第六十日目②
田植えが終わった。
全員泥だらけだった。
特に。
リツカとハク。
圧倒的だった。
由美が笑いながら言う。
「二人ともすごいことになってるよ」
リツカは自分の袖を見る。
茶色だった。
元の色が分からない。
「確かに」
認めざるを得なかった。
ハクも同じだった。
白い毛並みはどこへ行ったのか。
今は泥色である。
「洗わなきゃねぇ」
由美の夫が言う。
田んぼの脇には水道があった。
長いホースもある。
「便利ですね」
リツカは感心する。
魔法がなくても、
水を運べる道具がある。
この世界は面白い。
その時。
ハクがホースを見た。
そして。
首を傾げた。
嫌な予感がした。
奈緒も気付いた。
「待って」
しかし。
遅かった。
ジャーッ!
勢いよく水が出る。
「わふっ!?」
ハクが飛び上がった。
人生最大級の驚きだった。
見えない蛇が突然襲ってきたような顔をしている。
全員が吹き出した。
ハクは後ろへ飛ぶ。
ホースは追いかける。
もちろん追いかけてはいない。
ただ水が出ているだけだ。
しかしハクにはそう見えない。
「わふっ!」
逃げる。
「わふっ!」
振り返る。
「わふっ!!」
また逃げる。
完全に戦っていた。
奈緒は笑いを堪えながら叫ぶ。
「ハク!敵じゃない!」
わふっ!
聞いていない。
むしろ。
ハクは決意した。
倒すしかない。
一直線に突撃する。
「やめて!」
リツカが叫ぶ。
しかし。
がぶっ。
ホースを噛んだ。
その瞬間。
水の向きが変わる。
ビシャアアアッ!
「きゃあ!」
由美が悲鳴を上げる。
魚屋のおじさんも濡れる。
真紀も濡れる。
源蔵も濡れる。
なぜか全方向へ飛んだ。
田植えより賑やかだった。
そして。
リツカにも水がかかる。
冷たい。
気持ち良い。
一瞬だけ笑う。
その時。
ハクがこちらを見た。
楽しそうだった。
非常に楽しそうだった。
次の瞬間。
全力で走ってくる。
「?」
びしゃびしゃの犬が。
全力で。
「待ってください」
間に合わない。
どーん。
激突。
リツカがよろける。
そして。
ずるっ。
「あ」
本日二回目。
転倒。
今度は水たまりだった。
静寂。
そして。
大爆笑。
奈緒はしゃがみ込んでいる。
由美は涙を流している。
真紀は呼吸困難だった。
源蔵は空を見上げていた。
笑いすぎである。
リツカは起き上がる。
全身びしょ濡れ。
泥は落ちた。
代わりに水浸しだった。
隣にはハク。
やはりびしょ濡れ。
二人は見つめ合う。
「綺麗になりました」
わふっ。
ハクは満足そうだった。
確かに綺麗になった。
方法はともかく。
その帰り道。
夕陽に照らされながら、
奈緒が何気なく言う。
「もうすぐゴールデンウィークだね」
「ごーるでん?」
リツカが首を傾げる。
奈緒が笑う。
「また日本の行事」
「楽しそうです」
「たぶんね」
そしてリツカはまだ知らない。
数日後。
人生で初めて見る、
鯉のぼりの大群に圧倒されることを。




