三十四話 エラー
公爵領から王都へ戻る馬車の中、異変は唐突に訪れた。
「……っ、う……」
心臓を冷たい氷の棘で貫かれたような衝撃。
私は呼吸の仕方を忘れたように、その場に崩れ落ちましまった。
「セシリア!? どうした、顔色が真っ白だ……!」
カイン様が慌てて私を抱き寄せてくる。
外傷もなく、魔力の暴走でもない。けれど、私の体からは生命力が砂時計から零れるように、さらさらと失われていく感覚に襲われていく。
学園に戻ってからも、私の体調は一向に回復することが無かった。
王宮の治癒魔導士も、聖女であるルミナさんも、私の体を診ては首を傾げるばかり。
「おかしいわ……。外傷も呪いも検出されないのに、セシリア様の『存在』そのものが希薄になっているみたい……」
ルミナさんの手が震えています。彼女の最高位の治癒魔法ですら、私の体を通って霧散してしまうのだ。そんな状況下になって私はようやく理解する。
(……ああ、そうか。これが「世界の修正力」なのね)
私は、ぼんやりとした意識の中で自分の存在を考え直す。
ゲームのシナリオ上、セシリア・シルヴェスタは2年生の終わりに処刑されるか、没落して姿を消す運命。
3年生のこの時期に、カイン様の愛を一身に受けて幸福に過ごしていること自体が、この世界のシステムにとっての「エラー」なのだ。
世界は、私という存在を「消去」しようとしている。
❄❄❄
「……下がれ。全員、出て行け」
私の寝室で、カイン様が低く、押し殺した声でそう命じた。
ルミナさんや殿下たちが去った後、彼は私の枕元に跪き、私の冷たくなった手を自分の頬に押し当てました。
「何なんだ、これは。父上の次は、神の気まぐれか? ……僕から、これ以上何を奪えば気が済むんだ」
彼の瞳からは光が消え、底なしの闇が広がっているように見える。
だから、彼の頬に触れようとした……その時。
「……クク、無駄だよ、カイン君。彼女を蝕んでいるのは病じゃない。『筋書き』だ」
窓際に、影のように男が1人現れた。
声でわかる。行方不明になっていたヴィンセントが、以前よりもさらに禍々しい気配を纏って現れたのだ。
「ヴィンセント……! 貴様、何をしに来た!」
カイン様が殺意を剥き出しにして立ち上がりますが、ヴィンセントは愉しげに肩をすくめている。
「助言だよ。……彼女はね、この世界という舞台における『不要な役者』だ。だから脚《運》本《命》が彼女を消そうとしている。君がどれだけ魔力を注ごうと、聖女が祈ろうと、無駄な足掻きさ」
ヴィンセントは一冊の古びた魔導書を、カイン様の足元に放り投げました。
「彼女を生かしたいなら、脚本を書き換えるしかない。世界そのものを、彼女が存在しても良い『別の形』に作り変えるんだ。カイン君、それを君にならできる。 そのための力、そのための知識……僕が全て授けてあげるよ」
「カイン様……、いけません……。その男の誘いに乗っては……っ」
そう私は必死に声を絞り出しましたが、カイン様はその本を拾い上げ、震える指で表紙に触れてしまう。
「……セシリア。君がいなくなるくらいなら、僕は神だって殺す。……この世界が君を拒むなら、そんな世界に価値なんてない」
カイン様はヴィンセントの方を向き、その口角を歪な形に吊り上げる。いけない。
彼が道を踏み外そうとしている。
「教えろ、ヴィンセント。……世界を壊し、彼女だけの『檻』を作る方法を」
「ああ、いいとも。……まずは王城の地下、この国の『礎』となっている大魔導具を乗っ取ることから始めようか」
カイン様の手の中で、魔導書が黒い煙を上げて共鳴する。
私を救いたいという純粋な願いが、ヴィンセントの悪意と混ざり合い、修復不可能な「狂気」へと昇華されていく。
その光景を見た時、私の瞳からは自然と涙が溢れていた。
(彼を救えなくなってしまう……!)
「……泣かないで、セシリア。すぐに楽にしてあげる。……。君を苦しめるこの世界を、僕が全部終わらせてあげるから」
カイン様は私の額に、ひんやりとしたキスを落とした。
彼の背後で、ヴィンセントが満足げに目を細めている。
窓の外では、不気味に赤く染まった月が、王都を照らし始めていました。
それはまるで私の夢見た救済の物語が終わりを告げ、破壊のカウントダウンへの序曲へと入るような光景だった。




