四話 お友達
学園生活が始まって一ヶ月。
私の生活は、驚くほど「カイン様一色」に染め上げられていた。
授業は隣の席。昼食は専用の東屋。移動の時間は常にエスコート。
クラスメイトたちは、カイン様の圧倒的な威圧感と、私に向ける過剰なまでの熱情に気圧され、誰も私たちに近づこうとしない。
(……このままじゃ、カイン様が社会から孤立してしまう)
私は焦っていた。
彼を孤独から救ったはずなのに、結果として彼を「私だけの世界」に閉じ込めてしまっているのではないか。
そんなある日の放課後。図書室でカイン様が資料を探しに席を外した、ほんの数分間のことだった。
「ねえ、あなた。よく息が詰まらないわね?」
不意に声をかけられ、私は顔を上げた。
そこにいたのは、制服のネクタイを少し緩め、眼鏡の奥から好奇心に満ちた瞳を光らせる少女だった。
艶やかな栗色の髪を高い位置でまとめた彼女は、私の返事も待たずに向かいの席へ座り込んだ。
「私、ファティマ・ヴェント。……そんなに怯えなくていいわよ。あのアイスドールが戻ってくる前に、一言話してみたかっただけだから」
「あ、アイスドール……?」
「グランドール様のことよ。彼、あなたの前以外では、表情筋が死滅した彫刻みたいなんですもの」
ファティマはクスクスと笑った。
彼女の家は、情報収集を得意とするヴェント伯爵家。原作でも、どの派閥にも属さず「傍観者」を貫く特殊な立ち位置の家系だったはずだ。
「セシリア様、あなたは彼を『救っている』つもりでしょうけど、今のままだと共倒れよ。彼という巨大な重力に、あなたが潰されちゃう」
直言すぎる彼女の言葉に、私は言葉を失った。
図図しいと感じるよりも先に、ずっと一人で抱えていた不安を言い当てられた衝撃が勝った。
「私と友達にならない? 私は彼を怖がらないし、あなたを彼から奪うほど愚かじゃない。ただ……興味があるの。貴方たちの関係、見ていて面白いもの」
彼女が差し出した手。
それを受け取ろうとした瞬間、図書室の空気が一気に凍りついた。
「……僕のいない間に、セシリアに何をしているんだい?」
背後から聞こえたのは、地獄の底から響くような低い声。
カイン様が戻ってきたのだ。その瞳は、獲物を殺す寸前の肉食獣のような鋭さでファティマを射抜いている。
「カ、カイン様! 違います、これは……!」
「下がって、セシリア。その女は、君を僕から遠ざけようとしている」
カイン様の指先に、魔力の火花が散る。
本気だ。彼は本気で、ただ私に話しかけただけのクラスメイトを「排除」しようとしている。
しかし、ファティマは動じなかった。彼女は優雅に立ち上がると、カイン様を見据えて不敵に微笑んだ。
「まあ怖い。グランドール様、そんなに殺気を振りまくと、セシリア様がまた『私が無茶をしたから彼を追い詰めてしまった』って、自分を責めることになりますわよ?」
カイン様の動きが、ぴたりと止まった。
ファティマはさらに続ける。
「今の彼女には、あなた以外の空気を吸う時間が必要だわ。もしあなたが彼女を壊したくないのなら……私のような『無害な毒』を近くに置いておくことをお勧めします。私が彼女の話し相手をしている間、あなたはもっと効率的に『敵』を潰しに行けるでしょう?」
「……僕を、利用しようというのか」
「利害の一致、と呼んでほしいわね。私はあなたの隣という特等席で、歴史が変わる瞬間を見てみたいだけ」
カイン様は長い沈黙の後、舌打ちをして魔力を収めた。
彼にとって、ファティマの「セシリアを壊したくないなら」という指摘は、無視できない急所だったのだ。
「……セシリア。君は、この女と話したいのか?」
カイン様が、すがるような、けれど試すような目で私を見る。
私は彼の震える手を両手で握り、真っ直ぐに答えた。
「はい。私は、カイン様にお話しできる友達を紹介したいんです。……私だけじゃなくて、カイン様の世界を、もっと広げてほしいから」
カイン様は一瞬、ひどく傷ついたような顔をしたが、私の必死な形相を見て、溜息とともに肩の力を抜いた。
「……好きにすればいい。ただし、ヴェント令嬢。少しでも彼女を僕から引き離そうとしたら、その時は君の家ごと、この国から消えてもらう」
「心得ておりますわ、閣下」
ファティマは茶目っ気たっぷりにウインクをした。
それからというもの、私たちの周囲に不思議な変化が訪れた。
「ねえカイン、その魔術式の展開、非効率的じゃないかしら。セシリア様が計算を手伝う時間は必要ないと思うのだけど」
「……黙れ。セシリアと一緒に考えることに意味があるんだ」
「はいはい。セシリア様、こっちの新作お菓子を食べながらやりましょう。カインの分はないわよ」
「貴様……!」
毒舌を吐きながらも、絶妙な距離感で私たちの間に割り込むファティマ。
カイン様は相変わらず彼女を毛嫌いしているが、一方で「ファティマにセシリアを任せている間、自分は将来の邪魔者となる王太子派を叩き潰す」という合理的な行動を取り始めるようになだていた。
カイン様にとって、ファティマは「セシリアを預けてもいい、唯一の(監視付きの)檻の鍵」になったのだ。
「セシリア様、あのアイスドールも、少しは角が取れてきたわね」
ある日の午後、カイン様が席を外した際、ファティマが小声で言った。
「……ありがとう、ファティマ。あなたのおかげで、カイン様が少しだけ『普通』の男の子に見える時があるわ」
「あら、買い被りすぎよ。彼は相変わらず狂ってる。……でも、その狂気を受け止めて笑っていられるのは、世界であなたと、少しだけ頭のおかしい私くらいなものだわ」
私はファティマの手を握った。
原作にはいなかった、唯一の味方。
彼女の存在が、破滅へと突き進む私たちの運命を、ほんの少しだけ変えてくれるような――そんな淡い期待を、私は抱かずにはいられなかった。




