十五話 暴かれた話(2)
「――覚えていないのですか? 私がシルヴェスタの屋敷を訪れた、あの日のことを」
翌日の放課後。図書室の整理をしていた私の背後に、またしてもヴィンセント先生が現れた。今度はカイン様が遠くの訓練場にいることを確認しての、確信犯的な接触だ。
「……幼い頃のことでしょう? 私はあまり、昔のことは……」
「そうでしょうね。今の君には、当時あの子が持っていた『選民思想』の欠片も残っていない。……私が君に会った五歳の時、君は私の靴が汚れていると言って、使用人にそれを拭かせ、私を『薄汚い学者』と蔑んだ。……あの時の、身の毛もよだつような傲慢な瞳。……あれは、どこへ消えた?」
(五歳の頃の、セシリア……)
私は息を呑んだ。私がこの体に転生したのは、それよりも後のことだ。
私が変えたのだ。カイン様を救うために、傲慢な令嬢としての振る舞いを捨て、必死に「善良な自分」を演じ、作り上げてきた。
それが、まさかこんな形で暴かれるなんて。
「人は変わるものですわ、先生。成長すれば、愚かだった自分を恥じるようになります」
「……いいえ。これは『成長』ではない。言い表すのであれば『置換』だ」
ヴィンセント先生は、私の耳元で楽しげに、残酷な真実を囁いた。
「今の君が抱いているカイン君への献身。それは、彼への愛ではない。……まるで、『あらかじめ結末を知っている物語を、無理やり書き換えている作業者』の熱意だ。……君は、何を知っている? 君の中にいる『君』は、一体どこの誰だ?」
「……っ」
言葉が出なかった。
彼の指摘は、あまりにも正確で、逃げ場がない。
私がカイン様を愛しているのは本当だ。でも、その始まりが「ゲームの攻略対象としての彼を救いたい」という外側からの動機であったことは否定できない。
「……セシリア」
聞き慣れた、けれど震える声がした。
入り口に、カイン様が立っていた。
いつからそこにいたのか。ヴィンセント先生の言葉を、どこまで聞いていたのか。
カイン様の顔には、表情がなかった。
ただ、その瞳に宿る絶望があまりにも深く、私は足がすくむのを感じた。
「カイン様、これは、その……先生が冗談を……」
「……『置換』? 『物語を書き換えている』……?」
カイン様はふらふらと歩み寄り、私の肩を掴んだ。その指が、服の上からでも分かるほど冷たく、そして強く食い込む。
「セシリア……。あいつが言っていることは、嘘だよね? 君は、僕を救うために『演じている』わけじゃないよね? ……僕を、物語の登場人物みたいに……。哀れな救済対象として、見ているわけじゃないよね……?」
「違います、カイン様! 私は、本当にあなたを……!」
「もし、君が僕を救うために、僕の知らないところで何かを『操作』していたのだとしたら……。僕は、君が愛している僕さえも、偽物だと思わなきゃいけない」
カイン様の瞳から、光が消えた。
彼が一番恐れていたのは、「自分の存在価値」そのものが揺らぐこと。
私が彼を愛している理由が、彼自身の魅力ではなく、「可哀想な彼を救うという使命感」から来ているのだとしたら――それは、彼にとって最大の裏切りだった。
「……セシリア。君を、誰にも触れさせたくないと思っていた。でも、一番遠くにいたのは、君の方だったんだね」
カイン様の魔力が、黒い霧となって図書室を包み込んでいく。
ヴィンセント先生はそれを見て、満足げに笑った。
「さあ、見せてごらんなさい。真実を隠された絶望が、どのような結末を招くのかを」
崩壊が始まる。そう私は直感した。
カイン様の理性が、ヴィンセントが暴いた「セシリアの違和感」という毒によって、ついに最後の一線を超えようとしているのだ。




