三話 入学
王立魔法学園の入学式。それはこの国の貴族子女にとって、人生の格が決まる最重要の日だ。
白亜の石造りの校門の前には、豪華な紋章を掲げた馬車が列をなし、色とりどりの制服に身を包んだ若者たちが期待に胸を膨らませていた。
「……セシリア、顔色が悪いけれど。馬車酔いかな?」
隣に座るカイン様が、心配そうに私の顔を覗き込む。
十四歳になった彼は、もはや「美少年」という言葉では足りないほどの、暴力的なまでの美貌を備えていた。すらりと伸びた背筋、陶器のように滑らかな肌。そして、深い夜の闇を溶かしたような黒髪。
「いえ、大丈夫ですわ。ただ……少し緊張してしまって」
私は精一杯の笑みを返した。
嘘だ。緊張しているのではない。「始まった」という恐怖に震えているのだ。
この学園は、乙女ゲーム『聖女と白銀の騎士』のメインステージ。
ここでカイン様は聖女ルミナに出会い、狂おしい恋に落ち、そして破滅への坂道を転げ落ちていく。
(絶対に、あんな結末にはさせない)
私はドレスの裾を強く握りしめた。
今日まで五年間、私はカイン様の孤独を埋めるために捧げてきた。彼は今、私を信じ、私だけを頼りにしてくれている。原作のカイン様が求めて止まなかった「無条件の愛」を、私は与え続けてきたはずだ。
「緊張する必要なんてないよ。僕がずっとそばにいる」
カイン様は私の手をとり、指先に軽く唇を寄せた。
その仕草はあまりに優雅で、周囲の令嬢たちから「まあ……っ!」と吐息が漏れる。
けれど、彼の瞳には私しか映っていない。
馬車の扉が開かれ、彼が先に降りて私に手を差し出す。
その瞬間、ざわついていた校門前が、水を打ったように静まり返った。
「あれが……グランドール公爵家の……」
「なんて禍々しいほどに美しいの……」
畏怖と憧憬が混じった視線。
原作での彼は、その冷徹な雰囲気から「氷の公爵」と恐れられていた。けれど今は、私のエスコートをする彼の表情はどこまでも穏やかだ。
「行きましょう、セシリア。君と僕の、新しい生活の始まりだ」
彼の差し出した手。私はその温もりを信じて、最初の一歩を踏み出した。
この先に待つのが、救済か、それとも破滅か。
入学式は、大講堂で行われた。
豪奢なシャンデリアが輝く中、新入生代表として演壇に立ったのは、当然ながらカイン様だった。
学力、魔力、家柄。そのすべてにおいて、彼は他を圧倒していた。
演壇に立つ彼は、まるで彫像のように冷たく、完璧だった。
祝辞を述べる彼の声は、低く、心地よく響く。
「……我々はこの学び舎において、己の力を磨き、国に尽くす義務がある。しかし、真の力とは、守るべきものを定めた時にこそ発揮されるものだ」
彼の視線が、一瞬だけ、生徒席の最前列にいる私に向けられた。
わずかに細められた赤い瞳。
それは慈しみというよりは……獲物を狙う鷹のような、あるいは愛おしい玩具を見つめる子供のような、どろりとした熱を帯びていた。
周囲の生徒たちは、彼のカリスマ性に圧倒され、感嘆の吐息を漏らしている。
だが、私は知っている。
彼が語る「守るべきもの」が、国でも民でもなく、ただ一人の少女――私であることを。
「……以上だ」
簡潔な挨拶が終わり、万雷の拍手が湧き起こる。
その中を歩いて戻ってくる彼を、私は笑顔で迎えた。
「素晴らしい演説でしたわ、カイン様」
「そうかな。君にだけ伝わればいいと思って書いたんだ」
彼は私の隣に座ると、ごく自然に私の指を絡めた。
公の場での過剰な接触。周囲の貴族の視線が突き刺さる。
恥ずかしさに身をよじろうとしたが、彼の指の力は思いのほか強く、逃げることを許さなかった。
「……カイン様、皆様が見ていらっしゃいます」
「いいじゃないか。僕たちが婚約者同士であることは、周知の事実だろう?」
彼の微笑みは、どこまでも美しい。
けれど、その背後に潜む「独占欲」という名の怪物が、少しずつその牙を見せ始めているのを、私は見ないふりをした。
そうして入学式が終わり、教室への移動が始まった時のことだ。
廊下の向こうから、一人の少女が歩いてくるのが見えた。
地味な制服を瑞々しく着こなし、柔らかな金髪をなびかせる少女。
その周囲だけ、春の陽だまりが落ちたように明るい。
(ルミナ……!)
私の心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
ゲームのヒロイン。聖女の力を持つ平民特待生。
彼女が歩くたび、周囲の男子生徒たちが自然と目を奪われていく。彼女こそが、この世界の「光」なのだ。
ルミナは、私たちの前まで来ると、緊張した様子で足を止めた。
そして、勇気を振り絞ったように、カイン様を見上げて言った。
「あの、グランドール様! 先ほどの演説、とても感動しました。私、平民で不安だったんですけど、あなたの言葉を聞いて……」
―――シナリオの強制力だ……。
本来、カイン様とルミナの出会いは、この廊下での何気ない会話から始まる。
ここでカイン様が彼女の「物怖じしない瞳」に興味を持ち、少しずつ惹かれていくのだ。
私は息を呑み、カイン様の反応を見守った。
もし彼がここで彼女に恋をすれば、私の五年間は無意味になる。けれど、今の彼は私の知る未来を免れるかもしれない。
複雑な思いが胸を去来する。
しかし。
「どいてくれないか」
カイン様の声は、氷のように冷たかった。
ルミナの明るい表情が、一瞬で凍りつく。
「え……?」
「君の放つ光が、僕には不快だ」
カイン様はルミナを一顧だにせず、彼女の肩を乱暴に押しのけて歩き出した。
まるで、道端に転がる石ころでも退けるような、無慈悲な足取り。
「あ、あの……!」
「二度と僕に気安く話しかけないでくれ。君のような中身のない光は、見ていて虫唾が走るんだ」
彼はルミナを振り返ることさえせず、私の肩を抱き寄せ、足早に立ち去った。
「カイン様! あ、あの方は……」
「いいんだ、セシリア。あんな女はどうでもいい」
彼の腕の中、私は震えていた。
原作では、彼はルミナの「聖なる光」に救いを見出していたはずだ。
それなのに、今の彼は、その光を「不快」だと断じた。
「僕を救ってくれる光は、世界で君一人だけでいい。……それ以外の光は、僕には毒でしかないんだよ」
私の耳元で囁かれたその声は、甘く、そして絶望的に濁っていた。
カイン様を聖女から遠ざけることには成功した。
けれど、その代償として、彼は「唯一の理解者」である私に、逃げ場のないほど深く執着し始めていた。
これは3年間学園生活の、ほんの序章に過ぎない。それなのに不穏な気配が既に私を取り巻き、漂っていた。




