103フランソワさんは、親戚の結婚式へ飛んでいきます。 コウノトリさんをフランソワさん操縦で、2席目にいつもの給仕さんのペアで結婚式に向かいます。
第103章 フランソワさんは、親戚の結婚式へ飛んでいきます
その日、フランソワさんはエルレンフェルトにいませんでした。
どろちゃんたちがピラジョーク君の燃焼試験をしていたころ、フランソワさんはいつもより少し早く起き、親戚の結婚式へ出かける支度をしていました。
今日は仕事ではありません。
親戚の結婚式です。
陸路で行くなら、まず鉄道で最寄りの駅まで行き、駅前で一泊します。
そこから先は山道です。
夏なら、日の出が早く、夕方まで明るいので、早朝に馬車を出せば一日で谷の町まで入れます。
冬は無理でした。
道が凍ります。
日陰には雪も残ります。
山の谷間では日が落ちるのも早く、途中の宿で一泊して二日かけるのが普通です。
つまり、駅前の一泊を含めて片道三日。
往復六日。
結婚式当日を加えれば七日です。
フランソワさんは、その日程を一度考えてから、格納庫のコウノトリさんを見ました。
「飛んで行く方が普通ですね」
片道二時間弱です。
七日休むより、朝に出て夕食前に戻れる方を選ぶ。
フランソワさんにとっては、もう特別な判断でもありませんでした。
◇ ◇ ◇
ただし、操縦服のまま結婚式に出るわけにはいきません。
今日のフランソワさんは、どろちゃんのそばで働く人としてではなく、親族の一人として出席します。
そして、出席者の中で貴族なのはフランソワさんだけでした。
フランソワさんの家族から来る者も、フランソワさん一人です。
だからといって、身分を隠す必要はありません。
男爵として不自然でないドレスを用意しました。
濃い色の冬用の布地で、裾には控えめな刺繍があります。
宮廷へ出るような大きな装飾はありません。
ただし、生地も仕立ても、町の人が見ればすぐに上等だと分かるものでした。
化粧もします。
髪も整えます。
けれど、全部を済ませてから二時間近く飛ぶのは面倒です。
そのため、フランソワさんは、普段から気心の知れている給仕さんを一人、どろちゃんのところから借りてきました。
正式な侍女ではありません。
普段は領主館で給仕をしている人です。
でも、フランソワさんの好みも、髪のまとめ方も、背中の留め具をどの順で止めると楽なのかも知っています。
「本当に、わたくしでよろしいのでございますか」
出発前、給仕さんはもう一度確認しました。
「知らない方よりずっといいです。向こうで着替えるとき、一人では困りますから」
「でしたら、承知いたしました」
二人で乗ります。
三席目は衣装と荷物です。
ドレス。
靴。
外套。
化粧道具。
髪を直すための櫛や留め具。
小さな裁縫道具。
それから、アクセサリーの箱。
最近、どろちゃんが宝石合成と着色アルマイトを面白がっていた時期がありました。
実験過程では、かなりきれいなのに、研究側では狙った条件から少し外れた石も多くできました。
対称性がわずかに足りない。
予定した青より、ほんの少し水色へ寄ったサファイア。
天然石として売られていたなら十分上質に見える程度の差です。
どろちゃんは、そうしたルビーやサファイアと、色を付けたアルミニウムの部品を組み合わせて、習作のアクセサリーを百個ほど作り、家族とフランソワさんへ分けました。
フランソワさんは、その中から今日のドレスに合うものを選んでいました。
ただし、それが天然なのか、人工なのか、どう作ったものなのかを、自分の判断で説明するつもりはありません。
どろちゃんの研究と事業の話だからです。
そこだけは、一度決めておけば十分でした。
◇ ◇ ◇
朝、コウノトリさんはエルレンフェルトを離れました。
フランソワさんは飛行用の服。
給仕さんも厚着をしています。
ドレスは三席目で、皺になりにくいように畳んで固定しました。
冬の空はよく澄んでいました。
山へ近づくにつれて、地面の色が変わります。
南向きの斜面には雪が少なく、北向きや谷の陰には白いものが残っています。
目的地は、もともと一つの大きな町として出来た場所ではありません。
同じ谷筋に、四つの集落が離れて並んでいます。
行政上、それを一つの町として数えています。
四つを合わせて、人口はおよそ三千人。
旧侯爵領の一部でした。
ところが侯爵家が消え、その後は国の直轄地になりました。
同じように領主が消えた土地が多すぎて、国も行政組織を十分に整えられていません。
代官は置かれています。
けれど、実際にやっていることは徴税と住民数の把握が中心でした。
道路を直す。
学校を整える。
医療を置く。
産業を育てる。
そこまで手が回っていません。
領都でもない山間部の町なら、なおさらでした。
◇ ◇ ◇
町外れの平らな草地へ、コウノトリさんは短く着陸しました。
飛行機が来ることは事前に伝わっていました。
それでも、実物を見るのが初めての人は多く、子どもだけでなく、大人も道の端に集まっていました。
フランソワさんが降り、給仕さんが衣装箱を下ろします。
教会の建物の一室を借りて着替えました。
飛行服を脱ぎ、冬用のドレスへ。
給仕さんが背中を留め、裾を整えます。
「こちら、少しだけ折り跡がございます」
「飛んできましたから」
「これくらいでしたら、すぐに目立たなくなります」
髪をまとめ直し、化粧を整えました。
最後にアクセサリーを付けます。
赤い石と青い石。
間に、着色アルマイトの細い部品。
遠くから見れば、赤と青の色がきれいに揃っています。
給仕さんが一歩下がりました。
「よくお似合いでございます」
「目立ちすぎませんか」
「男爵様としては、このくらいでございます。今日の主役は新婦様ですから、それより前へ出るようには見えません」
フランソワさんも鏡を見ました。
「では、これで」
◇ ◇ ◇
教会へ入ると、すでに親族や近所の人たちが集まっていました。
豪華な服装ではありません。
冬ですから、男たちは厚い毛織物の上着を着ています。
農地を持つ家の主人は、普段より少し上等な黒や濃茶の上着。
林業に関わる男たちは、手の節が太く、礼拝用の服でも体つきですぐ分かります。
馬車を扱う家の男は、普段は革の前掛けをしているそうですが、今日は濃い色の上着に着替えていました。
女性たちは、暗い色の冬用ドレスが多く、襟や袖口に白い布を合わせています。
若い女性の中には、家にある一番よい布地を使ったのでしょう、少し明るい青や緑を着ている人もいました。
新婦は、その中でははっきりと特別でした。
真っ白ではありません。
淡い生成りに近い布地のドレスで、胸元と袖に細かな刺繍があります。
母親と叔母、それに姉妹か従姉妹らしい若い女性たちが、朝から髪と衣装を整えたのでしょう。
新郎は、谷の下流側の集落で製材と木材運搬に関わる家の息子でした。
新婦の家は、教会に近い集落で小さな畑と家畜を持ちながら、冬には織物の仕事もしています。
どちらも大地主でも商人でもありません。
この谷で普通に暮らしている家です。
親族の多くも、農業、林業、製材、馬車運送、小さな商い、教会関係の仕事などで暮らしていました。
フランソワさんが入ると、近くにいた人たちが少し緊張しました。
親戚です。
けれど男爵でもあります。
フランソワさんは、その空気が長く続かないようにしました。
「今日は親戚として来ました。どうぞ、そのまま続けてください」
年上の女性が近づいてきました。
新婦の母方の叔母でした。
「遠いところを、本当にありがとうございます」
「飛んできましたので、思っておられるほど遠くはありませんでした」
「冬なら、駅からでも二日ですもの」
「はい。普通に来たら、往復で一週間お休みすることになります」
「それは……飛びますね」
叔母は思わず笑いました。
「わたくしも、そう思いました」
◇ ◇ ◇
若い女性が、フランソワさんの胸元の青い石に気づきました。
新婦の従姉妹で、普段は母親と一緒に織物をしているそうです。
「その青い石、とてもきれいですね」
「ありがとうございます。いただいたものなのです」
「この辺りでは、あまり見ない色です」
「そうでしょうね」
女性は金具にも目を向けました。
「こちらも青いのですね。金属に色が付いているように見えます」
「ええ。面白いでしょう」
フランソワさんは笑いました。
それで終わりました。
相手も、それ以上は聞きませんでした。
別の女性は、石よりもドレスの仕立てに興味を持ったようでした。
「袖のところ、縫い目がほとんど見えないのですね」
「仕立ててくださる方が上手なのです」
「ここまで細かい仕事は、うちでは見ません」
「この刺繍は手で入れてあります」
今度は話しても問題のないことです。
女性たちは近づきすぎない程度に眺め、布地や刺繍の話を始めました。
フランソワさんも、その方が気楽でした。
◇ ◇ ◇
鐘が鳴り、人々が席へ入りました。
町のカトリック教会です。
大聖堂ではありません。
石造りの壁。
木の長椅子。
祭壇には花が少し。
冬なので、生花より常緑樹の枝と蝋燭の方が目立ちます。
新郎と新婦が前へ進みました。
司祭が二人の意思を確かめます。
二人は、それぞれ自分の言葉で答えました。
指輪が渡されます。
祈りが続きます。
フランソワさんは親族の席から見ていました。
貴族席はありません。
そもそも、ほかに貴族がいません。
フランソワさんも、今日だけ特別な席へ座ることはありませんでした。
式のあと、ミサが続きました。
窓から入る冬の光は弱く、祭壇の蝋燭の火がよく見えます。
派手な式ではありません。
けれど、新郎新婦の家族にとっては、それで十分でした。
◇ ◇ ◇
昼食会は、教会に付属する集会施設で行われました。
普段は教理の集まりや、町の相談、教会の作業に使う部屋です。
今日は長い卓を何本も並べ、白い布を掛けています。
料理は町の人たちが準備したものでした。
最初に、玉ねぎと根菜を煮た温かいスープ。
大きな籠に入った黒パンと、少し白い粉を多く使った祝い用のパン。
塩漬け肉を戻して煮たもの。
豚肉と豆を一緒に煮込んだ鍋。
焼いた鶏。
冬に保存していたキャベツ。
人参や蕪。
チーズ。
干した果物を入れた菓子。
りんごを煮たもの。
酒は、葡萄酒だけでなく、谷の家で作った果実酒もありました。
大皿から取り分けます。
宮廷の宴会のように何皿も順番に出てくるのではありません。
温かいうちに食べられるものを食べ、足りなければまた取ります。
フランソワさんは、新郎新婦の隣ではなく、親族の卓に座りました。
向かいにいる年配の男性は、新郎の伯父でした。
冬は製材所の仕事が減るので、馬車の修理もするそうです。
「こちらへ来られるのは、久しぶりでしょう」
「はい。道が遠いので」
「昔より悪くなったところもあります」
男性はパンをちぎりながら言いました。
「侯爵様がおられた頃が全部よかった、とは申しません。ただ、今は何か壊れても、誰に言えばいいのか分からないことがあります」
「代官はいらっしゃるのでしょう」
「税の時期には来ます。人の数も数えます」
「それ以外は?」
男性は少し笑いました。
「それ以外は、自分たちでやります」
道が崩れれば直す。
橋板が傷めば替える。
雪が積もれば、集落ごとに道を開ける。
四つの集落が行政上は一つでも、実際にはそれぞれが自分たちの近くを守っています。
「春の雪解けが一番困ります。斜面が崩れると、谷の下まで出られません」
「四つの集落全部で、三千人くらいでしたね」
「数え方では、そのくらいです。ここから一番上の集落までは、同じ町と言われても歩けばかなりありますよ」
フランソワさんは、その話を聞きながら、温かいスープをもう一口飲みました。
◇ ◇ ◇
隣の女性は、新婦の父方の従姉でした。
夫と一緒に、小さな食料品の店をしています。
「エルレンフェルトでは、毎日あの飛行機へ乗っておられるのですか」
「毎日ではありません。今日は、乗らないと一週間のお休みになりますので」
「一週間も?」
「駅前で一泊して、そこから冬の馬車で二日。帰りも同じですから」
「それは、飛行機を使いますね」
「はい」
「でも、怖くありませんか」
「今日の天気なら、凍った山道を馬車で二日走る方が、わたくしは心配です」
女性は納得したように頷きました。
少し離れたところでは、新郎の友人たちが笑っています。
一人は木こり。
一人は製材所。
もう一人は馬車で木材を谷の下へ運ぶ仕事です。
彼らはフランソワさんの身分より、外に停まっているコウノトリさんの方が気になるようでした。
◇ ◇ ◇
食事が一段落すると、子どもたちが外へ行きたがりました。
飛行機を見たいのです。
新婦の弟らしい少年が、母親に背中を押されてフランソワさんのところへ来ました。
「飛行機を見てもよいですか」
「見るだけなら大丈夫です。でも、勝手に触らないでくださいね」
「はい」
昼食後、何人かで町外れまで歩きました。
大人も一緒です。
翼。
尾翼。
車輪。
プロペラ。
どこから乗るか。
フランソワさんは外から見える範囲だけ説明しました。
新郎の友人の一人が、プロペラを見ながら聞きました。
「これだけ大きなものを、馬なしで動かすのですか」
「はい。中のエンジンで、これを回します」
「蒸気ですか」
「これは違います」
それ以上、燃料や機関の説明には入りません。
今日の目的ではないからです。
別の女性が給仕さんを見ました。
「こちらの方も操縦なさるのですか」
給仕さんは驚いて首を振りました。
「いいえ。わたくしは、フランソワ様のお着替えをお手伝いするために参りました」
「侍女さんではないのですね」
「普段は給仕をしております」
聞いた女性が少し不思議そうな顔をしました。
男爵が、正式な侍女を何人も連れず、普段の給仕を一人だけ連れて空から来たのです。
フランソワさんは普通に答えました。
「いつも顔を合わせている方の方が楽ですから、お願いしたのです」
◇ ◇ ◇
同じころ、エルレンフェルトでは、朝からのピラジョーク君の燃焼試験を終えたどろちゃんたちが領主館へ戻り、家族と昼食を取っていました。
フランソワさんがいないこと以外は、いつもの昼食です。
「今ごろ、向こうもお昼かな」
どろちゃんが言いました。
時刻を考えれば、ちょうど教会の昼食会のころです。
午前中に燃やしたピラジョーク君は、五本ともアフラ君とほぼ同じ結果を出しました。午後は、いよいよ小鳥さんへ積んで実際に飛ばします。
食事が終わると、どろちゃんは飛行の準備へ向かいました。
フランソワさんは親戚の結婚式。
どろちゃんは小鳥さん。
同じ日の午後が、別々の場所で進んでいました。
◇ ◇ ◇
冬の日は短いので、フランソワさんは昼食会が終わると長居をしませんでした。
新郎新婦へ改めて祝いを伝えます。
「今日は、本当にありがとうございました」
新婦が言いました。
「来られてよかったです。普通に来ると一週間ですから、少し迷いますけれど」
「でも今日は夕食までには帰れるのでしょう」
「はい。その予定です」
年配の親戚にも挨拶をします。
教会の部屋へ戻り、給仕さんに手伝ってもらってドレスを脱ぎました。
アクセサリーを箱へ戻します。
飛行用の服へ着替えます。
ドレスは三席目へ戻しました。
町外れには、朝より多くの見送りが来ていました。
「それでは、帰ります」
フランソワさんが言うと、新婦の叔母が笑いました。
「本当に、夕食までに戻れるのですね」
「寄り道をしなければ」
そのときは、本当にそのつもりでした。
◇ ◇ ◇
コウノトリさんは、冬の谷から離陸しました。
四つの集落が、谷に沿って離れて並んでいるのがよく見えます。
行政上は一つの町。
空から見ると、それぞれが別の集落です。
フランソワさんは、往路とは少し違う角度から山並みを見ながら帰りました。
夕方の光が斜めから当たっています。
雪の残る斜面は明るく、森は黒く見えました。
そこで、フランソワさんが先に気づきました。
「……あれ」
給仕さんが前を見ました。
「どうなさいましたか」
「あそこ。森の中」
山の斜面から、白いものが上がっています。
一か所だけではありません。
少し離れたところにもあります。
煙に見えなくもありません。
けれど、形が違います。
木が燃えているなら、もっとまとまった煙が上がるはずです。
白いものは、地面に近いところから絶えず立ち、冷たい空気の中で膨らんでいました。
フランソワさんは高度を保ったまま、少しだけ進路を寄せました。
「火事ではなさそうですね」
給仕さんも見つけました。
「白いですね」
「湯気かもしれません」
フランソワさんは周囲を見ました。
尾根。
谷。
道。
川らしい筋。
あとで場所を説明できるように、地形を覚えます。
白い湯気は、一つの地点だけではありません。
森の中に何か所かあります。
冬の夕方だから、よけいによく見えるのでしょう。
「温かい水でしょうか」
給仕さんが聞きました。
「たぶん。でも、今日は降りません」
近くに安全に着陸できる場所は見当たりません。
そもそも今日は、結婚式帰りです。
三席目にはドレスもあります。
「帰ったら、お嬢様に話します」
フランソワさんはもう一度位置を確認しました。
最初に湯気を見つけたのは、フランソワさんでした。
このときはまだ、それが後に大きな温泉郷になることなど知りません。
◇ ◇ ◇
エルレンフェルトへ戻ったとき、まだ夕食前でした。
午後の小鳥さんの飛行も終わっています。
領主館へ戻るころには、厨房から夕食の匂いがしていました。
給仕さんは衣装を戻すため、荷物を持って先に行きます。
フランソワさんはアクセサリーの箱だけを自分で持っていました。
朝出て、親戚の結婚式へ出て、昼食を食べ、夕方には戻ってきました。
陸路なら七日。
コウノトリさんなら一日です。
どろちゃんを見つけると、フランソワさんは言いました。
「ただいま戻りました」
「おかえりなさい。夕食に間に合ったね」
「はい。式も昼食会も、無事に終わりました」
それから、少しだけ間を置きました。
「それと、帰りに山の中で、かなり湯気が上がっている場所を見つけました」
どろちゃんが顔を上げました。
「湯気?」
「はい。わたくしが見つけました。一か所ではありません。火事ではないと思います」
「どの辺?」
フランソワさんは、帰路で見た尾根と谷の位置を説明し始めました。
親戚の結婚式へ行って帰ってきただけなら、それで一日が終わるはずでした。
けれど、帰り道にフランソワさんが見つけた白い湯気の場所を、どろちゃんが放っておくはずもありませんでした。




