第百二十九日目①
七夕当日。
昼間は曇り空。
「今年も星は見えないかなぁ」
と奈緒が空を見上げる。
商店街には笹飾り。
子どもたちが短冊を揺らしながら走り回る。
薬局にも小さな笹が置かれ、
お客さんが願い事を書いていく。
「足が早くなりますように」
「ケーキ屋さんになれますように」
「お父さんの腰痛が治りますように」
リツカは一枚一枚読む。
どれも小さな願い。
けれど大切な願い。
夕暮れ。
神社の石段には提灯が灯っていた。
赤や黄色の柔らかな光。
昼間とは違う景色だった。
笹飾りが風に揺れる。
さらさら。
さらさら。
短冊が音を立てる。
「綺麗ですね」
リツカは思わず立ち止まる。
境内には町の人たちが集まっていた。
由美は焼きとうもろこし担当。
魚屋のおじさんは焼きそば担当。
真紀は子どもたちと短冊を結んでいる。
源蔵は腕を組んで見回り。
誰もが楽しそうだった。
「おねえちゃん!」
声がした。
振り返る。
梅雨の日に出会った迷子の少女だった。
みーちゃん。
今日は泣いていない。
満面の笑顔だった。
「これ見て!」
短冊を見せてくる。
大きな字で。
『けーきやさんになれますように』
書いてある。
「素敵です」
「でしょ!」
胸を張る。
リツカは笑った。
その時。
みーちゃんが聞く。
「おねえちゃんは?」
「?」
「お願いごと」
リツカは少しだけ黙った。
そして。
笹を見上げる。
風が吹く。
短冊が揺れる。
さらさら。
まるで星の声みたいだった。
「内緒です」
そう答える。
みーちゃんは不満そうだった。
「えー」
「秘密です」
「ずるい」
「七夕ですから」
意味不明な理論だった。
しかし。
みーちゃんは納得したらしい。
「じゃあしょうがない!」
子どもは時々不思議だ。
そして去っていく。
境内の奥。
笹飾りの前で立ち止まる。
風が吹く。
短冊が揺れる。
さらさら。
さらさら。
まるで誰かが囁いているみたいだった。
リツカは自分の短冊を見つける。
『大切な人たちが元気でいますように』
その文字を見つめる。
帰りたい。
それは変わらない。
けれど。
今はもう。
この町の人たちも、
大切な人になっていた。
その後。
リツカは一人で本殿の前へ向かう。
夜風が吹く。
提灯が揺れる。
遠くから聞こえる笑い声。
屋台の匂い。
夏の始まりの匂い。
静かな時間だった。
そこへ。
「一人かい」
文さんがやって来る。
宮司の文さん。
手には冷たい麦茶。
一本差し出してくれる。
「ありがとうございます」
二人で石段へ座る。
しばらく無言。
神社は不思議だった。
何も話さなくても落ち着く。
やがて文さんが言う。
「願い事は書いたかい?」
「はい」
「叶うといいねぇ」
リツカは少し考える。
そして。
ぽつりと呟く。
「叶わなくても」
文さんが見る。
「?」
「書いて良かった気がします」
短冊を書く時。
初めて気付いた。
自分が大切に思っているものに。
文さんは静かに笑う。
「それも七夕だよ」
風が吹く。
笹が鳴る。
さらさら。
さらさら。
その音を聞きながら、
リツカは夜空を見上げる。
雲の切れ間。
ほんの少しだけ見えた星。
小さな光。
遠い光。
けれど確かにそこにあった。




