第四話:『大木の死角、憲兵大尉の足音』
スコールの勢いは衰えるどころか、ジャングルの空気をさらに重く湿らせていた。
トコポコと不器用に長い耳を揺らすロバの手綱を引き、乾電池の切れた鉄の塊――キングジョーとメカゴジラが混ざり合った自動歩兵を大叔父と二人で引きずるようにして進むうち、太一の感覚過敏の耳が、ジャングルの前方に響く不穏な『音』を捉えた。
革靴が泥を激しく踏み荒らす音。そして、肉が裂け、人間が絶命する際の間抜けた呻き声。
「おい、伏せろ!」
大叔父が鋭く太一の防暑衣の襟を掴み、泥濘へと引き倒した。二人は、這い出た根が複雑に絡み合う、樹齢数百年はあろうかという熱帯の大木の根元へと滑り込み、その死角に深く身を伏せた。耳の長いロバも、危険を察知したのか地面に脚を突っ張らせて完全に石のように硬直している。
大木の巨大な根の隙間から、太一は息を殺して前方の光景を覗き見た。
そこにいたのは、帝国陸軍の憲兵たちだった。中心に立つ男の九八式軍衣だけは、この泥まみれの最前線において、異常なほどに整い、汚れ一つない異質な威圧感を放っていた。その左腕には、雨に濡れながらも、赤文字で『憲兵』とはっきりと書かれた白い腕章が不気味に浮かび上がっている。彼こそが、脱走兵狩りの狂気に取り憑かれた男――黒川憲兵大尉だった。
黒川の足元には、数人の陸軍輜重兵たちが泥にまみれて土下座していた。彼らの横には、大破した九七式四輪起動乗用車と、散乱した木箱が転がっている。
「命を惜しんで戦線を離脱する者は、大君の御盾にあらず。すべて国賊である」
黒川大尉の声は、凍りついた網走の冬の風よりも冷酷にジャングルに響いた。彼はホルスターから無造作に十四年式拳銃を引き抜くと、命乞いをする輜重兵に向けて、一切の躊躇なく、機械的な正確さで引き金を引いた。
激しい銃声がスコールの音を切り裂き、撃ち抜かれた輜重兵が泥の中に崩れ落ちる。銃口から立ち上る薄い硝煙と、飛び散る鮮血が熱帯のシダ植物を赤く染める。太一のASDの過敏な脳は、その硝煙の臭いと血の生臭いディテール、そして黒川の底の抜けたような冷徹な瞳を、網膜に強烈に焼き付けて白目を剥きそうになった。下腹部が恐怖で激しく激痛を訴え、手のひらから冷たい脂汗が噴き出す。
「太一、声を出すな。あれが陸軍の黒川だ」
大叔父が、太刀型の海軍軍刀を泥の中で握りしめ、胸元の黒ネクタイを震わせながら耳元で低く説明した。
「奴はただの憲兵じゃない。中野学校が比島へ持ち込んだあの自動歩兵の存在を知り、その内部にある国家機密の解除コードを我が物にしようと狂奔している男だ。奴に見つかれば、俺たち大道寺の血筋など、一瞬で脱走兵としてあの輜重兵どものように射殺されるぞ」
黒川大尉は、まだ熱い十四年式拳銃を音もなくホルスターに収めると、冷徹な視線を周囲の密林へと走らせ、少数の憲兵たちを率いて足早にジャングルの奥へと去っていった。その足音が完全にスコールの音にかき消されるまで、太一たちは大木の陰で指一歩動かせずにいた。
数分後、太一は泥まみれの三八式歩兵銃を抱え、下痢の痛みに耐えながら、惨劇の跡地へと這い寄った。
標的は、大破した輜重隊のトラックの荷台だ。黒川たちが去った後、散乱した木箱の中に、太一のスペック脳が探していた『長方形の塊』が転がっているのを見つけた。
「……あった! 大叔父さん、これです!」
それは、未開封の『九四式無線機用乾電池(積層乾電池)』のギトギトとした蝋引きの木箱だった。
太一は現代の知識とミリオタの精緻な手つきで、木箱を三八式銃剣の先で抉り開け、中からずっしりと重い新品の乾電池を引き出した。
すぐさま、泥の中で眠るキングジョー×メカゴジラ風ロボットの背中へ回り込む。「ガカコン」と背中の重厚な装甲ハッチを開け、放電しきった古い乾電池を放り出すと、真新しい九四式無線の乾電池を直列で素早くパチパチと繋ぎ直した。
その瞬間、不気味なほどの金属の咆哮が、密林の静寂を破った。
「――ギ、ガ、ギィィィィン……」
ロボットの内部ギヤが、重戦車のトランスミッションのような精密で重々しい金属音を立てて噛み合い、高圧の油圧シリンダーが鋭く鳴いた。
リベットがびっしりと打ち込まれた無骨な真鍮色の胸板。その上にある四角い頭部のスリットから、くすんだ琥珀色の真空管の光が、妖しく、そして冷徹にボウッと灯った。
自動歩兵が、ついにその漆黒の眠りから覚め、太一と全く同じ目線で、静かに立ち上がったのだ。
「おお……! 本当に動きおった! 陸軍の電池で、我が海軍の回天のように蘇るとは!」
大叔父が驚嘆の声を上げる。しかし、太一は琥珀色に明滅するインジケーターを見つめながら、冷静に数値を弾き出していた。
「復活しましたが、この新品の電池でも、戦闘をすれば持ってあと数十分です。大叔父さん、これで前方の米軍(ミラー中佐)と、後ろの黒川大尉の挟み撃ちを強行突破する準備が、最低限だけ整いましたよ……」
復活した超兵器を中央に配し、耳の長いロバがトコトコと歩調を合わせる。
網走の雪景色を二度と見られぬ覚悟を秘めた大道寺コンビの前に、レイテ島の泥沼のサバイバルは、ここから本格的な、そして仁義なき血戦の火蓋を切って落とそうとしていた――。




