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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第三百七日目

七草がゆを食べた数日後。


冬晴れだった。


雲ひとつない青空が、


どこまでも高く続いている。


庭で洗濯物を干していた奈緒が、


空を見上げて言った。


「今日は風があるね。」


その言葉を聞いたみーちゃんは、


ぱっと顔を輝かせた。


「凧揚げ!」


「おばあちゃん、凧出して!」


フミは笑いながら押し入れを開ける。


「まだあったかなぁ。」


奥から取り出したのは、


少し色あせた紙の凧だった。


竹ひごで組まれた骨組み。


赤い糸。


真ん中には、


力強い墨文字で『福』と書かれている。


「手作りですか?」


リツカが尋ねる。


「うん。」


「奈緒が小学生の頃に、


おじいちゃんと一緒に作ったんだよ。」


奈緒は少し照れながら笑う。


「まだ残ってたんだ。」


「大事にしまってあったからね。」



近くの河川敷へ向かう。


冬の草は黄金色になり、


川面を渡る風が、


さらさらと枯れ草を揺らしていた。


「あっ!」


空には、


もう何枚もの凧が舞っている。


赤。


青。


白。


高い空を、


気持ちよさそうに泳いでいた。


「すごい……。」


リツカは思わず立ち止まる。


「あれは鳥ではないのですね。」


みーちゃんが笑った。


「凧だよ!」


「飛ばすんだよ!」



糸を持つ。


「最初は走るよ。」


奈緒が凧を持って立つ。


「いい?」


「はい。」


「せーの!」


リツカは走り出した。


冬の風が頬を抜ける。


後ろから、


奈緒の声が聞こえた。


「今!」


ふわり。


凧が風を受ける。


一度大きく揺れ、


また落ちそうになる。


「そのまま!」


「走って!」


リツカは夢中で走った。


そして。


すうっ。


凧が、


空へ吸い込まれるように昇っていく。


「上がった!」


みーちゃんが飛び跳ねた。


リツカも足を止める。


手の中の糸が、


ぴんと張っている。


見上げる。


青い空の中で、


『福』の文字が風に揺れていた。



「不思議です。」


リツカがぽつりと言う。


「何が?」


奈緒が隣に並ぶ。


「風は見えません。」


「でも……。」


糸を少し引く。


凧がふわりと向きを変えた。


「こうして空を見ると、


風がどこを流れているのか分かります。」


奈緒は少し驚いたあと、


穏やかに微笑んだ。


「本当だ。」


「風が見えてるみたい。」


リツカは空を見上げたまま続ける。


「薬も似ています。」


「薬そのものは小さいですが、


飲んだ人の笑顔を見ると、


ちゃんと届いたことが分かります。」


「風も、


薬も、


目には見えなくても、


誰かを支える力があるのですね。」


奈緒はその言葉を聞いて、


ゆっくりと頷いた。


「リツカらしい考え方だね。」



しばらくすると、


みーちゃんが糸を持ちたがった。


「交代!」


「落とさないようにね。」


「大丈夫!」


元気よく返事をした次の瞬間。


ぶわっ。


突風が吹いた。


「あーーっ!」


凧は大きく左右へ揺れる。


「みーちゃん!」


「糸をゆるめて!」


奈緒が声をかける。


リツカもすぐに後ろから手を添えた。


「少しだけ力を抜いてください。」


「はい!」


糸がふっとゆるむ。


すると凧は再び風をつかみ、


安定して空へ戻っていった。


「飛んでる!」


「まだ飛んでる!」


みーちゃんは満面の笑みで空を見上げる。


その笑顔につられて、


みんなも笑った。


冬の青空に舞う一枚の凧。


それは、


新しい一年への願いを乗せるように、


どこまでも高く、


高く昇っていった。


帰り道。


川沿いの柳の枝が、


風にゆっくり揺れていた。


リツカは空を見上げ、


静かにつぶやく。


「春も、


この風に乗って来るのでしょうか。」


フミは隣で微笑んだ。


「そうだね。」


「もう少ししたら、


風の匂いも変わってくるよ。」


リツカは目を閉じ、


深く息を吸った。


今はまだ、


冬の澄んだ匂い。


でもその奥に、


ほんの少しだけ、


新しい季節の気配が混じり始めているような気がした。

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