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100貴族令嬢は2人の王様を見送ります。   バベルの神罰の結果

第100章 貴族令嬢は2人の王様を見送ります


 エルレンフェルトの会議棟では、朝からロシアとスウェーデンの地図が机を占領していました。


 大北方戦争は、もう大きく動いていません。


 正式な和平が出来たからではありません。国内では地域ごとに言葉が分かれ、命令も補給も以前のようには通らなくなりました。国外にいた部隊だけは、バベルの前から使っていた共通語を保っています。


 そのため、戦線そのものは止まりかけています。


 でも、止まっただけです。


 占領地をどうするのか。捕虜をどう返すのか。食料や医薬品をどう運ぶのか。国外にいた軍をどう帰すのか。


 それから、地域ごとに分かれてしまった言葉をどうするのか。


 その話をするため、ロシア王もスウェーデン王もエルレンフェルトまで来ていました。


 簡単な連絡なら、国外部隊にいた共通語組でも出来ます。


 でも、領土、住民、王家、軍、財産、これからの統治まで絡む話になると、まだ普通の通訳では足りません。


 どろちゃんが、ロシア王の言葉を共通語へ直します。


 各国代表の返事を、今度はロシア側の言葉へ戻します。


 スウェーデン王が話せば、また同じことをします。


 会議の途中でどろちゃんが少し黙ると、部屋全体が止まります。


 そこだけは、どうしようもありませんでした。


     ◇ ◇ ◇


 最初に問題になったのは、領土でした。


 ロシア側の支配下にあったバルト地方の一部をネーデルラントへ正式に編入したとき、その地域では共通語が戻っています。


 行政も港も税も、実際にネーデルラントへ移したあとです。


 ところが、ケーニヒスベルク周辺をいったんロシア側から切り離し、書類の上で独立させても、こちらは戻りませんでした。


 独立政府は長く持たず、行政上はロシア側へ戻っています。


 だから、単に独立させればいいわけではありません。


「交換ではどうでしょう」


 国外へ派遣されていた軍の共通語組から、そんな案が出ました。


 片方だけが土地を渡すから話が難しくなる。


 ならば、同じくらいの土地を反対側から渡せばよい。


 普通の国境交渉なら、出てきてもおかしくない考えです。


 説明を聞き終えたフランス側の人が、ゆっくり首を振りました。


「こちらへ入る土地では、住民の共通語が戻る可能性があります。しかし、こちらからそちらへ渡す土地では、今まで共通語で暮らしていた住民を、わざわざバベル側へ入れることになる」


 どろちゃんが訳します。


 ネーデルラント側の人も続けました。


「交換するのは土地だけではありません。そこに住んでいる人たちまで一緒です。面積が同じなら公平、という話にはなりません」


 サヴォさんは地図を見ながら、もっと短く言いました。


「こちらの村を犠牲にして、向こうの村を救う話になるな」


 その一言を訳すと、提案した人たちも黙りました。


 同じ矢印でも、左右で意味が違います。


 交換案は消えました。


     ◇ ◇ ◇


 次は、人を先に移す案です。


 すぐに全土をどうにか出来ないなら、共通語圏へ移った方がよい人から先に動かす。


 最初に名前が出たのは医師でした。


 医学は止まりません。


 新しい薬や治療法が共通語圏で増えても、医師が言葉の外に残れば情報を読めません。


「教師も早い方がいいと思う」


 どろちゃんが言いました。


 教師が学べなくなれば、その影響は本人だけでは終わりません。


 その人から教わる子供たちまで、次の知識から切り離されます。


 医師。


 教師。


 薬を扱う人。


 技師。


 鉄道や通信を動かす人。


 公共の仕組みを維持する人から先にする。


 そこまでは比較的すんなり決まりました。


 一方で、すぐに移れない人のためには学校を作ります。


 昼に働く大人も来られるよう、夜も開けます。


 文字。


 数字。


 値段。


 時刻表。


 簡単な計算。


 契約書。


 衛生。


 仕事に必要な知識。


 地域語には、これまでほとんど書き言葉を持たなかったものもあります。そのため文字は共通文字を基本にし、足りない音だけ記号や2文字の組み合わせで補うことになりました。


「言葉が戻っても、今まで文字を知らなかった人まで急に読めるようになるわけじゃないから、学校は無駄にならないよ」


 どろちゃんが言うと、何人かが頷きました。


 ただ、共通語そのものを何年もかけて覚えようという人の熱意は、あまり高くありませんでした。


「隣の村がフランス領になったら、言葉が戻ったんでしょう。なら、うちもそうしてもらえばいいのでは」


 現地からは、そんな質問が普通に届きます。


 何年も外国語として覚えるより、所属が変わった瞬間に元へ戻るかもしれない。


 そう聞かされれば、毎晩文法を勉強しようという人が少ないのも仕方ありません。


 でも、読み書きと計算は別でした。


 そちらの教室は埋まりました。


     ◇ ◇ ◇


 午後になって、話が変わりました。


 ロシア王が、少し長く話しました。


 どろちゃんは途中で口を挟まず、最後まで聞きます。


 聞き間違いだと困るところだけ、その場でもう一度確認しました。


 意味は変わりません。


 どろちゃんは会議卓を見回してから、共通語へ訳しました。


「ロシア王は、ご家族と一緒に共通語圏へ移りたいそうです」


 数秒、誰も返事をしませんでした。


 フランス側の人が確認します。


「陛下ご本人が、という意味ですか」


「そうです。ご家族も一緒です」


 今度はスウェーデン王が話し始めました。


 どろちゃんはそちらへ向き直ります。


 こちらも最後まで聞きました。


 内容は、ほとんど同じでした。


「スウェーデン王も、ご家族と一緒に移りたいそうです」


 さっきより長い沈黙になりました。


 机いっぱいに広げた地図には、まだロシアとスウェーデンの色が残っています。


 この2つの国は、その色を広げるために戦っていました。


 兵士を動かし、町を取り、土地を奪い合っています。


 なのに、その頂点にいる2人が、自分たちはそこから出たいと言っています。


 ――じゃあ、何のために戦争してるの。


 どろちゃんは口には出しませんでした。


 たぶん、会議室にいるかなりの人が同じことを考えています。


 停戦の話は、その日のうちに一気に進みました。


 もともと戦線はまともに動いていません。そこへ、戦争の当事者である王様2人が、国を奪い合うより家族を共通語圏へ移したいと言い出したのです。


 占領地をどうするか、捕虜をどう返すか、兵をどう帰国させるか、武器をどう管理するか。


 後始末はたくさんあります。


 でも、もう撃ち合う理由はありません。


 正式な文書が整う前から、戦闘停止の命令が走りました。


     ◇ ◇ ◇


 休憩のとき、どろちゃんは会議棟の窓際へ行きました。


 冬の空は低く、飛行場の向こうに薄い雲が並んでいます。


 バベルがなければ、この戦争はもっと続いたはずです。


 ロシアの兵士も、スウェーデンの兵士も、もっと星になったかもしれません。


 言葉を分け、軍を動きにくくし、国を争っていた王様2人まで戦争をやめる側へ押し出した。


 ――神様、これを狙ったのかな。


 もちろん返事はありません。


 いつものことです。


「お嬢様、そろそろ再開でございます」


 後ろからフランソワさんの声がしました。


 どろちゃんは窓から離れました。


 会議室へ戻ると、王様2人も同じ席に戻っています。


 ここまでは、戦争と住民の話でした。


 でも、王様2人が自分たちも出ていくと言ったことで、今度は別の問題が出ました。


 王がいなくなる国を、どうするのか。


     ◇ ◇ ◇


 王位継承者だけ残して王政を続ける案も出ました。


 でも、王本人が家族ごと移りたいと言っています。


 継承権の高い人だけ国内に残せば、その人たちを実質的に人質のように扱うことにもなります。


 王家を国外へ置いたまま、通訳を通して統治を続ける案も現実的ではありません。


 話し合いは長く続きました。


 最終的に、ロシアもスウェーデンも共和国へ移ることになりました。


 ここで初めて、国の形を変える話になりました。


 共和国の制度作りは、ドイツ連邦共和国とネーデルラントが中心になって支援します。


 選挙。


 地方行政。


 裁判所。


 税。


 暫定政府から通常政府へ移る手順。


 どろちゃんは、そこへ細かく口を出しません。


 共和国を実際に運営している国の人に任せた方がいいからです。


 旧王国の貴族についても、原則として爵位を廃止する方向になりました。


 共和国を作ったあとで、旧来の爵位と領主権だけ大量に残せば、地方では何が変わったのか分からなくなります。


 そこで、移転を希望する貴族とその家族も共通語圏へ移すことになりました。


 親戚を頼る人。


 婚姻関係のある家へ行く人。


 別の国で新しい仕事や領地を受ける人。


 受け入れ先を決めます。


 その名簿を見ていたサヴォさんが、ロマノフ家のところで指を止めました。


「これ、うちで引き取れないか」


 どろちゃんは顔を上げました。


「ロマノフ家を?」


「王には出来ないぞ。だが、地方領主でいいなら欲しい。人が足りない」


 言い方は雑ですが、理由は分かります。


 サヴォイアでは道路も鉄道も増え、新しく行政を整える場所もあります。土地を持たせれば終わりではなく、そこで人をまとめ、税を集め、工事を進められる人が必要です。


「本人たちがいいって言うなら、私は止めないよ」


「当然、本人には聞く」


 サヴォさんは、それ以上軽く扱いませんでした。


 どろちゃんは名簿へ目を戻しました。


 ずっと先の歴史で、ロマノフ家がどうなるかを知っています。


 王朝はここでなくなります。


 でも、一族は生きています。


 ――その方がいいかな。


 それくらいは思いました。


     ◇ ◇ ◇


 共和国化する方針が決まったあと、次に必要なのは王家を確実に共通語圏へ移すことでした。


 王権を放棄したあとで移動に失敗するのは困ります。


 先に王本人と継承権の高い人たちを安全な側へ入れておきます。


 ロシア側では、ケーニヒスベルクを使うことになりました。


 ここは以前、書類上だけ独立させても共通語が戻らず、その後ロシア側へ戻っていた町です。


 西側の鉄道網から近く、港もあります。


 王の居住地をケーニヒスベルクへ移し、王宮の必要な事務も移します。


 短い期間だけですが、ここをロシア側の臨時首都にしました。


 同時に、共通語圏へ移る人たちも集めます。


 王族。


 移転する貴族。


 医師。


 教師。


 技師。


 その家族。


 行き先が決まった人から住民登録を済ませます。


 ここだから、鉄道も間に合いました。


 恒久的な立派な幹線を作る時間はありません。既設線から必要な区間だけ単線を延ばし、最低限の交換設備と仮の駅を置きます。


 線路がつながると、すぐに臨時列車が走り始めました。


 宿だけでは足りないので、兵舎や空いている建物も使います。


 長く住むためではありません。


 フランス領になったあと、それぞれの受け入れ先へ散るための一時的な集合場所です。


     ◇ ◇ ◇


 割譲の条件と文書は、エルレンフェルトで整えられました。


 でも、署名は後日、ケーニヒスベルクで行います。


 王本人がそこに住み、その町そのものをフランスへ渡す。


 その瞬間に、王本人も共通語圏へ入る。


 そこまで同じ場所で確認する必要があります。


 ルイ14世も来ました。


 チェブラーシカちゃんのVIP仕様です。


 白い機体が臨時首都へ降り、ルイ14世と随員が降りました。


 どろちゃんも一緒です。


 署名前は、まだ通訳が必要だからです。


 会議そのものを最初からやり直すわけではありません。


 条件はすでに決まっています。


 ロシア王が、ケーニヒスベルクをフランスへ正式に割譲する文書へ署名しました。


 続いてルイ14世が受領文書へ署名します。


 それだけでした。


 光りません。


 雷も鳴りません。


 でも、部屋の中の空気が少し変わりました。


 ロシア王が、どろちゃんではなくルイ14世の方を見ました。


「聞こえる」


 共通語でした。


 机の上の文書も読めます。


 廊下でも、町の中でも同じことが起きています。


 ケーニヒスベルクと、そこへ住民登録していた人たちが、一斉に共通語圏へ入りました。


 確認が済むと、王と王位継承権の高い人たちは、そのままルイ14世と一緒にチェブラーシカちゃんへ乗ります。


 行き先はパリです。


 もし何か手続き上の事故が起きても、もうバベル側へ取り残されません。


     ◇ ◇ ◇


 スウェーデン側は、別に行う必要がありました。


 こちらではマルメを使います。


 大きな商業都市で、外との往来も多く、住民のほとんどが共通語圏への移行を望んでいました。


 国王の居住地と、王宮の必要な事務をマルメへ移します。


 マルメは1日だけ、スウェーデンの臨時首都になりました。


 移転希望者も住民登録を済ませます。


 そして、ルイ14世がまたチェブラーシカちゃんで来ました。


 どろちゃんも同行します。


 今度も、長い会議はありません。


 スウェーデン王が割譲文書へ署名します。


 ルイ14世が受領文書へ署名します。


 マルメがフランス領になりました。


 また、何も派手なことは起こりません。


 ただ、町の人たちが共通語を話し始めます。


 港の商人も、役人も、移転希望者も同じです。


 スウェーデン王も戻りました。


 確認が終わると、こちらも王と王位継承権の高い人たちは、ルイ14世と同じチェブラーシカちゃんでパリへ移りました。


 マルメが臨時首都だったのは、本当に1日だけでした。


     ◇ ◇ ◇


 王様2人は、今度はパリにいました。


 自分の国の宮殿ではありません。


 自国の近衛もいません。


 でも、2人とも自分で決めてここまで来ています。


 エルレンフェルトで家族ごと共通語圏へ移ると決めました。


 共和国化にも合意しました。


 ケーニヒスベルクとマルメをフランスへ割譲し、自分たちも共通語へ戻りました。


 残っているのは、王国を法的に閉じる仕事です。


 その机を用意したのは、いつもの人でした。


 トルシー侯です。


 書類はすでに署名順に積まれています。


 国王としての権限が必要なものから先です。


 共和国へ政体を移す文書。


 行政を暫定政府へ引き渡す文書。


 王家の財産と国家の財産を分ける文書。


 旧来の爵位を廃止する文書。


 そのほか、国王として処理しておかなければならない文書。


 トルシー侯は1枚ずつ説明しました。


「こちらは行政権の移管でございます。署名はこの欄へお願いいたします」


 王が署名します。


 係の人が受け取り、次の紙がもう開かれています。


「こちらは爵位の廃止でございます。先ほど確認された内容から変更はございません」


 また署名します。


 インクを乾かしているあいだに、次の文書の説明が始まります。


 速いです。


 急かしているようには見えません。


 質問をすれば止まります。


 確認したいところがあれば、すぐ該当箇所を出します。


 でも、迷う理由のないところで時間を使いません。


 どろちゃんは横で見ながら思いました。


 ――いつもの人、今日、特に速い。


 ルイ14世も同じ部屋にいました。


 何かを命じるわけではありません。


 ただ、全部が予定どおり進むのを見ています。


 王様2人の側には、自国から連れてきた近衛の列もありません。


 パリの宮殿の中です。


 ここまで全部自分で決めてきて、今さら、


 やっぱり王様を続けます。


 と言ったところで、ではどこへ帰って何をするのか、という話になります。


 トルシー侯は、そんなことは口にしません。


 必要な紙だけを、必要な順番で出していきます。


 机の上の山が、目に見えて低くなりました。


 最後に1枚だけ残ります。


 トルシー侯は、それまでより少しだけ間を置きました。


「これで、国王としてご署名いただく文書は、こちらが最後でございます」


 王権放棄の文書でした。


 これだけは先に出せません。


 王でなくなってから、王の権限で行政を移したり爵位を廃止したりすることは出来ないからです。


 ロシア王が読みます。


 スウェーデン王も読みます。


 もう、どろちゃんの通訳はいりません。


 2人とも共通語を読めます。


 ロシア王が先に署名しました。


 ペンを置きます。


 スウェーデン王も署名しました。


 トルシー侯が文書を受け取り、署名を確認しました。


「確かに」


 それで終わりました。


 歓声はありません。


 王冠を奪う兵士もいません。


 宮殿へ押し寄せる群衆も、処刑台もありません。


 さっきまで国王だった2人が、最後の1枚へ名前を書いただけです。


 でも、その瞬間から、もう国王ではありません。


 ロシア王国も、スウェーデン王国も終わりました。


 どろちゃんは机の上を見ました。


 国が終わる音というものがあるなら、もっと大きいものだと思っていました。


 実際には、紙を重ねる音と、トルシー侯の「確かに」だけでした。


     ◇ ◇ ◇


 王家は、そのあと1か所へまとめて残しませんでした。


 親戚の家へ行く人。


 婚姻関係のある家へ入る人。


 新しい領地を受け取る人。


 サヴォイアへ向かう人。


 フランス国内に残る人。


 ドイツ方面へ行く人。


 ネーデルラントへ向かう人。


 国王だった人も同じです。


 王家という組織は解体し、人はそれぞれの受け入れ先へ散っていきます。


 ケーニヒスベルクやマルメに集めていたほかの移転者も、臨時列車で順番に送り出されました。


 鉄道があるので、移動そのものは驚くほど速く終わります。


 最終処理から2日後には、移転することになった人たちは、それぞれの受け入れ先の住居へ入っていました。


 どろちゃんのところにも、到着を知らせる電信が順番に届きます。


 最後の報告まで読み終えると、どろちゃんは紙を重ねて机へ置きました。


 王朝はなくなりました。


 でも、人はみんな生きています。


 それでいいと思いました。


     ◇ ◇ ◇


 そのあいだ、ロシアとスウェーデンでは、ドイツ連邦共和国とネーデルラントから来た人たちが働いていました。


 国外部隊を中心に作られた暫定政府を、そのまま軍事政権として残すつもりはありません。


 地方から代表を集めます。


 選挙の方法を決めます。


 役所をつなぎ直します。


 裁判所を動かします。


 税を納める先を定めます。


 地方行政が中央政府へ報告を上げられるようにします。


 ロシア共和国。


 スウェーデン共和国。


 2つの新しい国が、少しずつ形を持ち始めました。


 急造した学校も、そのまま残っています。


 地域語しか話せなかった人へ共通文字を教えるために始めた夜学校でしたが、そこで初めて自分の名前を書いた人がいます。


 帳簿の数字を読めるようになった人もいます。


 足し算と引き算を覚え、店の勘定を自分で確かめられるようになった人もいます。


 鉄道の時刻表を読めるようになった人もいます。


 言葉がどうなるかとは別に、覚えたことはその人の中に残ります。


 共和国を作るなら、むしろこれから必要になるものばかりでした。


     ◇ ◇ ◇


 最後に残ったのは、新しい2か国を外国が国家として認めることでした。


 その会議も、エルレンフェルトで開かれました。


 フランス。


 イングランド。


 ネーデルラント連邦共和国。


 サヴォイア。


 4か国会議の参加国に加え、スペイン、ポルトガル、そのほかの国々からも代表が来ました。


 会議卓には、ロシア共和国とスウェーデン共和国を主権国家として承認する文書が置かれています。


 今度は、どろちゃんの通訳の仕事はほとんどありませんでした。


 共和国側の代表には国外にいて共通語を保っていた人たちがいますし、文書も共通語で作られています。


 各国の代表が順番に署名しました。


 最後の署名が入りました。


 2つの共和国が、他国から正式に国家として承認されました。


 その直後でした。


 会議棟の廊下を、電信室の係の人が早足でやってきました。


「ロシア側から、至急です」


 紙が1枚、どろちゃんの前へ置かれました。


 まだ読み終わらないうちに、もう1人が来ます。


「スウェーデン側からも同じ種類の報告です」


「同じ?」


 どろちゃんは最初の電文をもう一度上から読みました。


 意味は変わりません。


 隣でフランソワさんも紙へ目を落とします。


「お嬢様、これは……全土、と書かれておりますね」


「うん」


 もう1枚も確認します。


「ロシア共和国、全土で共通語が戻ったって」


 会議室の人たちが静かになりました。


「スウェーデン共和国も。全部戻ってる」


 地域ごとに分かれていた言葉がなくなっています。


 以前に読み書きが出来た人は、また共通語の文書を読めます。


 放送のニュースも分かります。


 役所同士も、そのまま話せます。


 外国との交渉にも、地域ごとの通訳を並べる必要がありません。


 国境を村ごとに動かして、少しずつ共通語圏へ戻す必要もなくなりました。


 共和国として成立し、他国から国家として正式に承認された。


 その瞬間に、国全体が共通語圏へ戻ったのです。


 どろちゃんは椅子の背へ少し寄りかかりました。


「そこだったんだ……」


 誰も知りませんでした。


 神様は条件表を置いていません。


 独立だけでは駄目だった。


 でも、共和国として国が成立し、外国から承認されるところまで行けば戻る。


 分かってしまえば簡単です。


 分かるまでは、誰にも分かりません。


 会議室の端で、学校関係の報告を持っていた人が少し困った顔をしました。


「では、あの学校は……」


「そのままでいいよ」


 どろちゃんはすぐ答えました。


「言葉が戻っても、勉強したことまで消えないでしょう」


 文字を初めて覚えた人は、もう文字を知っています。


 計算を覚えた人は、計算出来ます。


 時刻表を読めるようになった人は、明日も読めます。


 先生も、教室も、夜に学校へ行く習慣も残っています。


 共和国になったばかりの国なら、閉じる理由はありません。


     ◇ ◇ ◇


 同じ報告は、その日のうちに元王様2人のところへも届きました。


 2人はもう別々の住居にいます。


 家族も荷物をほどいています。


 王位はありません。


 旧王国の爵位もありません。


 故国へ戻って王になる予定もありません。


 そこへ、


 ロシア共和国、全土で共通語復帰。


 スウェーデン共和国、全土で共通語復帰。


 と書かれた電報が届きました。


 あれだけ人を集めました。


 急いでケーニヒスベルクまで単線を引きました。


 マルメを1日だけ臨時首都にもしました。


 ルイ14世に2か所まで来てもらいました。


 自分たちはパリへ移されました。


 トルシー侯の前で何枚もの書類へ署名しました。


 最後に王権まで放棄しました。


 そこまで全部終わったあとで、共和国になった故国そのものが、何事もなかったように共通語へ戻りました。


 元王様2人は、それぞれ遠く離れた場所で、しばらく同じように電報を見ていたそうです。


 そして、ほとんど同じことを思いました。


 なんやねん。


     ◇ ◇ ◇


小さな説明


【ケーニヒスベルク(現在のカリーニングラード)】


 現在のロシア領カリーニングラードにあたる都市です。


 バルト海に近い東プロイセンの中心都市で、1701年にはここでフリードリヒ1世が「プロイセンの王」として戴冠しています。


 本作では、バベル発動後にいったん書類上の独立を試したものの共通語が戻らず、その後ロシア側へ戻った地域として登場しています。


 今回は、西側の鉄道網から比較的近いことを利用し、ロシア王家や移転希望者を集める臨時首都として使いました。


 作中で位置を分かりやすくするために「カリーニングラード」と説明する場合がありますが、1704年当時の都市名はケーニヒスベルクです。



【マルメ】


 現在のスウェーデン南端、エーレスンド海峡を挟んでコペンハーゲンの向かい側にある都市です。


 1658年のロスキレ条約でデンマークからスウェーデン領になりました。


 当時からスコーネ地方の重要な商業都市で、農産物などをバルト海沿岸や西ヨーロッパへ送り出す港でもありました。


 本作では、この商業都市としての性格と西ヨーロッパへの近さから、共通語圏への移行を希望する住民が多い都市とし、スウェーデン王の居住地を一時的に移して、1日だけの臨時首都にしています。


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