第百七十二日目
九月が近づいた朝。
縁側には、まだ風鈴が揺れていた。
ちりん。
風は吹く。
けれど。
あの日のような熱風ではない。
少しだけ涼しかった。
「今日は片付けようか」
奈緒が言う。
「何をですか」
「夏を」
夏を片付ける。
不思議な言葉だった。
朝食のあと。
二人は庭へ出る。
物干し竿から風鈴を外す。
リツカは両手でそっと受け取った。
ガラスはひんやりしていた。
「もう鳴らさないのですか」
「また来年ね」
奈緒は微笑む。
「来年も飾るから」
リツカは風鈴を見つめた。
七夕の日。
線香花火の夜。
夕立。
縁側。
この音は、
いつも夏のそばにあった。
箱へしまう。
「おやすみ」
奈緒が小さく言う。
リツカは少し驚く。
「風鈴にですか」
「うん」
「また来年ね、って」
リツカも箱を見つめる。
「……また来年」
自分でも自然に言葉が出た。
昼過ぎ。
庭では朝顔の蔓を片付ける。
咲き終えた花。
乾いた実。
みーちゃんが種を集めている。
「来年の分!」
小さな袋へ大事そうに入れる。
リツカも一粒手に取る。
黒くて、小さい。
あの鮮やかな花が、
この中で眠っている。
生命とは不思議だ。
その時。
ふと縁側を見る。
花瓶に飾っていたひまわりは、
もう花びらを落とし始めていた。
リツカはそっと花を抱える。
庭の隅へ小さな穴を掘る。
「土へ返すのですか」
フミが頷いた。
「役目を終えたからねぇ」
「また土になって」
「次の命を育てるんだよ」
リツカは静かに土をかける。
帽子に挿してもらった、
あの日のひまわり。
ありがとう。
心の中でそう呟いた。
夕方。
縁側に座る。
風鈴はもうない。
少しだけ静かだった。
けれど。
寂しいだけではない。
季節は巡る。
夏は終わる。
そしてまた来る。
朝顔の種も。
風鈴も。
ひまわりも。
来年を知っている。
リツカは夕空を見上げる。
「私も……」
小さく呟く。
「来年の夏を見たいです」
その言葉を聞いた奈緒は、
何も言わなかった。
ただ隣で、
嬉しそうに笑っていた。




