第九十日目
草木染めから数日後。
その日の夕方。
リツカは薬草図鑑を読んでいた。
居間は静かだった。
フミは縫い物。
奈緒は仕事の資料を見ている。
ハクは昼寝。
平和だった。
その時。
玄関が開く。
「持ってきたよー!」
由美だった。
予想通りだった。
奈緒はもう驚かない。
「何を?」
「毛糸!」
大量だった。
本当に大量だった。
籠いっぱい。
いや。
籠二つ分だった。
リツカが固まる。
「多くないですか」
「少ないくらい」
由美は真顔だった。
怖かった。
そして。
由美は机の上へ毛糸を並べる。
山吹色。
若草色。
薄桃色。
先日染めた毛糸たちだった。
柔らかな色。
春の匂いがしそうな色。
リツカは思わず触れる。
ふわり。
柔らかい。
気持ち良い。
「今日は編み物です!」
由美が宣言する。
「はい」
即答だった。
興味津々である。
編み棒を受け取る。
細い。
軽い。
少し不思議な形だった。
由美が見本を見せる。
糸を掛ける。
棒を通す。
引き抜く。
また通す。
「……」
リツカは真剣だった。
薬草の勉強以上に真剣だった。
奈緒が吹き出す。
「顔が怖い」
「失敗できません」
「大丈夫だから」
由美も笑う。
まずは一目。
たった一目。
しかし。
難しい。
思った以上に難しい。
糸が逃げる。
棒が抜ける。
絡まる。
「……」
リツカが無言になる。
由美が焦る。
「怒ってる?」
「違います」
「ならいいけど」
違った。
ただ集中していただけだった。
そして。
十分後。
ようやく。
最初の一目ができた。
小さな輪。
たったそれだけ。
でも。
リツカは目を見開く。
「できました」
嬉しそうだった。
本当に。
心から。
奈緒は思わず笑う。
たった一目なのに。
まるで大発見だった。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
真面目にお礼を言う。
そして。
また一目。
もう一目。
少しずつ。
少しずつ。
糸が形になっていく。
何もなかったところから。
模様が生まれる。
布になっていく。
その過程が楽しかった。
薬作りに少し似ていた。
丁寧に積み重ねる。
急げない。
一つずつ。
形にしていく。
気付けば外は暗くなっていた。
夕食の時間である。
「リツカ」
奈緒が呼ぶ。
返事がない。
「リツカ?」
まだ返事がない。
見る。
編んでいる。
完全に夢中だった。
「重症だ」
奈緒が言う。
由美が頷く。
「ハマったね」
「ハマりましたね」
フミも頷く。
三人の意見は一致していた。
その夜。
リツカは寝る直前まで編み続けた。
そして翌朝。
目を覚ますと最初に毛糸を探した。
完全に新しい趣味が誕生した瞬間だった。
さらに数日後。
リツカは草木染めした毛糸で、
あるものを編み始める。
それは。
この世界へ来て初めて、
誰かのために作る贈り物だった。




