第六日目
翌日。
朝から空は晴れていた。
海から吹く風も心地良い。
リツカはいつものように、
フミの手伝いをしていた。
洗濯物を干し。
食器を片付け。
文字の練習をする。
少しずつ。
この家での暮らしが日常になってきていた。
昼前。
奈緒が薬局から電話をかけてきた。
「リツカいる?」
「おります」
電話越しに聞こえる奈緒の笑い声。
最初は電話にも驚いていた。
今では少し慣れた。
「午後、ちょっと薬局まで来られる?」
「はい」
「紹介したい人がいるんだ」
「紹介?」
「うん」
それだけ言って電話は終わった。
リツカは首を傾げる。
誰だろう。
午後。
リツカは薬局へ向かった。
商店街を抜ける。
八百屋のおじさんが手を振る。
「薬屋さん!」
「はい?」
もう呼ばれていた。
噂は本当に速い。
少しだけ恥ずかしい。
薬局へ着く。
自動ドアが開く。
やはり少し驚く。
まだ完全には慣れない。
受付には真紀がいた。
「待ってたよ」
「こんにちは」
「奥にいる」
リツカは案内される。
相談室の扉。
中へ入る。
そこには奈緒と、
見慣れない男性がいた。
七十代くらい。
背筋が伸びている。
白髪。
穏やかな目。
そして。
どこか薬草の香りがした。
リツカの目が少し見開く。
その香りは知っている。
乾燥させた植物。
根。
葉。
樹皮。
薬を扱う人の匂いだった。
男性が微笑む。
「君がリツカさんか」
「はい」
「初めまして」
男性は頭を下げた。
「私は佐倉源蔵」
奈緒が補足する。
「町の漢方薬店の店主さん」
漢方。
その言葉に、
リツカの表情が変わった。
薬。
この世界にも。
薬草を扱う人がいる。
源蔵はその変化に気付いたらしい。
少し笑った。
「興味がある顔だ」
リツカは素直に頷く。
「あります」
即答だった。
奈緒が吹き出す。
源蔵も笑う。
「良い返事だ」
机の上には小さな包みが並んでいた。
乾燥した葉。
刻まれた根。
見たことのない植物。
見覚えのある形もある。
リツカは思わず近付いた。
手に取る。
香りを確かめる。
目が真剣になる。
完全に薬師の顔だった。
奈緒は初めて見る表情に少し驚く。
源蔵は嬉しそうだった。
「好きなんだな」
「はい」
迷いのない返事。
源蔵は頷く。
「実はな」
そう言って、
一冊の古い本を取り出した。
植物図鑑だった。
分厚い。
何度も読まれた跡がある。
「店を継ぐ者がおらん」
静かな声だった。
「だから最近は寂しくてな」
リツカは黙って聞く。
「奈緒さんから話を聞いた」
源蔵は微笑む。
「薬草が好きな娘がいると」
リツカの胸が少し熱くなる。
好き。
その言葉を、
久しぶりに聞いた気がした。
薬師として生きていた頃は、
仕事だった。
責任だった。
義務だった。
けれど。
本当は好きだった。
薬草も。
学ぶことも。
人を助けることも。
源蔵が言う。
「今度、店に来るか?」
「!」
リツカの目が輝く。
まるで子どものようだった。
「行きます」
即答。
奈緒が笑いを堪えている。
源蔵も大笑いした。
「そんなにか」
「はい」
本当に嬉しかった。
この世界にも。
薬を学ぶ場所がある。
薬草を語れる人がいる。
もしかしたら。
自分の知識も。
経験も。
完全には無駄ではないのかもしれない。
その小さな希望が、
胸の中で静かに芽吹き始めていた。
そして数日後。
リツカは源蔵の店で、
この世界の薬草と出会うことになる。
それは薬師としての人生が、
再び動き始める日だった。




