五話 変化する存在
王太子エドワード。
金糸のような髪に、空を映したような碧眼。正義感が強く、民を愛し、誰からも慕われる「完璧な次期国王」。
それが、前世のゲームでの彼だった。
しかし、今の私の知る彼は少し違う。
1本の筋を貫く真っ直ぐ通したような人間性は今世では所々に歪みが見えるようになっていた。
そうなった元凶は、私が起こしたカイン様の変化が大きく関係している。
初めてエドワード殿下と出会った日、それはこれまで完璧だったはずの彼を歪ませ、大きな因縁をつくることになった。出来事は六年前の王宮でのパーティまで遡る。
「カイン、君のその魔力量は、いつ見ても素晴らしいね。だが、力は正しく使われなければならない。……僕の騎士にならないか?」
幼いエドワード殿下は、輝くような笑みを浮かべてカイン様に手を差し出した。それは、一見すれば友情の申し出。だが実態は、公爵家を王家の傘下に完全に収めようとする「支配」の宣告。
それを当時のカイン様は、その手を一瞥もせず、私の手だけを握って答えた。
「お断りします。僕の力は、僕だけのものです。……そして、僕の隣に立つ人は、僕が選びます」
その時、一瞬だけ見せたエドワード殿下の「歪んだ笑い」を、私は今でも忘れられない。
彼は、自分の思い通りにならないものを、最も嫌う性質なのだ。
ゲーム本編時点では完成されきったその精神性故に特別なイベントを経由しない限りは露呈しなかったけれど、まだ幼さの残る頃の彼に本来起こりえなかったカイン様の反抗がズレを引き起こした。
そして今、彼にとって、カイン様は「自分を脅かす不気味な天才」であり、私は「その天才を飼い慣らす唯一の手綱」なのだ。
❄❄❄
現在、学園内には二つの大きな派閥がある。
一つは、エドワード殿下を中心とした「王家至上主義派」。
もう一つは、カイン様の圧倒的な実力と恐怖に惹かれ、あるいは中立を保とうとする「グランドール派」――。
「セシリア様、またエドワード殿下の取り巻きたちが、あなたのことを見張っているわよ」
昼休みのテラス。ファティマがリンゴを齧りながら、校舎の二階を指さした。
そこには、王太子の側近である騎士団長の息子や、文官の息子たちが群れている。彼らは隙あらば私をカイン様から引き離し、王太子のもとへ連れて行こうと画策していた。
「……殿下は、何を考えていらっしゃるのかしら」
「決まっているじゃない。あのアイスドールを従わせるために、あなたを『人質』にしたいのよ。あるいは、自分こそが救世主だと信じている彼が、カインからあなたを『救い出してあげる』という正義を執行したいか、ね」
そう分析した内容を告げるファティマの声は冷ややかだった。
彼女の言う通りならエドワード殿下にとって、カイン様が私に向ける異常な愛執は、絶好の「弱点」に見えているのだろう。
その日の放課後、私はエドワード殿下の使いによって、人気のない旧校舎のバルコニーへ呼び出された。
カイン様は現在、仕組まれたであろう生徒会の緊急会議に出席している。
「……来てくれたね、セシリア嬢」
バルコニーで風に吹かれていたエドワード殿下は、まるで舞台役者のような美しい所作で振り返った。
「殿下、私に何か御用でしょうか」
「君が心配なんだ。……カインの異常な行動は、すでに王宮でも問題視されている。彼は君を愛しているのではない。縛り付けているだけだ。君のような清らかな花が、あの闇に飲み込まれるのを見ていられない」
彼は私の手を取ろうとする。
私は反射的に一歩、後ろへ下がった。
「カイン様は、私を大切にしてくださっています。そこに闇などありません」
「……頑なだね。だが、彼が裏で何をしているか知っているかい? 君に近づこうとする者を社会的に抹殺し、力でねじ伏せている。そんな『怪物』が、本当に君の隣に相応しいと思うのか?」
エドワード殿下の瞳に、冷たい光が宿る。
「セシリア。僕のもとに来なさい。公爵家を抑え込むために、王家は近いうちに彼へ『処置』を下すだろう。その時、君がこちら側にいれば、君の家だけは救ってあげられる」
それは、彼の得意な救済を装った脅迫だった。
「正義」という言葉を使いながら、カイン様を排除し、今は私を自分の支配下に置こうとしている。
原作の彼が持っていた「高潔な理想」は、カイン様という強大すぎるライバルの存在によって、醜い独占欲へと変質してしまったのかもしれない。
「お断りいたします、殿下」
私ははっきりと告げた。
「カイン様が怪物だと言うのなら、私はその怪物の隣にいることを選びます。……彼が世界を敵に回すというのなら、私も一緒に敵になりますわ」
「……。そうか。それは残念だよ、セシリア」
エドワード殿下が溜息をついた、その時だった。
「――僕の婚約者に、随分と熱心な勧誘をしているようだね、殿下」
背後の扉が、凄まじい風圧とともに吹き飛んだ。
そこには、全身から黒い魔力を立ち昇らせたカイン様が立っていた。
その瞳は、もはや人間のそれではない。血のように赤い光が、薄暗い回廊を照らしている。
「カイン様……!」
「下がっていて、セシリア」
カイン様は私の前に立ち、エドワード殿下を無感情に見据えた。
「エドワード。次、彼女の指先にでも触れてみろ。……王家の血筋などという、頼りない盾がどこまで通じるか、試してやってもいいんだぞ」
「……学園で私を脅迫するのか? カイン・エル・グランドール」
「脅迫ではない。警告だ」
二人の間に火花が散る。
太陽のような光を背負った王子と、深淵のような闇を纏った公爵令息。
本来なら手を取り合って国を支えるはずの二人が、私という存在を起点に、修復不可能な断絶を迎えた瞬間だった。
ファティマが物陰からひっそりと現れ、私の肩を叩く。
「……ねえセシリア様。これ、もう『学園生活』なんてレベルじゃないわね。戦争の火蓋が切って落とされたわよ」
ファティマの呟き通り、この日を境に、王太子派による「セシリアへの嫌がらせ」という名の、カインを嵌めるための罠が本格化していくことになる。




