十一話 道
「レオン……。何度も、何度も、僕たちの邪魔をするんだね」
カイン様の声は、低く、地を這うような冷たさを帯びていた。
砕け散った窓から吹き込む夜風が、彼の黒髪を激しく揺らす。彼の周囲には、もはや制御しきれないほどの濃密な魔力が渦巻き、離宮の床をミシミシと軋ませていた。
「暴力で沈黙させるのが、貴殿の言う愛か。……カイン、貴殿が今していることは、彼女の心を殺しているに過ぎない」
レオンは木剣ではなく、真剣を構えていた。彼はカインを明確な「脅威」として、殺気を持って対峙している。
「黙れ。彼女は僕のものだ。僕が彼女を守り、僕が彼女を幸せにする。……外の世界など、彼女には必要ないんだ!」
カイン様の指先から放たれた黒い雷光が、レオンの肩を掠めた。
しかし、レオンを追って部屋に踏み込んだファティマが、風の壁で私を覆う。
「セシリア様、今のうちにこちらへ! あいつ、もう正気じゃないわ!」
「……だめ。ファティマ、下がっていて」
私はファティマの手を振り払い、激しい魔力の余波が吹き荒れる中心へと、一歩、足を踏み出した。
「来ちゃダメだ、セシリア! その男を殺すまで、そこで待っていて……っ」
「いいえ、カイン様。私を見てください」
私は、彼の魔力によって切り裂かれたドレスの裾も構わず、彼の手を掴んだ。
驚愕に目を見開くカイン様。その肌に触れる私の掌は、彼の冷え切った魔力とは対照的に、熱く、震えていた。
「……私の目を見て。あなたは今、どんな顔をしていますか?」
カイン様は私の目をじっと見つめる。
私の瞳に映るそこには、愛する人を守っているはずの騎士の姿はなかった。
血走った瞳、怒りに歪んだ口元、そして何より――自分の腕の中にいる女性を、恐怖で凍りつかせている「怪物」の姿が映っていた。
「……僕が、こんな……顔を……」
カイン様の手から、魔力の輝きが消えていく。
彼は、鏡の中に映る自分の姿に、かつて自分が軽蔑していた「自分を縛り付けていた大人たち」と同じ、醜い執着を見てしまったのだ。
「私は……、ここにいます。あなたが私を檻に閉じ込めなくても、私は逃げたりしません。……でも、今のあなたは、私が愛したカイン様ではありません」
私は、彼の冷たい頬を両手で包み込んだ。
「お願いです、カイン様。私を……信じてください。あなたが私を信じられないのは、私を愛しているからではなく、あなたが自分自身を信じられないからではありませんか?」
カイン様は、膝から崩れ落ちた。
部屋を支配していた圧倒的なプレッシャーが霧散し、静寂が訪れる。
「……怖かったんだ。セシリア。……君が外の空気を吸うたびに、僕の知らない誰かが君の目に映るたびに……君が僕を選んだのは『間違いだった』と気づいてしまうのが、死ぬほど怖かった」
彼は私の腰に顔を埋め、子供のように声を上げて泣いた。
天才として、公爵家を背負う者として、決して人に見せなかった脆い部分。
レオンは、構えていた剣を静かに収め、溜息とともに背を向けた。
「……。セシリア嬢、学園には私から報告しておく。『療養先で賊に襲われ、カイン・グランドールが救出した』とな。……それ以上のことは、当事者同士で片付けろ」
レオンはファティマを促し、部屋を出て行った。彼なりの、最大限の「情」だった。
翌朝、湖畔に昇る朝日は、昨夜の惨状を優しく照らした。
カイン様は、自らの手で離宮の門を開け、橋の上で私に向き合った。
「……セシリア。学園に戻ろう。……君の言う通り、僕は君を縛りすぎていた」
彼の表情からは、以前のような憑き物が落ちたような、清々しさと……そして深い反省の色が見えた。
「これからは、君がどこへ行こうと、誰と話そうと……僕がそれを止めることはしない。……ただし」
彼は私の手をとり、指先に小さく、けれど消えない「《《誓約の魔法》》」を刻んだ。それは束縛ではなく、いざという時に彼が私の元へ駆けつけるための、守護の証。
「君の隣に並び立つに相応しい男になれるよう、僕は一から、愛し方を学び直す。……だから、見捨てないでいてくれるかい?」
「……もちろんです、カイン様」
私は、彼の隣を並んで歩き始めた。
独占欲が完全に消えたわけではない。彼の瞳の奥には、まだ暗い焔が揺らめている。
けれど、彼は「私を閉じ込める」のではなく、「私に選ばれ続ける」ための努力をすることを選んだのだ。きっと、彼を救う為の道はまだ閉ざされていない。私はそんな希望を見た。




