十九話 収穫祭(2)
「カイン様、止めて……! これ以上はやめてください!」
私の叫びは、吹き荒れる魔力の渦に飲み込まれていく。
広場の周囲には、カイン様が展開した漆黒の結界が張り巡らされ、外の世界から完全に遮断されていた。エドワード殿下はルミナさんを庇いながら、必死に剣で結界を叩いているけれど、公爵家の天才が命を削って編み上げた闇は、びくともしない。
「……セシリア。うるさい連中は黙らせたよ。これで、誰も君の秘密を暴こうなんて思わない」
カイン様がゆっくりと私に向き直る。
その頬には、魔力の過剰使用によるものか、黒い紋様が浮き出ていた。
彼は、震える手で私の頬を包み込む。その眼差しは、壊れやすいガラス細工を愛でる子供のようだった。
「君が誰でもいい。……君が僕を救うために、未来を知っている『神様』のような存在だったとしても、僕は構わない。ただ、君が僕を愛しているという『嘘』だけは、死ぬまでつき通して」
カイン様の言葉に、私は胸を掻き毟られるような痛みを覚えた。
彼は、私が「転生者」である可能性に気づきながら、それでも「愛されている」という幻想に縋り付こうとしている。それが、私をこの世界のどこにも行かせないための、彼なりの究極の妥協なのだ。
でも。
このまま彼を受け入れれば、彼は本当に「人」であることをやめてしまう。
私を守るために世界を敵に回し、あの原作の悲劇よりも、もっと孤独で凄惨な結末へと突き進んでしまう。
(……救わなきゃ。カイン様を。……例え、彼に憎まれることになっても)
私は、彼の胸に手を置き、彼を真っ直ぐに見つめた。
「カイン様。……いいえ、カイン・グランドール。私は、あなたの思っているような『セシリア』ではありません」
「……言わなくていい。聞きたくないんだ」
「聞いてください! 私は、ずっとあなたを騙していたのです!」
私の言葉に、カイン様の動きが凍りつく。
「……私は、この世界が『物語』であることを知っていました。……そして、あなたが将来、悪役として死ぬ運命であることも。……私があなたに優しくしたのは、あなたが愛おしかったからではありません。自分の破滅を回避するために、あなたという『爆弾』を解除したかっただけなのです」
嘘だ。本当は、プレイしていた時から彼のことが大好きだった。
でも、今の彼を止めるには、私の愛が「打算」であったと信じ込ませるしかない。
「……打算、だって?」
「ええ。私は、あなたが怖かった。だから、あなたが私から離れないように、あなた好みの『優しい聖女』を演じ続けた。……ヴィンセント様の言った通りです。私の中にあるのは愛ではなく、生存戦略という名の冷徹な計算だけですわ」
カイン様の手が、私の頬から力なくこぼれ落ちた。
「……そうか。僕が、必死に守ろうとしていた君の微笑みも、僕に向けられた優しい言葉も......全部、自分が死にたくないから用意した『台詞』だったんだね」
「……そうです」
「……はは、……あははは!!」
カイン様は、天を仰いで笑い出した。
「……全部、自分が死にたくないから用意した『台詞』だったんだね」
カイン様の震える声が、漆黒の結界の中に響く。
私は彼を傷つけ、遠ざけるために、冷たい仮面を被り続けた。けれど、カイン様は崩れ落ちる寸前で、私の手を強く、壊れそうなほど強く握りしめた。
「……嘘だ」
「……っ」
「セシリア。君は今、僕を見ていない。……僕を傷つけないように、必死に自分の心に鍵をかけている」
カイン様は私の顔を両手で挟み、無理やり視線を合わせさせた。
その瞳には、絶望ではなく、すべてを見透かすような、恐ろしいほど純粋な輝きが宿っていた。
「打算で、僕にこんな悲しい顔ができるはずがない。……君は、僕が悪者にならないように、自分一人で泥を被ろうとしたんだね? ……僕を救うために、僕に『嫌われよう』としたんだ」
私の心臓が、大きく脈打った。
隠し通せると思っていた。彼を突き放すことが、彼を救う唯一の道だと信じて。
けれど、幼い頃から私だけを注視し、私の細かな呼吸さえも愛してきた彼を、欺けるはずもなかったのだ。
「あ……、あ……」
声にならない私の唇を、カイン様の指が塞ぐ。
「いいよ、セシリア。君が『未来』を知っていたって、僕を救うために近づいたんだって、構わない。それが始まりだったとしても、君が僕のために流した涙も、僕を必死に止めようとした今のその嘘も……全部、僕への愛でできている」
カイン様の魔力の渦が、禍々しい黒から、温かみのある深い紫色へと凪いでいく。
彼は私を抱きしめ、その肩に深く顔を埋めた。
「君が神様でも、転生者でも、なんだっていい。……僕を救いたいと願ってくれた、その『意思』こそが僕の真実だ。だから、もう自分を悪者にしないで」
「カイン様……っ。ごめんなさい、私あなたを傷つけることしか……!」
私は彼の胸で、子供のように泣きじゃくった。
打算でも、生存戦略でもない。
ただ、この孤独な魂を救いたかった。彼に愛されることが、いつの間にか私の生きる意味になっていた。
「いいんだ。全部、わかっている。僕も、もう君を閉じ込めたりしない。……君がこの世界の運命を変えようとするなら、僕もその共犯者になろう。聖女も、殿下も、この世界そのものさえ、君の足元を飾るだけの花にしてあげる」
結界が静かに解け、広場に月明かりが差し込む。
遠くでエドワード殿下たちが呆然と立ち尽くしている。
カイン様は私の手をとり、指先に刻まれた「守護の刻印」に、誓いを立てるように口づけた。
「セシリア。君は僕を救うと言ったね。……。なら、その責任をとって。一生、僕の側で。……僕がまた道を誤りそうになったら、その手で僕を導いて」
それは、表面上は美しい「仲直り」だった。
けれど、カイン様の瞳の奥にある独占欲は、解消されるどころか、セシリアの「秘密」までをも共有したことで、「世界で二人だけの運命共同体」という、より強固で逃げ場のない狂信へと昇華されていた。
私たちは、手を取り合って歩き出す。
聖女が救うはずだった「白銀の王国」の真ん中で、私たちは、二人だけの「救済」を完成させるために。
「……愛しているよ、セシリア。君が僕に与えてくれたこの『偽りのない愛』を、僕が永遠に守り抜く」




