特別編 エルレンフェルト会議 時間軸の関係で特別編です。このお話では極めてまれな海戦シーンがあります。
特別編 エルレンフェルト会議
エルレンフェルトへ、四つの国から人が集まりました。
海軍士官、造船官、砲術を担当する人、機関技師、港湾設備の担当者。招待状を見ても、最初は何の会議なのかよく分からなかった人もいました。
軍艦を一隻、共同で設計する会議ではありません。新しい砲を売る会議でもありません。まして、どろちゃんが各国の海軍へ命令をするためのものでもありません。
題目は、大型鋼製船舶の構造、安全、機関、砲配置、航海設備について。
けれど、会議室へ入った人たちは、すぐに地味な会議ではないことに気づきました。
部屋の中央には、大きな船体模型がありました。木造船、鉄板を貼った船、完全鋼製船体を想定した船。中央を切って内部構造が見える模型もあります。
壁には船体断面図、水密区画、二重底、砲塔、弾庫、ボイラー、発電機、推進電動機、煙路、操舵系統、射撃指揮所。かなりの数の図が並んでいました。
どろちゃんは、会議の最初に言いました。
「同じ船を作ってください、という会議じゃないよ。それぞれの国で必要な船は違うでしょう。でも、今より強くて、安全で、壊れても帰ってこられる船にできるなら、その方がいいと思うの」
四か国の人たちは静かに聞いていました。
「それから、エルレンフェルトで使っている全部の技術を出すわけではありません。特に、トンネル工事で使っている炸薬については説明しません。今日は船の話です」
そこは最初にはっきりさせました。
軍用に使える高性能炸薬の情報は出しません。各国が持っている黒色火薬をどう使うかまで、どろちゃんが決める必要もありません。
どろちゃんが話したいのは、船の作り方でした。
◇ ◇ ◇
最初の話は、鋼でした。
鉄板を木造船へ貼るだけではありません。船体そのものを鋼で作ります。外板、骨組み、甲板、隔壁。必要なところへ必要な強さを持たせます。
「鋼だから、何をしても壊れないわけじゃないよ」
どろちゃんは長い船体模型を持ち上げました。
「船は水に浮いてるけど、全部が同じように支えられてるわけじゃないの。波の山がここに来ることもあるし、谷が来ることもあるでしょう」
模型の下へいくつかの支えを置きます。船首と船尾を支え、中央を浮かせる。次に中央だけを支え、船首と船尾を浮かせる。
「船は縦にも曲げられるから、船体全体を長い梁だと思って考えてね」
鋼板を厚くすればよい、という話ではありません。どこへどれだけ材料を置くか。どこで力を受けるか。船体が波の中でどう変形しようとするか。それを考えます。
小型船の船首については、特に時間を使いました。
船首を高く、大きく作り、何が何でも波をかぶらないようにする。それだけが安全ではありません。
「小さい船は、ちゃんと防水できるなら、荒れた海では波をかぶった方がいいこともあるよ」
何人かが顔を上げました。
「波を全部押し返そうとすると、今度は船首をものすごく持ち上げようとするでしょう。船首だけ浮力を欲張ると、船の真ん中を曲げる力が大きくなることがあるの」
甲板へ波が来ることを前提にする。開口部を減らす。水密扉やハッチをきちんと閉じる。甲板へ上がった水がいつまでも残らないようにする。
「甲板が濡れることより、中へ入ることの方が困るからね」
舷窓も同じでした。
戦闘艦の水線近くへ、たくさん穴を開ける必要はありません。暗いなら電灯を使います。空気が悪いなら送風します。海が荒れたときに、栓を忘れた窓から海水が入るような船を作らない。
完全鋼製船体にするなら、もう一つ忘れてはいけないものがありました。
どろちゃんは、小さな灰色の金属片を机へ置きました。
「亜鉛です」
船体模型の水線下へ、いくつか取り付けます。
「船の鉄や鋼が先に腐らないように、こっちに先に減ってもらうの」
防錆塗装だけには頼りません。
海水の中では、船体、プロペラ、軸、舵、そのほか異なる金属が一緒に使われます。そこで鋼船体と電気的につながるように亜鉛の塊を取り付け、消耗品として交換します。
「船尾の方は特によく見てね。入渠したら、亜鉛がどれくらい減ったかも記録して」
亜鉛の減り方が左右で大きく違えば、それも異常の手掛かりです。
塗装が傷んでいるのか。
別の金属との組み合わせが悪いのか。
電気設備から思わぬ電流が流れているのか。
完全鋼製船体と大電力の電気設備を一緒に使うなら、腐食も一つの機関故障と同じように観察します。
造船官の一人が、模型の船底についた亜鉛を指で触りました。
「これは、定期的に取り替えるのでございますか」
「うん。減るのがお仕事だから、減ってたらちゃんと褒めて、新しいのにしてあげて」
会議室で少し笑いが起きました。
◇ ◇ ◇
次は、復原性でした。
どろちゃんは重りをいくつも用意していました。小さな砲塔、装甲を模した板、上部構造、石炭、予備品。全部模型用です。
船体模型へ一つずつ載せます。
「主砲をもう一基」
載せます。
「装甲をもう少し」
載せます。
「艦橋を高く」
載せます。
「石炭も増やしたい」
載せます。
模型はだんだん重くなりました。そして、上の方へ重りが増えるほど、傾けたときの戻り方が変わります。
「載るから載せる、はやめようね」
どろちゃんは言いました。
「欲張って積みすぎると、船そのものが危なくなるから」
大砲が強くても、少し傾いただけで戻らない船では困ります。装甲が厚くても、荒天で転覆するなら意味がありません。
逆に、復原力を大きくしすぎて猛烈に速く揺れる船も困ります。乗員が立っていられない。砲の照準が続かない。機械にも強い衝撃が入ります。
「強ければ強いほどいい、じゃなくて、ちゃんと使える範囲にしてね」
設計は全部、釣り合いです。
◇ ◇ ◇
水密区画の説明では、二つの透明な模型を使いました。
一つは、船体中央を船首から船尾へ通る隔壁で左右に分けています。もう一つは、前後方向には区切っていますが、一つの区画の中では左右がつながっています。
どろちゃんは、最初の模型の左側だけへ水を入れました。船は大きく傾きました。
次に、左右がつながった区画へ同じくらいの水を入れます。喫水は深くなります。けれど、最初の模型ほど大きくは傾きません。
「片側だけ満水になる区画を、むやみに作らない方がいいと思うの」
水密区画を作らない、という意味ではありません。前後には区切ります。穴が開いても、船全体へ水が広がらないようにします。
しかし、中央の縦隔壁で左右を別々の大きな水槽にしてしまうと、片舷だけ浸水したときに大きな傾斜を作ります。
「傾いたから反対側のバラストへ水を入れて直す、ってやり方だけに頼らないでね。反対側までいっぱいにして、それでも足りなかったら、もう入れる場所がないでしょう」
どろちゃんが重視したのは、穴が開かない船ではなく、穴が開いてもすぐに転覆しない船でした。
二重底も作ります。ただし、二重底を作ったから安全、ではありません。どこへ水が入るか。片側だけ重くならないか。配管が切れたときどうなるか。排水できるか。全部を考えます。
「それから、船は傾くものだと思って機械を選んでね」
この言葉は、機関担当者がよくメモしていました。
ポンプ。潤滑。給水。燃料。発電。冷却。砲塔。弾薬搬送。
平らな床の上でしか働かないものを、軍艦へ載せない。船が傾いたとき、どこまで動くのかを試します。
◇ ◇ ◇
防御の説明では、船全体を同じ厚さで守る案を出しませんでした。
「全部を厚くすると、重くなるでしょう」
どろちゃんは船体断面のいくつかへ印を付けました。
弾庫。機関。操舵。指揮。それを失うと船が戦えなくなる、あるいは帰れなくなる場所です。
「大事なところを決めて、そこを守る方がいいよ」
弾薬庫は特に重要です。
あちこちへ分散させれば、守る範囲も増えます。砲の近くに便利だから、と適当に弾薬を置かない。主要な弾庫をまとめ、防御し、火災と浸水から切り離します。
ただし、砲弾の中身について、どろちゃんは説明しませんでした。
そこは各国の領域です。
◇ ◇ ◇
砲の話になると、会議室の空気が少し変わりました。
各国とも、そこは関心があります。
大口径砲はすでに各地で研究されています。施条砲。滑腔砲。翼で姿勢を安定させる砲弾。いろいろな案があります。
どろちゃんは、砲そのものを一種類に決めませんでした。その代わり、船に積むときの考え方を示しました。
最初は駐退機です。
大きな砲を撃つたびに、その反動を砲架と船体へ直接ぶつけるのではなく、砲側で受け、動きを制御して戻す。その構造と原理を模型で説明します。
それが分かると、砲塔式の話へ進めます。
舷側へ砲をずらりと並べる必要はありません。回転する砲塔へまとめる。連装にする。射界を広く取る。砲員を守る。弾庫との関係を整理する。
「ただし、載せられるだけ載せないでね」
また言いました。
砲塔一基には砲だけでなく、弾薬、装填設備、防御、旋回設備が必要です。重さは全部船の上へ乗ります。
◇ ◇ ◇
主砲を斉射する話では、どろちゃんは黒板へ二つの砲を書きました。
どちらも三十八センチ砲。しかし、一方は四十口径長。もう一方は三十六口径長。
「同じ三十八センチだから同じ、にはしないでね」
口径が同じでも、砲身長が違えば別の砲です。同じ弾を使ったとしても、飛び方が同じになるとは限りません。
「斉射したいなら、同じ仕事をする主砲は同じ形式にそろえた方がいいよ」
主砲は同じ砲。できれば同じ砲架。同じ弾薬。同じ条件で撃つ。
そうして初めて、一斉に撃った弾の落ちた場所を見て、次の照準を直せます。
違う砲が混じっていれば、観測した結果が分かりにくくなります。
副砲についても同じです。用途ごとに整理します。余っているから、と違う形式の砲を何種類も積みません。
◇ ◇ ◇
次に出てきたのは、光学測距儀でした。
距離を目分量だけで決めません。
測る。
測った値を中央へ送る。
自分の船の動き。相手の船の動き。方位。距離。前の斉射の結果。
それらをまとめて、次の射撃を決めます。
各砲塔が、それぞれ勝手に敵を狙うのではありません。船全体で、一つの目標を狙います。
「ここで距離を測って、ここで計算して、各砲塔へ同じ値を送るの」
電信と電気設備があるので、指令を各砲塔へ送ることもできます。
主砲を同時に撃つ。弾着を見る。近かったか。遠かったか。左右どちらへずれたか。次を直す。
砲の数を増やすより、まず当てる方法を整えます。
◇ ◇ ◇
舵については、もっと地味でした。
けれど、どろちゃんはかなり重視しました。
「一つ壊れたら、まっすぐ進むしかなくなるのは困るでしょう」
操舵系統を一つに依存させません。操舵動力、伝達、操作場所。可能なところは二重化します。
主操舵が使えなくなったときに、別の方法で舵を動かせるようにします。
軍艦は戦闘で壊れます。でも、それ以前に機械は故障します。平時の航海でも、舵を失えば危険です。
どろちゃんが説明する安全思想は、戦争のためだけのものではありませんでした。
◇ ◇ ◇
会議の後半、機関模型が運び込まれました。
ここは、エルレンフェルトが説明だけではなく、実物を提供できる部分です。
石炭を燃やします。
ボイラーで蒸気を作ります。
蒸気タービンを回します。
タービンは発電機につながっています。
そこで作った電気を、推進電動機へ送ります。
推進電動機が、プロペラを回します。
どろちゃんは模型の軸を指しました。
「タービンを、プロペラ軸のすぐ前へ置かなくていいの」
タービンはタービンが回りやすい回転数で回します。プロペラはプロペラに合った回転数で回します。間を電気でつなぎます。
機械式の一本の長い軸で全部を縛りません。
発電機を複数にできます。推進電動機も複数にできます。片方の機関室が使えなくなっても、全部止まらないようにできます。
「一つ壊れたら速く走れなくなる。でも、帰ってこられる。そういう方がいいと思うの」
四か国へ、エルレンフェルトから蒸気タービン発電機、配電設備、推進電動機の一式を提供します。
各国で船体を設計し、それに合わせて必要数を決めます。
ただし、どろちゃんはここでも言いました。
「余裕があるからって、発電機をいっぱい積んで、その分また砲をいっぱい積むのはやめてね」
何人かが笑いました。
何人かは笑いませんでした。
◇ ◇ ◇
電気推進にすると、艦内の電化も進みます。
照明。送風。排水ポンプ。補機。通信。砲塔の旋回。射撃指揮。
全部が一つの発電設備から電力を得られます。
ただし、一つの配電盤へ全部を集めて、そこが壊れたら全滅するようにはしません。区画を分けます。回路を分けます。必要なら別経路から送れるようにします。
船体の水密区画と、電気系統の区画も一緒に考えます。
機関配置も変わります。
ボイラー、蒸気タービン、発電機、推進電動機。それぞれを、従来の直結機関ほど一直線に並べる必要はありません。
ただし、何でも好きな場所へ置けばよいわけでもありません。
重量。防御。浸水。換気。冷却。整備。煙路。
全部の条件を合わせます。
煙突の位置も、砲の射界や艦橋の視界を邪魔しないように考えます。
「煙突は、船の上に空いてるところへ立てるものじゃないよ」
どろちゃんが言うと、造船官の一人が苦笑しました。
◇ ◇ ◇
会議は一日では終わりませんでした。
二日目には、各国が持ってきた案を模型の上で検討しました。
ある国は航続距離を重視しました。石炭をたくさん積みたい。
別の国は速力を求めました。
別の国は大きな砲を載せたがりました。
もう一つの国は、浅い港でも使えることを重視しました。
同じ説明を聞いても、欲しい船は違います。
どろちゃんは、それでよいと思っていました。
「同じ船を作る会議じゃないから」
ただし、共通にできるところはそろえます。
補給設備。電気設備の基本規格。接続。曳航。係留。給水。交換部品。救命設備。消防。信号。航海機器。測距と通信の基本方式。
港で修理するとき、別の国の部品がまったく使えない、ということを減らします。
軍艦の秘密まで共通にする必要はありません。でも、港へ入って水も電気もつながらない、というのは困ります。
◇ ◇ ◇
最後の日、どろちゃんは大きな船体模型をもう一度中央へ置きました。
鋼製船体。
二重底。
水密区画。
防御区画。
連装砲塔。
光学測距儀。
中央射撃指揮。
二重化した操舵。
蒸気タービン発電機。
推進電動機。
電気補機。
どれも、どろちゃんが「どれか一つだけ選んでください」と示したものではありませんでした。
「これは、必要なら全部一隻に載せていいよ」
四か国の造船官たちが顔を上げました。
「全部載せたら重くなるから、どれかを外すって意味じゃないの。必要なものは載せるの。でも、四基で足りる主砲を五基にするとか、装甲を厚くできるからって必要以上に厚くするとか、石炭庫がまだ空いてるから満杯にするとか、そういう欲張り方をしないでね」
船を一隻の機械として成立させます。
砲力だけを最大にしません。
装甲だけを最大にしません。
速力だけを最大にしません。
航続距離だけを最大にしません。
必要な設備を全部持ったうえで、復原性、船体強度、喫水、航続距離、速力、防御、砲力を釣り合わせます。
「大きな船になっても、それで必要ならいいの。大きいから悪いんじゃないよ。ちゃんと船として使えるところで止めてね」
それが、どろちゃんの最後の注意でした。
四か国の人たちは、それぞれの帳面を閉じました。
「今より強くて、安全になるのなら、それでいいでしょ」
火災で簡単に失われない。
片側へ浸水しただけで大きく傾かない。
一つの舵が壊れても操船できる。
一つの発電機が止まっても帰れる。
荒天で波をかぶっても、船内へ海水を入れない。
主砲は同じ形式をそろえ、測って、まとめて狙って撃つ。
船底の亜鉛が減っていれば、船体の代わりに働いた証拠として交換する。
会議は終わりました。
四か国の造船官と海軍士官は、それぞれの国へ帰りました。
図面を持って。
計算方法を持って。
共通規格を持って。
そして、エルレンフェルトから届く蒸気タービン発電機と推進電動機の話を持って。
◇ ◇ ◇
同じ説明を聞いても、四か国で同じ船ができることはありませんでした。
航続距離を重視する国。
速力を求める国。
大口径砲を好む国。
浅い港で使えることを大切にする国。
必要な船が違えば、答えも違います。
どろちゃんは、それでよいと思っていました。
そのうちの一つ、イギリスでは、軍艦だけでなく大型の離島連絡船にも、会議で示された考え方が取り入れられました。
排水量は五千トン級。
大きさだけなら軽巡洋艦に近い船です。
けれど、本来の仕事は戦闘ではありません。
人を運びます。
郵便を運びます。
島で必要な貨物を運びます。
燃料も運びます。
自船用だけでなく離島へ届ける分まで扱うため、燃料庫も大きく取られていました。
貨客船を兼ねた、特殊な大型連絡船です。
それでも海上で敵に会う可能性があります。
そのため、船首と船尾に連装主砲塔を一基ずつ置きました。
前部二門。
後部二門。
主砲は合計四門です。
同じ形式の砲をそろえます。
中央部は主砲塔で埋めず、貨物、客室、燃料、機関のために使いました。
副砲もあります。
鋼製船体。
二重底。
水密区画。
電動排水。
二重化した操舵。
蒸気タービン発電。
電動推進。
電灯。
送風。
無線。
光学測距儀。
中央射撃指揮。
そして船底には、交換できる亜鉛の塊が並んでいました。
エルレンフェルト会議で説明されたものを、必要な分だけ一隻へ全部載せた船でした。
◇ ◇ ◇
その船が、単独で離島へ向かっていたときでした。
見張りが帆を見つけました。
一隻ではありません。
何隻もいます。
最初は海賊船団かと思われました。
やっていることだけを見れば、昔ながらの海賊そのものです。
獲物を見つけて追いかけ、囲み、砲撃して、止めて、乗り込んで船と積荷を奪う。
ところが、望遠鏡で旗を確認すると事情が違いました。
国籍を示す旗があります。
軍船であることを示す旗も上がっています。
しかも、その国は少し前にイギリスへ正式に宣戦布告していました。
「海賊ではありません」
旗を確認した士官が言いました。
「交戦国の軍船です」
乗員たちは、少し嫌な顔をしました。
神様が海賊を消してくれるとしても、正式に宣戦布告した国の軍船まで消してくれるわけではありません。
見た目も、やっていることも海賊とほとんど変わらなくても、これは戦争です。
向こうもそれを分かっているのでしょう。
国籍旗も軍艦旗も隠していません。
そして、まっすぐこちらへ近づいてきます。
離島連絡船の船長は、敵船団を見ました。
こちらは一隻。
向こうは多数。
しかし、こちらは木造船ではありません。
「距離」
「およそ五千メートル」
「主砲、射撃準備」
前後の連装砲塔が動きました。
四門とも同じ砲です。
測距儀の数字が中央へ送られます。
射撃諸元を計算し、前後の砲塔へ同じ値を送ります。
砲弾は徹甲弾ではありません。
相手は木造船です。
黒色火薬を詰めた非徹甲弾で十分でした。
「斉射」
四門がほとんど同時に火を噴きました。
砲煙が流れます。
少しして、先頭の敵船で木材と煙が大きく上がりました。
「命中」
初弾でした。
こちらへ向かってくる船団なので、後ろの船も距離はほとんど変わりません。
「次、後ろの艦」
射撃諸元を大きく作り直す必要はありませんでした。
再び四門が撃ちます。
また初弾で命中しました。
相手はなお接近してきます。
砲撃で止まるより、数で押し切って接舷した方がよいと思っているようでした。
距離が二千メートルほどになると、副砲も撃ち始めました。
主砲と副砲が、それぞれ射界へ入った敵船を狙います。
黒色火薬入りの砲弾が木造船体へ入るたび、船そのものが大量の破片になりました。
板。
梁。
甲板材。
帆柱。
樽。
壊れた小艇。
波間は、さっきまで船だった木材でいっぱいになりました。
そこへ、海へ投げ出された人たちがしがみつきます。
破砕された材木は、一時的に救命ブイの役割まで果たしていました。
八隻目が沈んだころ、残った一隻が針路を変えました。
ほかより大きく、旗も目立ちます。
旗艦らしい船でした。
砲撃戦では勝てないと判断したのか、こちらへ船首を向けます。
「衝角を狙っています」
船長は、その船を見ました。
こちらは鋼船です。
相手は木造船です。
ぶつけられても、こちらだけが沈むようなことにはならないかもしれません。
けれど、それは理由になりません。
「わざわざ船をへこませる必要はない」
この船は離島連絡船です。
島では、人と郵便と貨物と燃料を待っています。
敵船を沈めるために自分の外板をへこませ、区画へ注水するようなことになれば、本来の仕事が遅れます。
無傷で着くのが一番です。
「距離」
「千三百メートル」
旗艦は、ほぼ船首方向から近づいてきています。
後部砲塔まで使うために、わざわざ船を横へ向ける必要はありません。
「前部主砲だけでよい。二門」
前部の連装砲塔が向きを合わせました。
「撃て」
二門が発射しました。
三秒ほどでした。
敵の旗艦中央付近で、大きな爆発が起きました。
帆柱が見えなくなり、煙と木片が広がります。
煙が少し流れたときには、もう船の形は残っていませんでした。
九隻目です。
◇ ◇ ◇
戦闘が終わると、船長は追撃を命じませんでした。
追う相手もいません。
まず無線室へ現在位置を送ります。
敵国軍船九隻と交戦。
九隻沈没。
海上に多数の生存者を確認。
続いて、もう一つ送らせました。
本船の乗組員は約二十名。
海上の敵兵を多数収容すれば、こちらの乗員数を大きく上回る可能性があります。
貨客船としての乗客と船の安全も確保しなければなりません。
救助が必要であることは分かっています。
しかし、この船だけで収容することはできません。
指令が必要と判断するなら、十分な人員を持つ軍船を現在位置へ派遣してほしい。
そこまで送って、離島連絡船は海面をゆっくり回りました。
沈んだ船の木材につかまっている人たちの位置を確認します。
救助船が来るなら、見つけやすいように報告するためです。
けれど、自船へ引き上げることはしませんでした。
二十人ほどの乗組員しかいない船へ、何十人、あるいはそれ以上の敵兵を乗せれば、今度は船内の安全が保てません。
相手が正式な交戦国軍人である以上、救助したあとには捕虜として管理する必要もあります。
それは大型離島連絡船の仕事ではありません。
◇ ◇ ◇
機関室から異常の報告はありませんでした。
発電機は正常。
推進電動機も正常。
舵も正常。
浸水なし。
外板にも、航海を止めるような損傷はありません。
船長は、島への針路を取り直しました。
「予定より少し遅れるな」
砲術担当者が海面を見ました。
そこには、九隻の木造軍船があった痕跡が広がっています。
「軍艦を一隻も連れて来なかったのは、少々まずかったでしょうか」
「この船は軍艦じゃない」
船長は答えました。
「離島連絡船だ。だから島へ行く」
主砲塔は前後を向き直しました。
副砲も射撃をやめています。
乗員は戦闘配置を解きます。
貨物はそのまま。
燃料もそのまま。
郵便もそのまま。
船は再び、島へ向けて走り始めました。
エルレンフェルト会議で、どろちゃんは言っていました。
今より強くて、安全になるのなら、それでいいでしょ。
その言葉を証明した最初の船が、軍艦ではなく、島へ荷物を届ける途中の貨客連絡船になるとは、どろちゃんもまだ知りませんでした。




