第六十五日目
五月五日。
朝。
薬局は休みだった。
「休みですか」
朝食の席でリツカは少し驚いた。
「祝日だからね」
奈緒が味噌汁を飲みながら答える。
「しゅくじつ」
聞き慣れない言葉だった。
「特別な日」
「祭りのようなものですか」
「近いかな」
奈緒は少し考えてから頷いた。
「今日は子どもの日」
子どもの日。
名前は分かりやすかった。
だが。
なぜ子どもの日なのかは分からない。
その答えは、
昼過ぎにやって来た。
縁側。
五月の風が気持ち良い。
庭の若葉が揺れている。
風鈴が小さく鳴った。
ちりん。
ちりん。
その時。
「お待たせぇ」
フミが大きなお盆を持って現れた。
湯気の立つお茶。
そして。
葉っぱに包まれた丸いもの。
「これは?」
リツカは首を傾げた。
フミが嬉しそうに笑う。
「柏餅だよぉ」
柏餅。
初めて聞く名前だった。
渡される。
手のひらに乗る。
少し重い。
そして。
リツカは食べない。
観察する。
葉を見る。
裏を見る。
葉脈を見る。
匂いを嗅ぐ。
奈緒が笑い始めた。
「始まった」
「何がですか」
「薬師の癖」
フミまで笑っている。
リツカは真剣だった。
知らない植物だったからだ。
「薬効はありますか」
奈緒が吹き出した。
「まず食べようか」
その言葉に、
ようやく葉を開く。
ふわり。
甘い香りが広がった。
白い餅。
中には餡。
一口食べる。
もぐ。
しばらく沈黙。
そして。
「甘いです」
フミが満足そうに頷いた。
「でしょぉ」
柔らかい餅。
優しい甘さの餡。
五月の風とお茶によく合った。
リツカはもう一口食べる。
そして。
手元の葉を見る。
やはり気になった。
「なぜ葉で包むのですか」
フミは柏の葉を一枚持ち上げる。
「柏の木ってねぇ」
「はい」
「新しい葉が出るまで、古い葉が落ちないんだよ」
リツカは少し驚く。
珍しい木だった。
フミは優しく続ける。
「だからね」
「家族が続くように」
「子どもたちが元気に育つように」
「そんな願いを込めるんだよ」
五月の風が吹いた。
庭の木々が揺れる。
リツカは柏の葉を見つめる。
ただのお菓子ではない。
願いが包まれている。
そんな気がした。
その時。
わふ。
ハクが縁側へやって来た。
鼻をひくひくさせる。
柏餅を見る。
じっと見る。
「食べられません」
わふ。
少し残念そうだった。
奈緒が笑う。
「ハクも子どもの日だから特別なおやつもらおうか」
その言葉に。
ハクの耳がぴくりと動いた。
完全に理解したらしい。
犬は賢かった。
縁側に笑い声が広がる。
青空の下。
若葉の匂い。
風鈴の音。
柏餅の甘さ。
子どもたちの健やかな成長を願う日。
リツカは静かに思う。
この国の人々は、
季節の中に願いを込めて生きている。
それは魔法ではない。
けれど。
とても優しい祈りだった。
そしてその夕方。
川の方から、
奈緒が声をかけてくる。
「リツカ、散歩行こうか」
「どこへですか」
奈緒は空を指差した。
「空を泳ぐ魚を見に」
意味が分からなかった。
とても。




