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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第三百五十日目

二月も終わりに近づいた休日。


「今日は少し歩こうか。」


朝食のあと、


奈緒がそう言った。


「散歩ですか?」


「うん。」


「春を探しに。」


リツカは小さく首をかしげた。


「春は……探すものなのですか?」


奈緒は笑う。


「探そうと思うとね。」


「意外とあちこちに隠れてるんだ。」



土手へ続く道を歩く。


空は淡い青色。


冬の高い空とは少し違う。


日差しも、


どこか柔らかくなっていた。


川では、


鴨たちがゆっくり流れに身を任せている。


風が吹く。


冷たい。


でも、


頬を撫でる風は、


少しだけ丸くなっていた。


「風が違います。」


リツカがぽつりと言う。


「分かる?」


奈緒は嬉しそうに振り返った。


「はい。」


「冬は空気だけでした。」


「でも今日は……。」


リツカは目を閉じる。


深く息を吸う。


「土の匂いがします。」


「草も。」


「少しだけ水の匂いも。」


奈緒は何も言わず、


静かに微笑んだ。



その時だった。


「ホーホケキョ。」


どこからか、


澄んだ声が聞こえてくる。


リツカは足を止めた。


「……?」


もう一度。


「ホーホケキョ。」


「鳥ですね。」


「うん。」


「うぐいす。」


「春を知らせる鳥なんだ。」


リツカは辺りを見回す。


けれど姿は見えない。


「見つかりません。」


「声だけ聞こえることも多いんだ。」


奈緒が笑う。


「だから、


みんな耳で春を見つける。」


耳で春を見る。


不思議な言葉だった。


けれど、


少しだけ意味が分かった。



さらに歩くと、


土手の斜面で、


みーちゃんがしゃがみ込んでいた。


「あっ!」


「リツカさん!」


「見つけたよ!」


小さな手が指差した先。


茶色い土の間から、


細い緑が何本も伸びている。


「これは?」


「つくし!」


みーちゃんは一本抜いて見せる。


帽子をかぶったような、


小さな姿。


リツカは思わず笑った。


「かわいいですね。」


「春の兵隊さんみたいです。」


「兵隊さん?」


奈緒が笑う。


「なるほど。」


「確かに先頭を歩いてるみたい。」



その帰り道。


土手一面に、


黄色い花が揺れていた。


「菜の花だ。」


奈緒が言う。


風が吹くたび、


黄色い波がゆっくりと揺れる。


その景色を見て、


リツカは立ち止まった。


「世界が……。」


「明るくなっています。」


冬は、


白と茶色が多かった。


けれど今は、


黄色。


白。


淡い緑。


少しずつ、


色が増えていく。


「春ってね。」


フミが菜の花を見つめながら話す。


「ある朝突然来るんじゃない。」


「毎日少しずつ、


世界に色を足してくれるんだ。」


リツカは静かに頷いた。


桜は、


まだ咲いていない。


でも、


春はもう、


町じゅうに小さな色を置いて歩いている。


帰り道。


ハクが菜の花の匂いを嗅ぎ、


くしゃみをした。


「ふふっ。」


みーちゃんが笑う。


「ハクも春を見つけたね。」


リツカも笑った。


春は、


花だけではない。


風にも。


鳥の声にも。


土にも。


人の笑顔にも、


少しずつ訪れていた。


夕暮れ。


家へ戻ると、


縁側に西日が差し込んでいた。


その光は、


冬より少し長く庭を照らしている。


リツカは縁側へ腰を下ろし、


今日見つけた春を一つずつ思い返した。


梅。


福寿草。


ふきのとう。


うぐいす。


つくし。


菜の花。


そして、


みんなの笑顔。


「春は……。」


小さくつぶやく。


「探すものではなく、


気づくものなのかもしれません。」


その言葉を聞いた奈緒は、


湯のみを置きながら穏やかに笑った。


「うん。」


「リツカも、この町の春が分かるようになったね。」


リツカは少し照れながら笑う。


異世界で育った自分が、


この町の季節を感じられるようになった。


そのことが、


何よりもうれしかった。


庭の梅は、


もう半分ほど花を咲かせていた。


桜の季節まで、


あと少し。


その日を待つ時間さえ、


愛おしく思えた。

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