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第三話:『網走の幻影、トコポコと這い寄る足音』

 ロボットのドラム缶めいた装甲に頭をぶつけ、黒ネクタイを泥にまみれさせた海軍少尉――大叔父は、悪態をつきながら、すっ飛ばした軍刀を泥の中から拾い上げた。

 太一のミリオタとしての過剰なスペック脳が、大叔父の身に帯びた『3本の刃物』の凶々しいディテールを一瞬で看破し、背筋に冷たいものが走った。

 大叔父が握り直したのは、陸軍の無骨な九五式軍刀とは決定的に異なる、洗練された太刀型の海軍制式軍刀だった。黒光りする鮫皮の柄、二本錨の細工が施された精緻な金色の金具。そのすぐ横の帯革(ベルト)には、海軍士官の象徴である、小ぶりながらも鋭利な海軍短剣が静かに佇んでいる。

 だが、何よりも太一の目を釘付けにしたのは、第三種軍装の懐に大事に忍ばされていた、もう1本の白木だった。

 ――白鞘入りの特攻隊用自決短刀。

 それは、人間魚雷『回天』に乗り込み、敵艦に体当たりして散る直前、自らの腹を掻き切るためだけに国から手渡された、死の儀礼のための絶対的な兵器。

(この人、本当に『回天』の特攻隊員だったんだ。死ぬためだけに、あの3本の刃物を背負わされて、網走からここまで来たんだ……)

 衣服の隙間から覗く白鞘の冷徹な佇まいに、太一の脳は息を呑んだ。

「おい、陸軍の二等兵。他人の顔をじろじろと見おって。……それより貴様、なぜその胸に『大道寺』の布札をつけている。我が一族の珍しい苗字を、騙る不届き者か?」

「騙ってなんか、いません……。僕は、北海道の網走出身の大道寺太一です。札幌の会社に就職したばかりの……。あなたこそ、実家の写真に写っていた、回天で死んだはずの大叔父の大道寺少尉じゃないんですか!?」

 太一が半ばパニックのままに叫んだ地名の響きに、大叔父の顔から傲慢な将校の仮面が剥ぎ取られた。

「網走だと……? 貴様、能取湖のサンゴ草を知っているのか? 二ツ岩の海岸に、オホーツクの流氷が押し寄せる、あの網走か……!?」

「知ってるも何も、あそこの実家から札幌に出てきたんです! 嘘だと思うなら、実家の仏壇の裏に隠してある、じいちゃんの古い軍票の枚数を言ってみましょうか!?」

「まさか……兄貴の孫……!? 嘘だろ、俺と同じくらいの歳じゃないか!」

 大叔父は海軍制式軍刀を握ったまま凝固した。30度を超える灼熱と凄まじい湿気のレイテ島の密林。九八式夏服の垂れ布を首筋に貼り付けた陸軍二等兵と、開襟シャツにネクタイを締めた海軍少尉。対極の軍装をまとった同じ血の若者二人が、故郷・網走の凍てつく流氷の記憶を媒介にして、完全に時空を超えて繋がった。

「待て、お前、さっきから『回天』だの『死んだはず』だの、不吉なことを言うな。俺は、確かに人間魚雷・回天の搭乗員として伊号潜水艦に乗っていたが……。発進の際、ハッチの狭いレバーに思いきり腰をぶつけてな。計器が全損して潜水艦ごとこの島へ座礁したんだ。死んでたまるか」

「やっぱりポンコツだ……。特攻隊用の自決短刀まで持っていながら、自分の足引っ掛けたせいで死に損なった特攻兵なんて、歴史のどこを探してもいないですよ……」

 太一が呆れてため息をついた瞬間、大叔父はハッとしたように太一の肩を掴み、小声で囁いた。

「そんなことはどうでもいい! おい、太一。お前、さっきから札幌だの新卒だのと寝言を言っているが、ここがどこか分かっていないのか? ここはフィリピンのレイテ島。陸軍の無能どもが『霊底』と怯え、アメリカの物量にすり潰されている最前線の地獄だぞ。すぐにここを離れんと、後ろからは狂った憲兵の黒川大尉が脱走兵狩りに来るし、前からは米軍のミラー中佐の戦車が押し寄せてくる!」

「レ、レイテ島……!? 嘘だろ、教科書で見た最悪の玉砕戦場じゃないか……!」

 太一の脳内スペックが、即座に「日本軍戦死者約8万人」という最悪の数値を弾き出し、下痢の痛みが再び下腹部を襲う。手のひらの多汗で、三八式歩兵銃の木製銃床がぬめりと滑った。

 太一はパニックを抑えようと、視線をすぐ横の『鉄の塊』へと向けた。人間と同じ175センチの目線。それは、あの宇宙ロボット『キングジョー』のように、流流とした直線と緩やかな曲線が不気味に融合した、冷徹な金属の肉体を持っていた。四角いバケツ頭に、初代メカゴジラのような無骨なリベットと冷却スリット。鈍く酸化した真鍮色の不気味な人型機械。

「大叔父さん……ところで、この化け物は何なんですか? さっきからそこに転がってますけど、日本軍の珍兵器か何かなんですか?」

 太一がミリオタとしての純粋な困惑を口にすると、大叔父は泥のついた黒ネクタイを歪な手つきで締め直しながら、声を潜めて言った。

「知らんのか。……それは陸軍の偽装トラックから荷崩れして転がり落ちた、陸軍技術本部の最高機密だ。なんでも、あの陸軍中野学校が極秘裏に現地へ持ち込み、形勢逆転を睨んで何かを企てていた『自動歩兵』という化け物らしい」

「中野学校……! あのスパイや謀略の総本山が、こんな1950年代のレトロロボットみたいなものを……!?」

 初めて明かされた名前に、太一のスペック脳が激しく火花を散らした。大叔父の口から出た言葉によって、目の前のブリキ人形が、大日本帝国の底知れぬ狂気の産物であるというディテールがじわじわと太一の脳に染み込んでいく。

 太一は引き寄せられるようにロボットの背中へ回り込み、装甲板の継ぎ目にレバーを見つけた。

「ガカコン」と精密な金属音を立てて開いた重いハッチの内部。そこに直列で装填されていたのは、見慣れた帝国陸軍の標準装備――『九四式無線機用乾電池』の群れだった。

 太一は電池の配線と、くすんだ琥珀色の真空管インジケーターを凝視する。

「やっぱりだ。九四式無線の積層乾電池が完全に放電しきってる。これじゃ動かないわけだ……。回路のハイドロシステムは生きているから、輜重隊(しちょうたい)の残骸から予備の電池を鹵獲(ろかく)してパチパチと繋ぎ直せば、中野学校の戦闘プログラムが起動するはずです。でも、電圧の消耗が早すぎる。無駄に起動したら、一瞬でただの鉄の案山子に戻っちゃいますよ」

「なにっ、本当に電池式なのかこの鉄人は!? 海軍の九三式酸素魚雷のように、爆発的な推力で動かんのか!」

「これは陸軍の秘密兵器ですから!」と太一が言い返そうとした、その時だった。

 密林の奥から、トコ、ポコ、トコ、ポコ、と、場違いのんびりとした足音が響いてきた。

 太一が咄嗟に三八式歩兵銃のボルト(遊底)に手をかけ、泥を噛んだ埃覆(ダストカバー)をガリガリと引いて薬室を警戒した先。

シダ植物の巨大な葉を掻き分けて現れたのは、一頭の軍用ロバだった。

 馬よりも異様に長いその耳を、スコールの爆音に怯えるように頼りなくピクピクと震わせている。輜重部隊の酷使で毛並みがハゲ落ちた姿。そのロバは、危険を察知するとその場から一歩も動かなくなるという本能のせいで、敗走する日本軍の上官から「頑固な足手まといの駄獣」として殴られ、木に縛り付けられたまま見捨てられていた生き残りだった。

「なんだ、ただの陸軍の輜重ロバか……。おい太一、俺の海軍軍刀で斬り殺して肉(食料)にするぞ。今夜はロバのすき焼きだ」

 大叔父が太刀型の長い軍刀を構えようとしたが、太一はそのロバの、周囲の命令(軍紀)を無視して頑固に足を突っ張る不器用な佇まいに、札幌の職場で「みんなと同じように動けない」と怒鳴られ続けた自分の姿を強烈に重ね合わせていた。

「ダメです、大叔父さん! 殺しちゃダメだ!」

 太一は武器を捨て、感覚過敏の手のひらで、ロバの乾いた鼻先を優しく撫でた。なけなしの水筒の水を口元に垂らし、ジャングルの青草を引っこ抜いて食べさせる。

「お前も、みんなのペースに合わせられなくて、置いていかれたんだな。……いいよ、俺たちと一緒にいこう」

 太一の計算のない、トコトン優しい手つきに、あれほど頑固だったロバが、静かに耳を伏せて太一の胸元に頭を擦り寄せてきた。

 陸軍九八式夏服の二等兵。3本の刃物と黒ネクタイを泥にした海軍少尉。九四式無線乾電池が切れた175センチのブリキ風ロボット。投棄された頑固なロバ。

 前方を塞ぐアメリカ軍のミラー中佐の戦車大隊、探求の目を光らせる黒川憲兵大尉の挟み撃ちという最悪の戦況の中で、網走の血を引く大道寺コンビと奇妙な動物たちの、生き残るための仁義なき強行突破の布陣が、じわじわとその形を成し始めていた――。

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