第百六十三日目
お盆の初日。
朝から町の雰囲気が少し違っていた。
商店街も。
公園も。
薬局も。
どこか静かだった。
忙しくないわけではない。
みんな普段通りに動いている。
けれど。
どこか優しい。
そんな空気だった。
リツカは薬局の仕事を終え、
夕方にフミの家へ戻る。
庭には小さな机が置かれていた。
その上には果物。
お菓子。
花。
そして。
提灯。
「何をしているのですか」
リツカが尋ねる。
フミは穏やかに笑った。
「お迎えの準備だよぉ」
「お迎え」
「うん」
フミは提灯を見つめる。
少し懐かしそうだった。
「帰ってくるからねぇ」
「誰がですか」
しばらく沈黙があった。
そして。
「会いたい人たち」
優しい答えだった。
日が暮れる。
空は群青色になった。
蝉の声も静かになる。
代わりに虫の音が聞こえ始める。
庭へ出る。
奈緒も。
由美も。
ハクもいる。
皆で小さな火を囲む。
迎え火だった。
ぱち。
小さな火花が上がる。
ぱちぱち。
静かな音。
線香花火を思い出した。
リツカは火を見つめる。
暖かい。
柔らかい光だった。
「本当に帰ってくるのですか」
ふと聞いた。
奈緒は火を見つめたまま答える。
「どうだろう」
「分からない」
「でもね」
少し笑う。
「帰ってくるって思うと嬉しいから」
リツカは黙る。
異世界にも死者を弔う文化はあった。
けれど。
こんな風ではなかった。
もっと厳粛で。
もっと重かった。
この国では違う。
悲しむだけではない。
帰ってくる人を迎える。
会いたい人を想う。
そんな時間だった。
その時。
フミが空を見上げた。
「おじいちゃん」
小さく呟く。
「今年も来たかねぇ」
笑っている。
寂しそうではなかった。
懐かしそうだった。
奈緒も空を見る。
由美も見る。
誰かを思い出しているようだった。
リツカはその横顔を見る。
そして思う。
自分にもいる。
会いたい人が。
もう会えないかもしれない人が。
師匠。
薬師たち。
故郷の人々。
あの世界に残してきた人たち。
火を見つめる。
ぱち。
小さく火が揺れる。
もし。
本当に想いが届くなら。
一言だけ伝えたかった。
「元気です」
小さく呟く。
誰にも聞こえないくらい小さく。
けれど。
風が吹いた。
優しい夜風だった。
提灯が揺れる。
迎え火が揺れる。
まるで返事みたいだった。
その時。
わふ。
足元から声がした。
ハクだった。
じっとリツカを見上げている。
そして。
そっと身体を寄せてきた。
暖かかった。
リツカは少しだけ笑う。
「ありがとうございます」
何に対してなのか、
自分でもよく分からなかった。
けれど。
言いたかった。
夏の夜。
迎え火の灯りは静かに揺れていた。
その光の中で、
リツカは遠い世界の人々を想った。
そして同時に、
今ここにいる人たちの温かさも感じていた。




