第五日目 ④
薬局を出ると、
春の日差しが町を明るく照らしていた。
空は青い。
風は穏やか。
どこかの家の庭では、
洗濯物が揺れている。
「気を付けて帰るんだよー」
薬局の入り口から真紀が手を振る。
「はい」
リツカも頭を下げる。
奈緒は午後の仕事があるため、
薬局に残ることになった。
「まっすぐ帰るんだよ」
「分かっています」
その返事に少し不安を覚えながら、
奈緒は見送った。
リツカは商店街を歩く。
魚屋。
八百屋。
パン屋。
知っている店が増えていた。
「こんにちは」
「こんにちは」
自然に挨拶が交わされる。
その途中。
小さな公園の前を通りかかった。
子どもたちの笑い声。
ブランコが揺れる音。
鬼ごっこをする足音。
リツカは少し立ち止まった。
見ていて楽しかった。
異世界にも子どもはいた。
けれど。
薬師として働き始めてからは、
こうして眺める機会は少なかった。
ふと。
視線が一人の男の子に止まる。
五歳くらい。
砂場で遊んでいる。
他の子たちと同じように見える。
だが。
何か違和感があった。
リツカは目を細める。
顔色。
汗。
動き。
そして呼吸。
男の子は元気に見える。
しかし。
時折、
苦しそうに息を吸っていた。
少し肩が上下している。
遊び疲れただけだろうか。
リツカはしばらく観察した。
男の子は立ち上がる。
走る。
笑う。
けれど。
数歩走ったところで足が止まる。
そして。
小さく咳をした。
一回。
二回。
胸を押さえる。
ほんの一瞬。
普通の人なら見逃す程度だった。
だが。
リツカは気付いた。
薬師だった頃。
病の初期症状を見逃さないことは、
命に関わる仕事だった。
男の子の母親は近くで話をしている。
気付いていない。
リツカは迷った。
ここは異世界ではない。
勝手に口を出して良いのだろうか。
しかし。
男の子が再び咳き込む。
今度は少し長かった。
そして顔が赤い。
熱か。
あるいは別の症状か。
リツカは静かに近付いた。
「こんにちは」
男の子が顔を上げる。
「こんにちは」
元気そうな声。
だが、
呼吸は少し浅い。
「大丈夫ですか」
「うん?」
男の子は首を傾げた。
その時。
また咳が出る。
コン、コン。
リツカの表情が少し変わる。
やはりおかしい。
母親もようやく気付いたらしい。
「どうしたの?」
駆け寄ってくる。
リツカは少し迷ったあと、
静かに言った。
「今日は少し休ませた方が良いかもしれません」
母親が驚く。
「え?」
「顔色が良くありません」
母親は息子の額に手を当てる。
そして。
表情が変わった。
「熱い……」
どうやら本当に熱があったらしい。
男の子は首を傾げている。
遊びに夢中で気付いていなかったのだ。
母親は慌てて立ち上がる。
「ありがとう」
「いえ」
男の子は少し残念そうだった。
「まだ遊びたい」
「今日はお休み」
母親が苦笑する。
リツカも少し笑った。
元気そうで良かった。
大事にはならなさそうだ。
親子は帰っていく。
その背中を見送りながら、
リツカは静かに立っていた。
春風が吹く。
花壇の花が揺れる。
そして。
ふと気付く。
自分は今、
自然に誰かを助けようとしていた。
薬師だったから。
それが当たり前だったから。
この世界では役に立たないと思っていた。
けれど。
違うのかもしれない。
知識は消えていない。
経験も消えていない。
薬は作れなくても。
誰かの異変に気付くことはできる。
その時だった。
「やっぱり」
後ろから声がした。
振り返る。
そこには、
買い物帰りの由美が立っていた。
にこにこしている。
嫌な予感がした。
「リツカちゃん」
「はい」
「今の見てたわよ」
由美の笑顔がさらに深くなる。
「町のみんなに教えなきゃねぇ」
リツカはまだ知らない。
明日には、
『公園で子どもを助けた優しい娘さん』
という噂が、
星波町中に広がっていることを。




