第三百十五日
一月も半ばを迎えた朝。
空は青く晴れ渡り、
頬を刺すような冷たい風が吹いていた。
「今日はどんど焼きの日だよ。」
奈緒は玄関に飾ってあったしめ飾りを丁寧に外した。
「これも持って行くんですか?」
リツカが尋ねる。
「うん。」
「一年間ありがとう、って感謝してお返しするんだ。」
リツカは両手でしめ飾りを受け取る。
稲わらの香りが、
かすかに残っていた。
◇
河原では、
町の人たちが竹を組み上げていた。
高く積まれた竹のまわりには、
正月飾りや書き初めが静かに集められている。
子どもたちは少し離れた場所で遊びながらも、
火が入る瞬間を待ちきれない様子だった。
「今年もよろしくお願いします。」
「あけましておめでとう。」
顔を合わせるたび、
笑顔が広がる。
リツカは腕に抱えたしめ飾りを見つめた。
「少し……寂しいですね。」
奈緒はその言葉に微笑む。
「そう思う?」
「はい。」
「せっかく飾ったのに、
燃やしてしまうなんて。」
奈緒は空を見上げた。
「だからね。」
「燃やして終わりじゃないんだよ。」
「神様を空へお送りして、
また来年も来てもらえるように願うんだ。」
「終わりじゃなくて、
見送るんだね。」
フミが穏やかに言葉を添えた。
リツカは静かに頷いた。
◇
やがて、
火が入る。
ぱちっ。
乾いた竹が音を立てる。
炎はゆっくりと立ち上がり、
やがて空へ向かって大きく伸びていく。
ぱちぱち。
ぱんっ。
竹の節が弾けるたび、
子どもたちから歓声が上がった。
リツカは炎を見つめる。
赤い火。
黄金色の火の粉。
白い煙。
それらは風に乗って、
ゆっくり冬空へ昇っていく。
「きれい……。」
その言葉は、
炎だけではなく、
人々の祈りへ向けられていた。
◇
ふと、
リツカは自分の書き初めを思い出した。
半紙に書いた一文字。
『結』。
「書き初めも燃やすんですか?」
「うん。」
フミは頷く。
「字が高く舞い上がると、
字が上手になるって言われているんだよ。」
「本当ですか?」
「昔からの言い伝えだけどね。」
みーちゃんは嬉しそうに、
火の中へ自分の書き初めを入れた。
「あっ!」
白い半紙は炎に包まれ、
ふわりと黒い灰になって空へ舞い上がる。
「飛んだ!」
「今年は字が上手になるかな!」
その無邪気な声に、
周りの大人たちも笑顔になった。
リツカも静かに自分の書き初めを火へ託す。
『結』
その一文字は炎の中でゆっくりと燃え、
やがて白い煙となって冬の青空へ溶けていった。
「願いまで消えてしまう気がしませんか?」
リツカは小さく尋ねた。
フミは首を横に振る。
「願いは紙にあるんじゃないよ。」
「願った人の心の中にある。」
「だから紙は役目を終えても、
願いはちゃんと残るんだ。」
リツカは空を見上げた。
白い煙は風に乗り、
どこまでも高く昇っていく。
その姿は、
まるで新しい一年への手紙のようだった。
炎の温もりを背中に感じながら、
リツカはそっと胸に手を当てる。
今年もまた、
たくさんの人と笑い合える一年になりますように。
その願いはもう、紙ではなく、自分自身の中で静かに息づいていた。




