第百八十五日目②
夕暮れ。
台所から、
香ばしい匂いが漂ってきた。
じゅう。
ぱちぱち。
炭ではない。
魚焼きグリルの中で、
秋刀魚が焼けている音だった。
「いい匂いですね」
リツカが呟く。
奈緒が笑う。
「秋になると食べたくなるんだよ」
食卓に並んだのは、
焼きたての秋刀魚。
湯気の立つご飯。
豆腐とわかめの味噌汁。
ほうれん草のおひたし。
そして。
白い雪のようなものが、
小さな皿に添えられていた。
「これは?」
「大根おろし」
奈緒が答える。
「魚と一緒に食べるんだよ」
リツカは箸で少し取る。
秋刀魚にのせる。
口へ運ぶ。
ほろり。
秋刀魚の身がほどける。
脂が広がる。
そのあとに、
大根おろしのさっぱりした味。
思わず目を丸くした。
「合います」
「でしょ?」
奈緒は少し得意そうだった。
フミがお茶を注ぎながら笑う。
「昔の人はよく考えたもんだねぇ」
リツカは秋刀魚を見る。
薬にも、
食べ合わせがある。
一つだけでも良い。
けれど。
組み合わせることで、
もっと良くなるものもある。
それは料理も同じだった。
その時。
わふ。
足元から声がした。
ハクだった。
じっと秋刀魚を見つめている。
「駄目です」
リツカが言う。
わふぅ……。
肩を落とすハク。
由美が笑い出した。
「リツカに先に言われちゃったね」
「最近、ちゃんと覚えたね」
リツカは少し首を傾げる。
「食べてはいけないものは、
食べてはいけません」
当たり前のことを言っただけだった。
皆が笑う。
その笑い声につられて、
リツカも少しだけ笑った。
夕食のあと。
縁側へ出る。
空はすっかり暗くなっていた。
虫の声が響いている。
夏の夜より静かだった。
風も少し冷たい。
奈緒が温かいほうじ茶を持ってくる。
「麦茶じゃないのですか」
「もう夜は冷えるからね」
湯飲みを受け取る。
両手で包む。
温かい。
ほうじ茶の香りが、
秋の空気に溶けていく。
風鈴はもうしまってある。
代わりに聞こえるのは、
木の葉が揺れる音。
さらさら。
リツカは耳を澄ませた。
夏には夏の音があった。
秋には秋の音がある。
同じ場所なのに、
季節が変わるだけで、
世界はこんなにも違って見える。
その時。
庭の柿の木から。
こん。
小さな音がした。
一つの実が、
地面へ落ちた。
奈緒が立ち上がる。
「そろそろかな」
「何がですか」
「柿狩り」
また新しい秋が、
リツカを待っていた。




