第九日目
それから。
リツカは週に何度か、
佐倉漢方堂へ通うようになった。
店番をするわけではない。
薬を売るわけでもない。
ただ。
源蔵の隣で話を聞く。
薬草を学ぶ。
帳面を読む。
それだけだった。
けれど。
リツカにとっては大切な時間だった。
「これは乾燥させる前の方が香りが強い」
「なるほど」
「こっちは胃の調子を整える」
「面白いです」
源蔵は笑う。
薬草の話をしている時のリツカは、
本当に楽しそうだった。
そして。
その様子を町の人たちも見るようになる。
小さな町だった。
誰がどこへ行くか。
何をしているか。
自然と伝わる。
ある日の午後。
店に常連のおばあさんがやって来た。
「源蔵さん」
「おう」
「最近肩が重くてねぇ」
いつもの世間話。
源蔵が話を聞く。
リツカも隣で聞いていた。
すると。
ふと気付く。
「夜は眠れていますか」
おばあさんが驚く。
「どうして分かったの?」
「目の下が少し」
リツカが答える。
「あと肩だけではなく首も張っています」
源蔵が目を細める。
おばあさんは苦笑した。
「その通りだよ」
源蔵が笑う。
「よく見てるな」
リツカは首を傾げる。
薬師としては普通だった。
だが。
源蔵は違うと思っていた。
症状を見る。
生活を見る。
話を聞く。
それは薬を売るだけではできない。
人を見る力だった。
そして。
その噂はまた少しずつ広がる。
『源蔵さんのところにいる娘さん』
『人を見るのが上手』
『話を聞いてくれる』
町の人たちはそう言い始めた。
リツカ本人は知らない。
相変わらずだった。
薬草の本を読み。
文字を覚え。
海を見て。
ハクと散歩する。
ただそれだけ。
ある日の帰り道。
夕暮れ。
海風。
商店街の灯り。
リツカは源蔵から借りた本を抱えて歩いていた。
その時だった。
「リツカちゃん」
呼び止められる。
振り返る。
若い女性だった。
見覚えがある。
薬局へ来たことがある人だ。
「はい」
女性は少し言いにくそうに笑う。
「相談っていうほどじゃないんだけど」
「相談」
リツカは立ち止まる。
女性は続けた。
「最近あんまり眠れなくて」
春の風が吹く。
リツカは静かに話を聞く。
すぐに答えない。
まず聞く。
どんな時間に寝るのか。
何か心配事はあるのか。
食事は取れているか。
女性は少しずつ話し始める。
十分ほど経った頃。
表情が少し柔らかくなっていた。
「なんか」
女性が笑う。
「話したら楽になった」
リツカは少し驚く。
何もしていない。
薬も渡していない。
ただ聞いただけだ。
けれど。
女性は嬉しそうだった。
「ありがとう」
そう言って帰っていく。
夕暮れの道に一人残る。
リツカは空を見上げた。
茜色。
飛ぶ鳥。
遠くの海。
そして。
胸の奥に浮かぶ一つの気持ち。
薬師は薬を作る人だと思っていた。
けれど。
それだけではないのかもしれない。
話を聞くこと。
寄り添うこと。
気付くこと。
そういうことも、
薬師の仕事だったのかもしれない。
夕陽が海へ沈んでいく。
その光を見ながら、
リツカは静かに歩き出した。
自分がこの町でできること。
それはまだ小さい。
けれど。
確かにここにある。
そんな気がしていた。




