三十三話 帰郷
3年生への進級を控えた春休み。カイン様は私を伴い、北方の要衝に位置するグランドール公爵領へと帰郷した。
これまでの長期休暇は、私の実家であるシルヴェスタ公爵家で穏やかに過ごすことが多かったのですが、今回は現当主であるカイン様の父――グラン・グランドール公爵からの直々の呼び出しがあったのです。
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黒い石材で築かれた公爵城は、主の性格を映したかのように冷徹で、一切の装飾を排している。
「……よく戻ったな、カイン。そして、シルヴェスタ家の娘も」
謁見の間に座るグラン公爵は、カイン様をさらに鋭利にしたような男だった。その双眸には息子への情愛など微塵もなく、ただ「次期当主という駒」を査定する冷ややかな光だけが宿っている。
「父上。お変わりないようで」
カイン様の声も、学園で見せるものとは違う、感情を殺した硬い響きだ。
「学園での噂は聞いている。殿下の腰巾着に甘んじ、聖女の失態を肩代わりし……挙句の果てには、その女に骨抜きにされているそうだな」
そう言うと公爵の視線が、私の喉元を射抜くように注がれた。カイン様と似ているようで、異なる冷たいだけの視線。
「カイン。お前は我が家の家訓を忘れたか。『力なき正義は無価値。愛とは、支配の代償に過ぎない』。……お前が今抱いているものは、支配ではなく、ただの依存だ。それは公爵家の当主として致命的な欠陥だ」
「……セシリアは僕の婚約者です。それ以上の意味はありません」
カイン様が私の前に一歩出る。ただの背中が、微かに強張っているのが分かるほどに彼は父親という支配から脱却できていなかったのです。
その日の晩餐。公爵は、食事の手を止めることなく、残酷な事実を淡々と告げてきた。
「カイン。卒業後、お前には隣国の王女との縁談を進めてもらう。シルヴェスタ家の娘との婚約は、近々解消の手続きを取る」
「――何だと!?」
勢いよくカイン様が立ち上がると、テーブルが激しく揺れた。
しかし、公爵は眉一つ動かす事をしない。
「シルヴェスタ家は、今の王政に肩入れしすぎている。いずれ来る激動の時代、我が家が生き残るためには、王家と距離を置き、独自の大国と結ぶ必要がある。……。愛だの約束だのという子供の遊びは、学園だけで終わらせろ」
「父上、ふざけないでください! セシリア以外と結婚するなど……」
「……ならば、その女を殺せばいいのか?」
公爵の声は、それが冗談でない事を確かに示している。
「お前が拒むなら、私はいつでも実行に移す。シルヴェスタの娘が生きている限り、お前は甘さを捨てきれない。……お前が彼女を救いたいなら、お前自身が『情』を捨て、私の望む完璧な道具になることを証明しろ」
公爵は私を見据え、氷のような笑みを浮かべました。
「セシリア嬢。君も分かっているだろう? 君が彼の傍にいることが、今のカインにとって最大の『弱点』になっているのだよ。君が本当に愛しているなら、自ら身を引くか……あるいは、殺すか」
その夜。カイン様は私に用意された部屋に現れた。そして壊れ物を扱うように私を抱きしめてきた。
彼の体は、凍えるように冷たく、そして震えている。
「……カイン様。私なら大丈夫です。公爵様のお言葉も……」
「黙って、セシリア。何も言わないでくれ」
カイン様の指先が、私の髪を狂おしいほど強く撫でる。
「父上は間違っている。僕が君を愛しているから弱くなったんじゃない。……僕が『弱すぎる』から、父上ごときを黙らせる力がないから、君を不安にさせるんだ」
彼の瞳の奥で、かつて消えたはずの暗い炎が、より不気味な色で再燃していた。
「……正攻法じゃ駄目なんだ。正義や秩序、身分のルールに従っている限り、僕は君を失うことになる。ねえ、セシリア。君は僕を信じてくれるだろう? 僕が、どんな手段を使っても君を守ると」
「ええ……。もちろんですわ。私は……カイン様と一緒にいられるなら、他には何もいりません」
私は彼の不安を打ち消そうと、そう微笑んだ。
けれど、その時の私はまだ気づいていなかった。
私のその「無条件の肯定」が、彼に「世界を敵に回す許可」を与えてしまったことに。
暗い部屋の中で、カイン様の影が長く、巨大に伸びていく。
公爵家への帰郷。それは、カイン様を再び「支配される恐怖」に陥れ、「支配するための狂気」へと手を伸ばす、最初の引き金となってしまったのです。




