第百六十七話
お盆が過ぎた頃。
朝の空気が少し変わっていた。
暑い。
まだ暑い。
けれど。
どこか違う。
風だった。
ほんの少しだけ。
柔らかくなっている。
リツカは薬局へ向かう前に、
庭へ出た。
朝顔を見るためだった。
みーちゃんの自由研究。
毎日観察しているうちに、
自分も気になるようになっていた。
青い花。
紫の花。
たくさん咲いていた。
けれど。
よく見ると。
咲き終わった場所が増えている。
花びらはない。
代わりに。
小さな緑色の丸いものが付いていた。
「これは?」
後ろから声がする。
みーちゃんだった。
虫取り網を持っている。
夏休みを全力で生きていた。
「種だよ」
誇らしそうだった。
「種」
「うん」
朝顔は咲き終わる。
そして種を残す。
来年また咲くために。
リツカは丸い実を見る。
小さい。
とても。
あの大きな花が、
こんな小さな種になる。
不思議だった。
その時。
みーちゃんがノートを開く。
自由研究だった。
ページはかなり増えている。
絵。
観察記録。
感想。
毎日書いているらしい。
「すごいですね」
「えへへ」
少し照れている。
その時。
みーちゃんが聞いた。
「リツカさん」
「はい」
「花が終わるのって寂しい?」
突然だった。
リツカは少し考える。
咲き終わる。
消える。
なくなる。
以前の自分なら、
きっと寂しいと思った。
失うことばかり考えていたから。
けれど。
今は違った。
朝顔を見る。
咲き終わった花。
そして種。
「少し寂しいです」
正直に答える。
「でも」
みーちゃんが待つ。
リツカは種を指差した。
「終わりではないのですね」
みーちゃんは大きく頷く。
「うん!」
「来年咲くから!」
その笑顔は確信に満ちていた。
リツカは空を見上げる。
夏空。
けれど。
前より少し高い気がした。
その日の夕方。
薬局から帰る。
縁側には、
ひまわりの花が飾られていた。
あの日、
麦わら帽子に挿した花だった。
さすがに少し元気がない。
花びらも色褪せ始めている。
季節は進んでいた。
リツカは花瓶の水を替える。
そっと。
優しく。
その時。
奈緒が縁側へ出てきた。
「見て」
指差す。
空だった。
夕焼け。
橙色。
赤色。
そして。
空の高い場所には、
小さな鱗のような雲が浮かんでいた。
「秋の雲だよ」
奈緒が言う。
秋。
その言葉に、
リツカは少しだけ胸が締め付けられた。
夏が終わる。
分かっていた。
いつか終わることは。
線香花火も。
虹も。
ひまわりも。
みんなそうだった。
けれど。
終わるからこそ、
大切だった。
今なら少し分かる。
風鈴が鳴る。
ちりん。
自分で選んだ風鈴だった。
その音を聞きながら、
リツカは夕空を見つめる。
そして思う。
来年の夏も、
この音を聞きたい。
そう願う場所ができたことが、
少し嬉しかった。




