二十話 後始末
収穫祭の夜の騒乱は、カイン様が「暴漢からセシリアを守るために魔力を暴走させた」という公爵家の強引な火消しによって、表面上は収束した。
けれど、あの日を境に、私たちを取り巻く空気は決定的に変わってしまった。
❄❄❄
学園の喧騒から離れた、古い温室の奥。
カイン様は私の膝に頭を預け、穏やかな表情で目を閉じている。
「セシリア。君が教えてくれた『未来』……。僕が聖女に討たれるはずだったあの結末は、もうどこにもないんだね」
カイン様の指が、私の掌の線をなぞる。
私は、自分が転生者であること、そしてこの世界の「本来の筋書き」を、すべて彼に打ち明けた。彼はそれを驚くほど淡々と、まるで心地よい子守唄でも聴くかのように受け入れた。
「ええ。もう、あの悲劇は起こりませんわ。……私が、そうさせませんから」
「ふふ、頼もしいね。でも、面白いな。君が救おうとした『カイン』は、今の僕よりもずっと、人間らしかったのかもしれない」
カイン様は目を開け、深紅の瞳で私を見上げた。
「今の僕は、君に愛されるためなら、神様が書いた筋書きさえも破り捨てる。君を困らせる聖女も、君を連れ去ろうとしたヴィンセントも……。必要なら、僕がこの学園ごと『書き換えて』あげるよ」
その言葉は甘く、けれど背筋が凍るような絶対的な力を秘めていた。
温室の外では、エドワード殿下とルミナさんが、こちらを複雑な表情で見つめていた。
以前なら、私は申し訳なさに目を逸らしていただろう。けれど今は、彼らの向ける「正義」や「同情」が、ひどく遠い世界の出来事のように感じられる。
「……セシリア様。あなたは、本当にそれで幸せなのですか?」
ルミナさんが、消え入りそうな声で問いかけてくる。
彼女の持つ「聖女の直感」は、今の私たちが、正常な愛の形を逸脱していることを敏感に感じ取っているのだ。
「ええ、ルミナさん。私は今、人生で一番幸せですわ」
私は、カイン様の髪を優しく撫でながら、微笑んで答えた。
嘘ではない。彼と秘密を共有し、彼という存在のすべてを受け入れた今、私の心はかつてない安らぎに満ちている。
たとえそれが、周囲から見れば「怪物に魅入られた哀れな令嬢」に映っていたとしても。
「……殿下、もう行きましょう。あのお二人は……私たちの言葉が届く場所に、もういらっしゃらない」
ルミナさんの目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
彼女たちの「ハッピーエンド」の世界から、私たちは自ら退場したのだ。
一方、ヴィンセント様だけは、この歪んだ結末を誰よりも愉しんでいた。
彼は学園の回廊の影で、私たちが通り過ぎるのを待っていた。
「素晴らしい、シルヴェスタ嬢。君は『破滅』を回避したのではない。カイン・グランドールという個体を、君という毒で完全に『再定義』したのだ。……もはや彼は、聖女の光などでは救えない。君という薬がなければ、一瞬で世界を呪い殺す魔王に成り果てる」
ヴィンセント様は、狂喜に満ちた瞳でカイン様を見つめる。
「君たちは、この学園という小さな箱庭を卒業した後、どこへ行く? 公爵家か、あるいは……この不完全な国そのものを、自分たちの『寝室』に作り替えるつもりかな?」
「……ディアス先生。あまり喋りすぎると、舌を抜く手間が増えるよ」
カイン様が静かに告げると、ヴィンセント様は肩をすくめて笑った。
「失礼。……ですが、楽しみですよ。いずれ来るであろう君たちの破滅が」




