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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第百八十七日

十五夜の朝。


空は澄み渡っていた。


雲は少ない。


風も穏やかだった。


薬局へ向かう途中。


町の和菓子屋の前を通ると、


店先に白い団子が並んでいた。


丸く。


小さく。


まるで雪玉のようだった。


リツカは立ち止まる。


「奈緒さん」


「ん?」


「あのお団子は何ですか」


奈緒も店先を見る。


「ああ、お月見団子だね」


「今日は十五夜だから」


リツカは頷く。


月を見る日に、


団子を供える。


まだよく分からない。


けれど。


この国の行事には、


いつも意味がある。


だからきっと、


今日にも理由があるのだろう。



夕方。


薬局を閉めると、


急いで家へ戻る。


縁側には小さな机が置かれていた。


白い布。


すすき。


そして、


丸い団子。


十五個。


きれいに積まれている。


「すすきも飾るのですか」


リツカが尋ねる。


フミが頷いた。


「昔は稲穂の代わりだったんだよぉ」


「実りにありがとうってする日だからねぇ」


ありがとう。


収穫を祝うだけではない。


感謝する。


この国らしいと思った。



日が沈む。


空は少しずつ藍色へ変わる。


みんなで縁側へ座る。


虫の声。


遠くで鳴く鈴虫。


風がすすきを揺らす。


さらさら。


静かな夜だった。


「まだかな」


由美が空を見上げる。


「もう少しだね」


奈緒が答える。


しばらくすると。


山の向こうが、


ほんのり明るくなった。


ゆっくりと。


本当にゆっくりと。


丸い月が姿を現す。


「……」


誰も話さない。


話す必要がなかった。


月は大きく、


優しかった。


夏の太陽とは違う。


眩しくない。


静かに辺りを照らしている。


リツカは月を見上げた。


異世界でも月は見た。


けれど。


こんなふうに、


誰かと月だけを眺めたことはなかった。


「綺麗ですね」


小さく呟く。


奈緒も頷く。


「うん」


それだけだった。


でも、


十分だった。



しばらくして。


フミがお茶を運んでくる。


湯気が立っている。


温かいほうじ茶。


そして、


お月見団子。


「食べようかねぇ」


リツカは一つ手に取る。


柔らかい。


ほんのり甘い。


素朴な味だった。


「美味しいです」


「月を見ながら食べると、


もっと美味しいよ」


奈緒が笑う。


リツカは再び月を見る。


月は何も言わない。


ただ、


そこにある。


その静けさが、


心を落ち着かせてくれた。


「奈緒さん」


「ん?」


「この国には、


空を見上げる日がたくさんありますね」


奈緒は少し考え、


微笑んだ。


「そうだね」


「七夕も」


「花火も」


「虹も」


「十五夜も」


「みんな空を見てる」


リツカも笑った。


春は花を見上げ。


夏は星を見上げ。


秋は月を見上げる。


忙しい毎日の中で、


ほんの少し立ち止まり、


空を見上げる。


それもまた、


この国の暮らしなのだろう。


月明かりは、


縁側をやさしく照らしていた。


誰も急がない。


誰も慌てない。


ただ、


同じ月を眺める。


そんな夜も、


悪くないと思えた。

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