第百四十三話
翌日の夕方。
神社から太鼓の音が聞こえていた。
どん。
どどん。
どん。
胸の奥まで響く音だった。
「始まってるね」
奈緒が言う。
「何がですか」
「盆踊りの練習」
嫌な予感がした。
昨日からしていた。
そして。
どうやら当たっているらしい。
神社へ向かう。
ハクも一緒だった。
当然のようについて来る。
石段を登る。
夕暮れの境内には、
すでにたくさんの人が集まっていた。
子どもたち。
おじいさん。
おばあさん。
商店街の人たち。
みんな輪になっている。
中央にはやぐら。
その上で太鼓が鳴っていた。
どん。
どどん。
夏の音だった。
リツカは辺りを見回す。
「見学はどこですか」
奈緒が笑う。
「輪の中」
「違います」
「合ってる」
合っていなかった。
絶対に。
その時。
「リツカちゃん!」
由美だった。
手を振っている。
嫌な予感がさらに強くなる。
「こっちこっち!」
呼ばれた。
逃げられない。
輪の中へ連れて行かれる。
完全包囲だった。
子どもたちまでいる。
みーちゃんもいた。
「おねえちゃんも踊るの?」
「たぶん」
「やったー!」
やっていなかった。
リツカは全然やっていなかった。
その時。
太鼓が止む。
文さんが声を上げる。
「じゃあ一回やってみようかー!」
歓声が上がる。
リツカだけ静かだった。
そして。
音楽が始まる。
太鼓。
笛。
手拍子。
みんなが動き出す。
右へ。
左へ。
手を上げる。
回る。
揃っている。
綺麗だった。
問題は。
リツカである。
右。
遅れる。
左。
逆だった。
手を上げる。
半拍遅い。
回る。
一人だけ違う方向へ行きそうになる。
「違う違う!」
由美が笑う。
「難しいです!」
本気だった。
薬草の名前を百種類覚える方が簡単だった。
確実に。
子どもたちが笑う。
みーちゃんまで笑っている。
「おねえちゃん変!」
「知っています」
即答だった。
しかし。
不思議なことに。
誰も馬鹿にしていなかった。
みんな楽しそうだった。
失敗しても。
間違えても。
笑っている。
だから。
リツカも少しだけ笑った。
二回目。
少し上手くなる。
三回目。
もっと上手くなる。
四回目。
まだ下手だった。
だが。
輪に入っていた。
ちゃんと。
町の人たちと一緒に。
その時。
どん。
太鼓が鳴る。
夕焼け空が赤く染まる。
風が吹く。
提灯が揺れる。
夏だった。
ふと見ると。
ハクが輪の外に座っている。
じっと見ていた。
まるで見守っているみたいだった。
クロもいる。
石灯籠の上で欠伸をしていた。
いつもの光景。
いつの間にか、
神社も居心地の良い場所になっていた。
練習が終わる。
みんな汗だくだった。
由美は満足そうだった。
「本番はもっと楽しいよ!」
「本番」
夏祭り。
屋台。
盆踊り。
花火。
もうすぐだ。
帰り道。
空には細い月が浮かんでいた。
その時。
みーちゃんが駆け寄ってくる。
「おねえちゃん!」
「はい」
「祭りの日、一緒に踊ろうね!」
小さな約束だった。
けれど。
リツカは少し笑って頷いた。
「はい」
その返事を聞いて、
みーちゃんは嬉しそうに走っていった。
夏祭りまであと三日。
そしてその翌日。
リツカは人生で初めて、
屋台の手伝いを頼まれることになる。
しかも。
薬局らしい理由で。




