第五話:『飢餓のジャングル、絶滅鳥の楽園』
自動歩兵が奇跡の再起動を果たした喜びも束の間、大道寺コンビを襲ったのは、文字通り目を眩ませるほどの圧倒的な「飢え」と「渇き」だった。
1944年(昭和19年)12月。米軍の圧倒的な物量と、後方から迫る黒川憲兵大尉の狂気に挟まれたレイテ島のジャングルは、完全に孤立無援の地獄と化していた。容赦ない熱気と湿度が、二人の体力を容赦なく毟り取っていく。
「大叔父さん……何か、何か食べるものは……」
太一は、泥まみれの防暑衣のポケットを何度も裏返したが、中からはジャリジャリとした砂と火薬の煤が出てくるだけだった。日本陸軍の命綱であるはずの『携帯口糧』の防湿紙袋も、香ばしい『乾パン』の袋も、とっくの昔に底を突いている。
大叔父が腰から外した『昭和五式水筒』を逆さに振る。乾いた音を立てて落ちてきたのは、わずか数滴のぬるい泥水だけだった。茶褐色に塗装されたアルミの水筒は完全にカラだった。
「ダメだな。海軍の配給も陸軍の物資も、この地獄じゃ一瞬で消え失せる。太一、這ってでも進むぞ。立ち止まれば、あの黒川の餌食か、米軍の砲弾の錆になるだけだ」
大叔父は、乾ききった唇を不格好に歪め、太刀型の軍刀を杖代わりにしながら泥を蹴った。
耳の長いロバも、完全にエネルギーが切れたのか、歩調すら弱々しい。乾電池を交換したばかりの自動歩兵だけが、琥珀色の真空管をボウと光らせ、無機質な金属音を立てて二人の後を追ってくる。
――それから、ただ泥を這うようにして数時間を彷徨っただろうか。
太陽の位置すら分からない深い緑の天蓋の下、太一の過敏な耳が、ジャングルの奥から聞こえる「奇妙な鳴き声」を捉えた。
「グワッ、グルル……クワッ」
カラスともシロサギとも違う、低く濁った、どこか間の抜けた鳥の鳴き声。最後の力を振り絞ってシダ植物の巨大な葉を掻き分けた太一は、その眼前に広がった光景に息を呑んだ。
そこは、ジャングルの奥深くにぽっかりと開けた、信じられないほど静謐な沼地だった。
そしてその水辺には、およそこの1944年の地球上、いや、世界のどこにすら存在するはずのない「怪物」たちが、数十羽もの群れを成してひしめき合っていた。
体重は20キロ近くあるだろうか。七面鳥よりも二回りほど巨大な巨体。飛ぶことを完全に放棄した退化した小さな翼。そして、何よりも特徴的なのは、顔の半分を占めるほどに大きく、先端が鋭く曲がった灰色のがっしりとした「大嘴」だ。
太一のミリオタ兼博物学スペック脳が、網膜の情報を瞬時に過去のデータと照合し、脳内で叫び声を上げた。
(嘘だろ……!? なんでレイテ島にいるんだ……!? これは、17世紀にマダガスカル沖のモーリシャス島で、人間によって完全に絶滅させられたはずの――ドードーだ……!)
混濁していく意識の底で、太一の脳裏に突飛な記憶がフラッシュバックした。
ルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』。
涙の池でずぶ濡れになったアリスの前に現れ、体を乾かすために全員でぐるぐると円を描いて走る滅茶苦茶な「コーカス・レース」を提案した、あの滑稽なドードー鳥。
(アリスの涙の池を抜けた先が、この泥沼の戦場かよ……。コーカス・レースの終わりを告げるドードーの代わりに、俺たちの後ろから迫ってくるのは、十四年式拳銃を握りしめた黒川憲兵大尉っていう、ハートの女王よりタチの悪い化け物だけどな……!)
アリスのおとぎ話とは程遠い、飢えと恐怖で白目を剥きかけている太一の目に、その灰色の不格好な絶滅鳥たちの群れが、今は最高にジューシーな「生肉の塊」に見えていた。
ロバが驚いて耳をピンと立て、自動歩兵の頭部のスリットが、未知の生物を感知してカチカチと怪しく点滅を始める。
昭和五式水筒はカラ、胃袋は空っぽ。しかし、大道寺コンビの前には、歴史の闇から這い出た「絶滅鳥の楽園」が広がっていた。米軍と黒川大尉に立ち向かうための肉と水分が、すぐ目の前で不器用に首を傾げている。




