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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第九十八日目

梅雨。


空は少しずつ夏へ向かっていた。


けれど。


晴れの日は減っていく。


朝起きると雨。


昼も雨。


夜も雨。


雨。


雨。


また雨。


リツカは縁側に座っていた。


庭を見つめる。


ぽつぽつ。


しとしと。


雨粒が落ちる。


「飽きませんか」


奈緒が聞く。


「少し」


正直だった。


異世界にも雨はあった。


だが。


何日も続くことは少なかった。


洗濯物も乾かない。


散歩も減る。


ハクなど特に不満そうだった。


縁側で寝転びながら、


ため息ばかりついている。


「犬もため息つくんですね」


「つくよ」


奈緒は笑った。


その時。


フミが傘を持って現れる。


「二人とも」


「はい」


「ちょっと散歩しようか」


「雨ですよ」


「だからだよぉ」


意味が分からなかった。


しかし。


フミは楽しそうだった。


結局。


傘を持って出掛けることになる。


ハクも一緒だった。


少し嫌そうだった。


雨だから。


神社へ続く坂道を歩く。


雨音。


葉を叩く音。


土の匂い。


どこか静かな世界だった。


そして。


途中でフミが立ち止まる。


「ほら」


指差す。


道の脇だった。


そこに咲いていたのは。


花。


丸い花。


青。


紫。


薄桃色。


無数の小さな花が集まっている。


雨粒をまといながら。


静かに咲いていた。


リツカは足を止める。


「綺麗です」


思わず呟く。


「紫陽花だよ」


フミが言う。


「あじさい」


初めて聞く名前だった。


近付く。


雨粒が花びらの上で光っている。


まるで宝石だった。


「雨なのに元気ですね」


「うん」


フミは微笑む。


「雨が好きな花なんだよ」


リツカは驚く。


雨が好き。


そんな花があるのか。


雨は避けるものだと思っていた。


濡れるし。


冷たいし。


少し不便だ。


けれど。


紫陽花は違う。


雨の日ほど綺麗だった。


その時。


ハクが花に鼻を近付ける。


くんくん。


興味津々である。


しかし。


ぽたっ。


葉っぱの先から雨粒が落ちる。


鼻へ直撃。


「わふっ!?」


飛び退く。


奈緒が吹き出した。


「負けた」


「雨粒に」


リツカも笑う。


ハクは納得していなかった。


しばらく葉っぱを睨んでいる。


完全に敵認定していた。


風が吹く。


紫陽花が揺れる。


雨粒がこぼれる。


静かな音。


美しい景色だった。


そして。


リツカはふと思う。


自分も少し似ているのかもしれない。


この世界へ来た時。


不安だった。


寂しかった。


どうしていいか分からなかった。


まるで雨の中にいるみたいだった。


けれど。


今は違う。


奈緒がいる。


フミがいる。


ハクがいる。


町の人たちもいる。


雨の中でも。


少しずつ咲けるようになってきた。


そんな気がした。


帰り道。


フミが言う。


「来月は七夕だねぇ」


「たなばた」


また知らない言葉だった。


奈緒が笑う。


「願い事を書く日」


リツカが首を傾げる。


「願い事」


短冊。


笹。


星。


まだ意味は分からない。


けれど。


なんとなく楽しそうだった。


そしてその夜。


リツカは眠る前に考える。


もし願い事を書くなら。


何を書くのだろう。


答えはまだ見つからなかった。


窓の外では雨が降り続いていた。


静かに。


優しく。


紫陽花を濡らしながら。

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