三十話 悪役令嬢として
轟音と共に視界が反転し、私たちは塔の深淵へと叩き落とされた。
肺から空気が押し出されるような衝撃の後、鼻をついたのは、湿った土と腐敗した魔力の匂いだった。
「……っ、ルミナさん! 無事ですか!?」
私は痛む体を引きずりながら、隣に倒れていた彼女の肩を揺さぶった。
「……あ……う、うう……セシリア様……」
ルミナさんは顔を真っ白にしながらも、何とか目を開ける。上層から差し込む月光は遠く、私たちは崩落した瓦礫によってカイン様たちとは完全に分断されてしまったのです。
暗闇の奥から、カチカチと節足動物が這いずるような音が聞こえてくる。ヴィンセントの実験体――不完全な魔獣たちが、獲物を求めて集まってきたのだ。
「ああ……どうしましょう。カイン様も殿下もいないのに……!」
震えるルミナさんの姿を見て、私の中で何かが切り替わった。
カイン様の前でだけ見せていた「か弱い婚約者」の皮を、今は脱ぎ捨てる時だ。
この体には、元々カイン・グランドールという怪物を踏みつけ、学園で暴君として君臨していたセシリア・シルヴェスタの魔力が眠っている。
(思い出して。ゲームの設定……悪役令嬢セシリアの得意魔法は、『空間の重圧』と『熱線』!)
私は立ち上がり、迫りくる暗影に向けて右手をかざした。
「……不愉快ですわ。許可なく私の領域に踏み込まないでいただけますか?」
かつてのセシリアが持っていた冷徹な口調が、自然と唇を衝いて出る。
私の手先から、カイン様の闇とは質の違う、暴力的なまでの純粋な魔力が奔流となって放たれた。
「――『グラビティ・プレス』!」
不可視の圧力が魔獣たちを床に叩き伏せ、石造りの床にヒビを刻む。
「ひっ……!?」とルミナさんが息を呑むほどの、凄まじい威圧感。
これが、本来の「セシリア」の力。
多くを圧倒することの出来る快感が胸の奥にいるセシリアに呼応するように響くけれど、それを無視して私はルミナさんへ声をかける。
「ルミナさん、怯えている暇はありませんわ! 私が重力で敵を固定します。貴女の浄化魔法で、その『核』を撃ち抜いて!」
「え……は、はいっ! やってみます!」
ルミナさんは震える手で杖を構えた。
私は魔力を絞り出し、次々と闇から湧き出す魔獣たちの動きを止める。
本来のセシリアなら、ここで敵をなぶり殺しにできるのだろうが、今の私にはそれだけの冷酷さも力もない。
「今です、ルミナさん!」
「聖なる光よ、迷える魂に眠りを――『シャイニング・ボルト』!」
ルミナさんの放つ純白の光が、私の重力魔法によって無防備になった魔獣を正確に射抜く。
一人では押し潰され、一人では狙いを定められなかった。
けれど今、私たちの力を噛み合わせることで、圧倒的な数の暴力を食い止めていた。
「……セシリア様、凄いです。こんなに強かったなんて……」
「……伊達に悪役を名乗ってはいませんわ。ですが、これではキリがありません」
「悪役……?」
言ってからハッ……となる。無意識に出たおかしな言葉に言葉にルミナさんが首を傾げた。そんな時。
「素晴らしい。実に素晴らしい連携だ」
頭上から、拍手のような音が響いた。
壁に設置された拡声の魔導具から、ヴィンセントの愉しげな声が降ってくる。
「セシリア嬢。君がその本来の力を振るう時、君の瞳はカイン君と同じ、救いようのない『支配者』の色をしている。……。そして聖女ルミナ。君が彼女と手を取り合えば、その光はより鮮明に、影を浮き彫りにする。……実験は成功だ。君たちが協力すればするほど、君たちの本質は離れていく」
「……ヴィンセント先生。貴方の講釈は聞き飽きましたわ。今すぐここを開けなさい」
「いいえ、まだです。……。そこにある『扉』を開けてごらんなさい。カイン君たちが辿り着く前に、君たちが何を選択するか……私はそれが見たい」
暗闇の先、重厚な石の扉が、音を立てて開いた。
そこから漂ってきたのは、ユリウス君の魔力と……彼が飲み込まれようとしている、さらに巨大な「異形」の気配だった。
「ルミナさん、行きますわよ。待っているだけなんて、私の柄ではありませんもの」
私はルミナさんの手を強く握った。
カイン様が助けに来るのを待つのではない。
カイン様が私を見つけた時、胸を張って「無事ですわ」と微笑むために。
悪役令嬢と聖女、あり得なかったはずのコンビが、奈落の奥へと足を踏み出した。




