定どおり帰らなければならないわけではありません。


おばあさまには、看病を手伝う使用人さんがいます。


おじさまも男爵家にいます。


お母様が看病疲れしたおばあさまを救いに行くのではありません。


おじいさまへ会い、おばあさまと話し、一晩ゆっくり過ごすために行くのです。


急ぐのは、会いに行くまでです。


着いたあとは、急がなくてよいのでした。


次に、お母様の座席を準備しました。


後席は後ろ向きです。


左右の鏡を調整すると、前方の景色と、どろちゃんの目の一部が映ります。


風の音が大きくても話せるよう、前席と後席の間には、短い伝声管が付けられました。


電気を使わない、細い管です。


片方で話すと、もう片方の耳元へ声が届きます。


「気分が悪くなったら、すぐ言ってね」


「ならないと思うわ」


「なるかもしれないと思って準備するの」


座席の横には、小さな金属製の魔法瓶を固定しました。


蓋付きの小さな茶碗。


布袋に入れたビスケット。


飛行中に使わないときは、どれも留め金で固定されます。


「お茶まで持っていくの?」


「緊張して何も食べないと、余計に気分が悪くなるから」


「私は子どもではありません」


「だから、自分でビスケットを食べられるね」


お母様は、反論する代わりに一枚食べました。


飛行前のビスケットは、すでに役に立ち始めています。


荷物は男爵領へ届いています。


後席に必要なのは、お母様と、お茶と、ビスケットだけです。


どろちゃんは、お母様の体重、茶器、残った小さな手荷物を表へ書きました。


二人で乗れば、タドポール君は一人のときより重くなります。


離陸には長い距離が必要です。


上昇は少し緩くなります。


着陸でも、速度を少し多く残します。


けれど、タドポール君は最初から二人乗りに作られています。


後席が後ろ向きなのは、技師さんたちの趣味です。


二人乗れることまで趣味だけで決めたわけではありません。


『お母様と飛ぶの、楽しみだね』


タドポール君が言いました。


「うん。でも、お母様には聞こえないよ」


『どろちゃんが伝えて』


どろちゃんは、お母様へ言いました。


「タドポール君も、楽しみにしているって」


「それなら、私も楽しみにしていると伝えて」


どろちゃんは伝えました。


タドポール君は、少しうれしそうに主翼を揺らしました。


最後に、飛行計画を読み合わせました。


出発は昼過ぎ。男爵領への到着は夕刻。


最初の川。


二本塔の町。


長い森。


白い丘。


男爵領。


片道、約百五十キロメートル。


予定時間、一時間半。


途中で雲が低くなれば引き返す。


風が強くなれば、地図へ記した草地へ降りる。


男爵領の風向き布が予定と違えば、上空で待つか、着陸せず帰る。


どろちゃんは、細長い経路表を計器盤へ固定しました。


お母様は、大きな地図の終わりにある、実家の印へ指を置きました。


「明日、お父様に会えるのね」


「うん。一時間半で」


お母様が何日もかけて通った街道は、空の上では一時間半になりました。


ただし、その一時間半を安全に飛ぶために、地図を描き、話を聞き、三百キロメートルの偵察飛行をし、着替えを先に空から届けています。


空の近道は、何も考えなくてよい道ではありません。


空には道がありません。


ですから、飛ぶ人が先に道を作るのです。


お母様が初めてタドポール君へ乗るお話は――また次回です。


◇ ◇ ◇


第十一章の小さな説明


クロスカントリー飛行


グライダーで、出発地点の近くを旋回するだけでなく、離れた目標地点まで飛ぶことをクロスカントリー飛行と呼びます。


純粋なグライダーでは、上昇気流、斜面上昇風、雲の下で上る空気などを利用し、高度を取り戻しながら進みます。タドポール君は小型ジェットを持つモーターグライダーなので、自力で高度を取り戻せます。ただし本作のどろちゃんは、ジェットが止まっても着陸できる場所が残るように経路を選んでいます。


地図と目視航法


この世界には、精密な航空図も衛星測位もありません。


そこで、川の合流点、城壁の町、教会塔、森の端、白い岩の丘、街道の分岐など、上空から見つけやすく、急には移動しない地形や建物を目印にします。


目印と目印の間について、方角、距離、予定時間を決めます。飛行中は、実際に通過した時刻と見え方を確認し、予定とのずれを小さいうちに修正します。


地上の道をたどる航法ではなくても、川や街道はたいへん役に立ちます。ただし、森の中へ入った街道は上空から見えなくなり、二本の塔も見る方向によって一本へ重なることがあります。


針路と航跡


機首を向けている方角を針路、地面の上を実際に進む線を航跡と考えます。


横風があれば、機体は風下へ流されます。そこで、舟が川の流れへ少し逆らって上流を向くように、機首を風上へ向けます。機首は斜めを向いていても、地面に対しては予定した線を進めます。


本章では、偵察飛行で上空の西風が地上より強いことを知り、次の区間から風上へ向ける量を増やしています。


高度の余裕と代替着陸地


森、町、水面など、すぐに降りられない場所へ入る前には、高度の余裕を作ります。


どの地点で、どの草地まで滑空できるかを考え、経路の近くへ複数の代替着陸地を選びます。ただし、手描き地図で広く見える場所にも、実際には溝、石垣、家畜、湿地があるため、最終判断は上空から行います。


百五十キロメートルと一時間半


片道約百五十キロメートルを一時間半で飛ぶと、平均対地速度は約時速百キロメートルです。


上昇、滑空、経路修正を含めた平均値です。向かい風では時間が増え、追い風では短くなります。そのため、各目印の予定通過時刻を設け、遅れが積み重なっていないか確認します。


偵察飛行


着陸予定地は、降りられるだけでは不十分です。


二人乗りで再離陸できる長さと勾配、斜面の先の障害物、柵、石、家畜、風向き、一晩機体を置く場所まで確認します。


本章では、夕刻、日陰になって冷え始めた東向き斜面を下る弱い風に向かい、上り方向へ着陸します。


翌日は早朝には離陸しません。日の出直後には斜面下降風が残り、下り方向への離陸には追い風となるためです。日の出から約四時間待ち、東向き斜面が谷間より十分に温まり、斜面を上る風へ変わったことを確認してから、下り斜面を向かい風で発航します。


着陸も離陸も向かい風を使います。風が予定どおりに変わらなければ、さらに待つか、もう一泊します。


パイロンとパラシュート投下


お母様が後席へ乗るため、着替えなどは偵察飛行で先に届けました。


タドポール君には、小鳥ちゃんの投下設備を参考にした着脱式中央パイロンを追加しています。投下容器は重心に近い位置へ取り付け、離れた直後に機体へ当たらないことを試験してあります。


通信筒を先に落とし、地上から白布三枚の合図を受けてから、衣類を入れた容器をパラシュートで投下しました。人や家畜の上では投下しません。


荷物を先に送ることで、本番の二人乗り飛行では機体を軽くし、後席をお母様とお茶とビスケットのために使えます。

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