三十五話 破滅へのカウントダウン
カイン様がヴィンセントと接触してから数日。王都の空は、昼間であっても薄暗い雲に覆われ、不気味な静寂が街を包んでいた。
私の意識は混濁し、もはやベッドから起き上がることも叶わない。
そんな中、彼が今何を企んでいるのかを聞いても帰ってくる答えは「君を救うためなんだ」という一言のみ。
一時の彼の変化に一喜一憂し、自分が居なくなる未来を考えもしなかったその甘さを今になって後悔する。
そんな時、静寂を破って寝室の扉が激しく開かれました。
「……カイン! 貴様、何をしているか分かっているのか!」
現れたのは、銀の甲冑を纏ったエドワード殿下と、その後ろで今にも泣き出しそうなルミナさん、そして険しい表情のレオン様だった。
殿下の手には、王宮の結界が何者かによって内部から侵食されていることを示す、警告の魔導具が握られている。
「……何の用だ、殿下。僕の婚約者の寝室で騒がないでほしいな」
カイン様は、私の枕元で椅子に腰掛けたまま、顔を上げることなく冷淡に答えた。その手には、あの黒い魔導書がある。
「王城地下の『礎』の封印が解かれようとしている。……。それにヴィンセントの残滓が動いているという報告があった。だが、その結界を解除できる魔力特性は……我が国では父と私を除き……君と、君の父上しかいないはずだ」
殿下がカイン様の肩を掴み、無理やりこちらを向かせました。
「答えろ、カイン! 貴様、ヴィンセントと何を企んでいる!」
「……企んでいる? 心外だな。僕はただ、彼女を救おうとしているだけだ」
カイン様がゆっくりと顔を上げる。
その瞳は、もはや殿下が知っている「良きライバル」としての姿を失ってしまった。
「聖女の魔法でも救えず、王家の加護も届かない。……なら、この国のシステムそのものを組み替えるしかないだろう? 礎の魔力を逆流させ、因果律を上書きする。そのためには、今の『秩序』が少しばかり邪魔なんだ」
「正気か!? 礎を暴走させれば、王都の民はどうなる! 世界の均衡が崩れれば、どれだけの犠牲が出ると思っている!」
「知ったことか。……セシリアが死ぬ世界に、何の意味がある? 百万の民が生き延びようと、僕の隣に彼女がいないなら、それはただの地獄だ」
「カイン様、お願いです! 落ち着いてください!」
殿下の言葉すら届かない現状にルミナさんが膝をつき、カイン様の袖に縋り付く。
「セシリア様だって、こんなことは望んでいません! 貴方が罪を犯すのを見たら、どれほど悲しまれるか……!」
「ルミナ。君のその『正論』が、彼女を殺そうとしているんだ」
カイン様は冷酷にルミナさんの手を振り払う。
「君たちはいつだって、多数の幸せと一つの犠牲を天秤にかける。……だが僕は違う。僕は彼女一人を皿に乗せ、反対側にこの世界を乗せる。そして、迷わず世界を跳ね除ける」
「……残念だよ、カイン。友として、君を処刑しなければならないとは」
「そんな……!エドワード様まで」
エドワード殿下が、悲痛な面持ちで聖剣を抜いた。
それは「正義の王」としての、あまりにも正しい決断。
「友……? 傲慢だな、殿下。……僕は一度だって、貴方を友だと思ったことはない。ただ、彼女が笑う世界のために、貴方の『正義のごっこ遊び』に付き合ってあげていただけだ」
カイン様が立ち上がると、部屋の温度がまるで氷点下まで急降下したように冷える。
彼の足元から溢れ出した闇が、魔導書の悪意と共鳴し、巨大な鎌のような形状を成す。
「レオン、ルミナを連れて下がれ。……ここからは、王国の反逆者を鎮圧する戦いだ」
「殿下、本気ですか?……カイン、お前もそれでいいのか!」
レオン様が苦渋の表情で叫びますが、二人の間に流れる魔力は、すでに後戻りできない殺意に満ちていた。
「セシリア。少しだけ眠っていて」
カイン様は私に優しく、けれど抗えない魔力による眠りの暗示をかけられた。
意識が遠のく中、私が最後に見たのは、かつての仲間同士が互いの胸を貫こうと武器を構える、地獄のような光景。
――かつて私たちが共に守った「平和な日常」は、今、カイン様自身の手によって、灰へと変わり始めてしまった。




