第八十三日目
五月の終わり。
風は少しずつ夏の匂いを帯び始めていた。
その日の朝。
リツカは台所で首を傾げていた。
机の上に並んでいるもの。
玉ねぎの皮。
びわの葉。
よもぎ。
桜の枝。
そして大きな鍋。
「薬ですか?」
奈緒が吹き出した。
「違う」
「染料」
「染料」
リツカの目が少し輝く。
植物から色を取り出す。
確かに薬作りと似ている。
煎じる。
抽出する。
成分を活かす。
興味が湧かないはずがなかった。
「今日は由美さんの家で草木染め」
「はい」
即答だった。
由美の家へ向かう。
庭にはすでに人が集まっていた。
真紀。
源蔵。
魚屋のおじさん。
なぜかいる。
「魚屋さんも染めるんですか」
「毎年やってるぞ」
意外だった。
そして。
由美が得意げに言う。
「今日はハンカチを染めます!」
机には真っ白な布が並んでいた。
何の色もない。
それが。
植物の力で色付く。
なんだか不思議だった。
まずは玉ねぎの皮を煮る。
鍋の中で、
黄金色の液体が生まれていく。
「綺麗です」
思わず見入る。
源蔵が笑う。
「薬草を煎じる時と同じ顔してるぞ」
「そうですか」
「そうだ」
リツカは少し恥ずかしくなる。
だが。
やはり楽しい。
植物の色が溶け出していく様子は、
まるで魔法だった。
そして。
布を染液へ入れる。
ゆっくり。
丁寧に。
しばらく待つ。
取り出す。
白かった布は、
柔らかな山吹色になっていた。
「……」
リツカは目を見開く。
「すごい」
本当に。
ただの葉や皮だったものが、
こんな色になるなんて。
由美が笑う。
「でしょ?」
「はい」
その後も。
よもぎ。
びわの葉。
桜。
様々な植物を試す。
同じ植物でも。
染める時間で色が変わる。
布によっても変わる。
それが面白かった。
気付けば。
リツカは夢中になっていた。
その時。
「リツカちゃん」
由美が小さな毛糸玉を持ってくる。
真っ白な毛糸だった。
「これも染めてみる?」
「毛糸」
「うん」
リツカは毛糸を見つめる。
柔らかい。
温かい。
そして。
ふと思い出した。
奈緒が以前見せてくれた編み物。
手袋。
マフラー。
帽子。
「染めたら」
由美が言う。
「自分で編めるよ」
「編む」
その言葉に、
リツカの目がさらに輝いた。
源蔵が苦笑する。
「また新しい沼だな」
「沼?」
「気にするな」
奈緒は笑いを堪えていた。
確かに。
薬草。
草木染め。
編み物。
全部好きになりそうだった。
夕方。
染め上がったハンカチが風に揺れている。
山吹色。
若草色。
薄い桜色。
どれも優しい色だった。
リツカは自分の染めたハンカチを見つめる。
少しだけ歪んでいる。
色むらもある。
けれど。
世界に一枚だけだった。
自分の手で作ったもの。
そのことが嬉しかった。
風が吹く。
染めた布が揺れる。
その光景を見ながら、
リツカは静かに微笑んだ。
そして数日後。
由美は本当に毛糸を持って来る。
しかも大量に。
リツカは人生で初めて、
「編み物」という終わりの見えない楽しさに出会うことになる。




