第九十二日目
編み物を始めて一週間。
リツカはある問題を抱えていた。
編みたい。
とても編みたい。
しかし。
誰かがいると編めない。
奈緒が首を傾げる。
「最近、こそこそしてない?」
「していません」
即答だった。
怪しい。
非常に怪しい。
だが。
リツカは本当に隠していた。
机の引き出しの奥。
布に包んで。
誰にも見つからないように。
夜。
皆が寝静まった後。
小さな灯りの下で。
少しずつ。
少しずつ。
編んでいた。
最初は何度も失敗した。
目が飛ぶ。
ほどける。
やり直す。
また失敗する。
それでも。
不思議と嫌ではなかった。
一目ずつ。
形になっていく。
その時間が好きだった。
そして。
ある日の夜。
ようやく完成する。
リツカは出来上がったものを両手で持った。
小さなコースターだった。
丸くて。
少し歪んでいて。
決して上手ではない。
けれど。
丁寧に編まれていた。
山吹色。
草木染めした毛糸の色。
春の日差しみたいな色だった。
そして。
もう一つ。
若草色のコースター。
こちらは少しだけ上手になっている。
リツカは静かに微笑んだ。
翌朝。
朝食の時間。
奈緒とフミが席につく。
すると。
机の上に何か置いてあった。
「ん?」
奈緒が手に取る。
小さなコースター。
山吹色。
そしてもう一枚。
若草色。
フミも目を丸くする。
「これ」
リツカは少し緊張していた。
薬草の説明をする時より緊張していた。
「作りました」
沈黙。
数秒。
奈緒がもう一度見る。
コースター。
毛糸。
丁寧な編み目。
少しだけ歪な形。
そして。
「私たちに?」
リツカが頷く。
「はい」
小さな声だった。
「お世話になっているので」
それだけだった。
けれど。
奈緒は何も言えなくなる。
フミも同じだった。
この子は。
異世界から突然来た。
知らない世界に放り出された。
不安だったはずだ。
怖かったはずだ。
それなのに。
感謝を返そうとしている。
自分の手で。
自分の時間で。
一生懸命作って。
フミがそっとコースターを撫でる。
「嬉しいねぇ」
声が少しだけ震えていた。
奈緒も笑う。
少しだけ目が赤かった。
「ありがとう」
リツカはほっとする。
受け取ってもらえた。
それだけで十分だった。
その日の朝。
奈緒は早速コースターを使った。
お茶を置く。
山吹色の上に湯呑み。
少し誇らしい。
フミも使う。
若草色の上にカップを置く。
何度も眺めている。
「そんなに見なくても」
リツカが言う。
「見るよぉ」
フミが笑う。
「宝物だから」
リツカは少し照れた。
けれど。
胸の奥が温かかった。
この世界へ来てから。
たくさん助けてもらった。
守ってもらった。
居場所をもらった。
そして初めて。
少しだけ。
返せた気がした。
その日の夕方。
神社へ散歩に行く。
クロがいつもの石段で昼寝していた。
ハクが隣に座る。
珍しく喧嘩しない。
夕陽が境内を染める。
風が吹く。
新緑が揺れる。
その穏やかな景色の中。
リツカはふと思う。
ここへ来た頃より。
少しだけ。
自分は笑うようになったかもしれない。
そして季節は進む。
梅雨が近づいていた。
空には少しずつ雨雲が増え始める。
やがてリツカは、
人生で初めて「雨を待ち望む花」と出会う。




