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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第三百二十二日

どんど焼きから数日が過ぎた。


朝。


リツカはいつものように縁側で湯のみを両手に包んでいた。


今日は温かなほうじ茶。


湯気がゆらゆらと立ち上り、


冷えた空へ溶けていく。


庭では、


ハクが雪の残る場所をくんくんと嗅いでいた。


「まだ寒いですね。」


リツカが肩をすくめると、


フミが笑った。


「そうだねぇ。」


「でもね。」


「ちょっと庭を見てごらん。」



リツカは庭へ降りた。


霜柱がまだ残る土。


吐く息は白い。


春なんて、


まだずっと先のように思える。


けれど。


「……あ。」


梅の木だった。


枝の先に、


小さな白い花が一輪だけ咲いている。


「咲いてる……。」


ほんの一輪。


それでも、


凛と空を見上げるように咲いていた。


「梅だよ。」


フミがゆっくり歩いてくる。


「桜よりずっと早く咲く花。」


リツカは花へ顔を近づけた。


ふわり。


やさしく甘い香りがした。


「いい香りです。」


「春の匂い……。」


フミは嬉しそうに頷く。


「梅はね。」


「寒い冬の中でも、


『もうすぐ春ですよ』って教えてくれる花なんだ。」



リツカは空を見上げる。


雲はまだ冬の色。


風も冷たい。


けれど、


枝には小さな蕾がたくさん付いていた。


一輪だけではない。


みんな、


咲く日を待っている。


「桜に似ていますね。」


リツカが言う。


「似てるけど、


少し違うかな。」


奈緒も庭へ出てきた。


「桜はみんなで一斉に咲くでしょう?」


「梅はね。」


「一輪ずつ、


ゆっくり咲いていくんだ。」


リツカはもう一度、


その一輪を見つめた。


急がない。


競わない。


自分の時が来たら、


静かに咲く。


その姿は、


どこか薬草にも似ていた。


芽吹く時期は、


草それぞれ違う。


でも、


どの命にもちゃんと季節がある。



その日の午後。


薬局へ向かう途中、


町のあちこちで梅を見かけた。


神社の境内。


公民館の庭。


学校の校門。


どれも、


まだ数輪だけ。


だからこそ、


見つけるたびに嬉しくなる。


「あっ。」


みーちゃんが走ってくる。


「リツカさん!」


「梅、見つけた!」


小さな手が指差す先にも、


赤い梅が咲いていた。


「本当ですね。」


二人で花を見上げる。


「桜もきれいだけど。」


みーちゃんが言う。


「私は梅も好き。」


「どうしてですか?」


「だってね。」


みーちゃんは笑った。


「一番最初に春を見つけた気がするから。」


その言葉に、


リツカは優しく微笑む。


一番最初に、


春を見つける。


それは、


花を見ることではなく、


季節を感じる心を見つけることなのかもしれない。


帰り道。


冷たい風が頬をなでる。


けれど、


その風はほんの少しだけ、


冬より柔らかくなっていた。


リツカは目を閉じ、


深く息を吸う。


「風の匂いが……。」


「変わりました。」


奈緒は隣で頷く。


「うん。」


「春はね。」


「いつも気づかないうちに近づいてくるんだ。」


リツカは空を見上げた。


春はまだ遠い。


でも、


もう迷ってはいない。


ちゃんと、


こちらへ歩いて来ている。


そのことが、


なんだかとても嬉しかった。

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