第百六十五日目
遠出の日。
朝から空は快晴だった。
雲ひとつない。
まさに夏空だった。
リツカは麦わら帽子を被る。
最近のお気に入りだった。
「準備できた?」
奈緒が玄関から顔を出す。
「はい」
「じゃあ出発」
行き先は教えてもらえない。
相変わらずだった。
車は町を抜ける。
田んぼの間を走る。
川を渡る。
緑の山々が見える。
窓を開けると、
夏の風が入ってきた。
少し熱い。
でも気持ち良かった。
後部座席では、
ハクが風を受けていた。
耳が揺れている。
満足そうだった。
一時間ほど走った頃。
奈緒が車を止める。
「着いたよ」
リツカは外へ出た。
そして。
言葉を失った。
目の前に広がっていたのは。
黄色。
どこまでも続く黄色。
一面のひまわり畑だった。
風が吹く。
無数の花が揺れる。
ざわり。
ざわり。
まるで黄色い海だった。
空は青い。
雲は白い。
そして花は黄金色。
夏そのものだった。
リツカは立ち尽くす。
こんな景色は知らなかった。
異世界にも花畑はあった。
薬草畑もあった。
けれど。
こんなに心を奪われたことはない。
「綺麗……」
自然と言葉が漏れた。
奈緒が少し驚く。
リツカが先に感想を言うのは珍しかった。
「でしょ?」
嬉しそうだった。
二人は花の間の小道を歩く。
ひまわりは背が高い。
リツカの肩より高い。
見上げるようだった。
その時。
リツカは気付く。
どの花も同じ方向を向いている。
太陽の方だった。
「不思議です」
「ひまわりだからね」
奈緒が言う。
「みんな太陽が好きなんだよ」
リツカは花を見る。
まっすぐだった。
迷いがない。
ただ光へ向かって咲いている。
少し羨ましかった。
自分は長い間、
進む方向が分からなかったから。
魔法を失い。
世界を失い。
故郷を失った。
何のためにここにいるのかも、
分からなかった。
けれど。
今は少し違う。
奈緒がいる。
フミがいる。
由美がいる。
みーちゃんがいる。
ハクもいる。
この町がある。
それだけで、
十分なのかもしれない。
その時。
奈緒が足元から何かを拾った。
小さなひまわりだった。
風で落ちた花だった。
まだ綺麗だった。
奈緒は少し考えて。
ぽん。
リツカの麦わら帽子に挿した。
黄色い花びらが揺れる。
リツカは固まった。
「奈緒さん」
「似合う」
即答だった。
少し離れた場所から、
由美が声を上げる。
「待って!」
いつの間に来ていたのか。
カメラを構えている。
嫌な予感しかしなかった。
「すごくいい!」
ぱしゃ。
写真が撮られる。
もう一枚。
ぱしゃ。
逃げられない。
奈緒は笑っている。
由美も笑っている。
ハクまで嬉しそうだった。
意味が分からなかった。
けれど。
嫌ではなかった。
風が吹く。
ひまわりが揺れる。
帽子の花も揺れる。
リツカは空を見上げる。
夏の青空。
眩しい光。
そして、
太陽へ向かって咲く花々。
その景色は、
ずっと心に残る気がした。
帰り際。
奈緒が言う。
「また来ようね」
リツカはひまわり畑を振り返る。
そして。
小さく頷いた。
「はい」
来年も。
その次の年も。
見られたらいい。
そう思った。
その願いが自然に浮かんだことに、
リツカ自身はまだ気付いていなかった。




