第百八十七日
十五夜の朝。
空は澄み渡っていた。
雲は少ない。
風も穏やかだった。
薬局へ向かう途中。
町の和菓子屋の前を通ると、
店先に白い団子が並んでいた。
丸く。
小さく。
まるで雪玉のようだった。
リツカは立ち止まる。
「奈緒さん」
「ん?」
「あのお団子は何ですか」
奈緒も店先を見る。
「ああ、お月見団子だね」
「今日は十五夜だから」
リツカは頷く。
月を見る日に、
団子を供える。
まだよく分からない。
けれど。
この国の行事には、
いつも意味がある。
だからきっと、
今日にも理由があるのだろう。
◇
夕方。
薬局を閉めると、
急いで家へ戻る。
縁側には小さな机が置かれていた。
白い布。
すすき。
そして、
丸い団子。
十五個。
きれいに積まれている。
「すすきも飾るのですか」
リツカが尋ねる。
フミが頷いた。
「昔は稲穂の代わりだったんだよぉ」
「実りにありがとうってする日だからねぇ」
ありがとう。
収穫を祝うだけではない。
感謝する。
この国らしいと思った。
◇
日が沈む。
空は少しずつ藍色へ変わる。
みんなで縁側へ座る。
虫の声。
遠くで鳴く鈴虫。
風がすすきを揺らす。
さらさら。
静かな夜だった。
「まだかな」
由美が空を見上げる。
「もう少しだね」
奈緒が答える。
しばらくすると。
山の向こうが、
ほんのり明るくなった。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと。
丸い月が姿を現す。
「……」
誰も話さない。
話す必要がなかった。
月は大きく、
優しかった。
夏の太陽とは違う。
眩しくない。
静かに辺りを照らしている。
リツカは月を見上げた。
異世界でも月は見た。
けれど。
こんなふうに、
誰かと月だけを眺めたことはなかった。
「綺麗ですね」
小さく呟く。
奈緒も頷く。
「うん」
それだけだった。
でも、
十分だった。
◇
しばらくして。
フミがお茶を運んでくる。
湯気が立っている。
温かいほうじ茶。
そして、
お月見団子。
「食べようかねぇ」
リツカは一つ手に取る。
柔らかい。
ほんのり甘い。
素朴な味だった。
「美味しいです」
「月を見ながら食べると、
もっと美味しいよ」
奈緒が笑う。
リツカは再び月を見る。
月は何も言わない。
ただ、
そこにある。
その静けさが、
心を落ち着かせてくれた。
「奈緒さん」
「ん?」
「この国には、
空を見上げる日がたくさんありますね」
奈緒は少し考え、
微笑んだ。
「そうだね」
「七夕も」
「花火も」
「虹も」
「十五夜も」
「みんな空を見てる」
リツカも笑った。
春は花を見上げ。
夏は星を見上げ。
秋は月を見上げる。
忙しい毎日の中で、
ほんの少し立ち止まり、
空を見上げる。
それもまた、
この国の暮らしなのだろう。
月明かりは、
縁側をやさしく照らしていた。
誰も急がない。
誰も慌てない。
ただ、
同じ月を眺める。
そんな夜も、
悪くないと思えた。




