二十三話 新たな兆し
王立学園に、再び桜の季節が巡ってきた。
2年生になった私たちは、新入生を迎える立場となり、カイン様は学年首席として、私はその婚約者として、学園の模範となる振る舞いを求められていた。
「……セシリア。ネクタイが少し歪んでいるよ」
生徒会室へ向かう回廊。カイン様が足を止め、私の襟元に手を伸ばす。
1年前のような、張り詰めた緊張感はない。彼の手つきは慣れたもので、まるで長年連れ添った夫婦のような、穏やかで濃密な空気が流れている。
「ありがとうございます、カイン様。……ふふ、なんだか不思議ですね。私たちがこうして、無事に2年生になれるなんて」
「どうして? 君が望んだ未来だろう?」
カイン様は微笑み、私の頬を指の背で撫でる。
私が「転生者」であることを知って以来、彼は私を過剰に束縛しなくなった。
なぜなら、「私の全てを知っているのは、世界で彼だけ」という事実が、彼に絶対的な優越感と安心感を与えているからだ。
「さあ、行こうか。……今日は、あの『騒がしい連中』がまた何かやらかしているみたいだからね」
中庭のテラス席には、人だかりができていた。
その中心にいるのは、聖女ルミナさんと、彼女を取り囲む煌びやかな男子生徒たち。
3年生になり、より騎士らしく逞しくなったレオン様。
次期国王としての風格が増したエドワード殿下。
そして、今年入学してきたばかりの話題の新入生、ユリウス・フォン・ラングレー。
「ええっと、あの……! 皆様、そんなに詰め寄らないでくださいませ!」
ルミナさんが困り果てた声を上げている。
これは、まさに原作ゲームの「逆ハーレムイベント」の発生だ。
2年生になると、攻略対象たちの好感度が一定以上になり、ヒロインを巡る争いが表面化し始めるのだ。
「あ、セシリア様! カイン様!」
私たちを見つけたルミナさんが、助けを求めるように駆け寄ってきた。
彼女は私の腕にギュッとしがみつく。
「セシリア様、助けてください……。皆様が、『今度の舞踏会のパートナーは誰にするんだ』って、朝からずっと……」
「まあ、ルミナさんったら。モテモテですわね」
私が苦笑すると、背後から新入生のユリウス君が、人懐っこい笑顔でひょいと顔を出した。
「先輩! ズルいですよ、聖女様を独り占めして。……僕なんて、入学したばかりで右も左も分からないのに、先輩たちが怖い顔で威圧してくるんです」
ユリウス君は、金髪碧眼の、絵に描いたような美少年。
彼は「無自覚な甘え上手」という属性を持ち、母性本能をくすぐる1年遅れのライバルキャラだ。
「おい、ラングレー。誰が怖い顔だ」
レオン様が不機嫌そうに腕を組む。
「抜け駆けしようとしたのは貴様だろう。……セシリア嬢、すまないが彼女を返してもらえるか。まだ話は終わっていない」
カイン様と私の周りに、攻略対象たちが集結する。
本来なら、ここはカイン様が次に襲撃を立ててくるフラグとなる修羅場シーン。
けれど、今のカイン様は、そんな彼らをどこか冷めた、しかし余裕のある瞳で見下ろしている。
「……平和だね。君たちが聖女を巡って子犬のようにじゃれ合っている間に、世界は回っているというのに」
「なんだ……カイン。貴様は随分と余裕があるようだな」
エドワード殿下が問うと、カイン様は私の肩を抱き寄せ、優雅に微笑んだ。
「ええ。僕には、この世界で唯一の『理解者』がいますから。……君たちが誰を選ぼうと自由ですが、僕たちの時間を邪魔することだけは許しませんよ」
その言葉に、ルミナさんがどこか安心したような顔をした。
彼女にとって、カイン様と私は救う手も届かない絶対領域を築いた存在であったけれど、今の落ち着いた彼の様子を見て、改めて思うことがあったのでしょう。
それこそ、恋に悩まされる彼女にとっては「憧れの、完成された二人」になりつつあるのだ。
「……でも、カイン様。あまり他人事のように仰らないでくださいな。ルミナさんは、国の象徴となる方ですのよ」
私が小声でたしなめると、カイン様は耳元で囁き返した。
「分かっているよ。……でも、見てごらんセシリア。あの新入生。……目は笑っているけれど、魔力の波長が少しおかしい。……ヴィンセントの匂いがする」
ドキリとした。
平和な学園ラブコメのワンシーンに見えて、カイン様だけは、その裏にある違和感をすでに察知していたのだ。
「……え?」
「今はまだ、泳がせておこう。……せっかくの君とのティータイムを、不味くしたくないからね」
カイン様は、生徒会室へ向かう足を止めず、私をエスコートする。
背後では、まだルミナさんを巡る賑やかな口論が続いている。
「セシリア様~! 置いていかないでください助けてくださいまし〜!」
ルミナさんの悲鳴のような声を背に、私たちは「二人だけの世界」へと歩を進めた。
平和に見える日常。けれど、その水面下では私も知らない不穏な新しい歯車が、静かに回り始めている。




