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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第三百九日目③

まだ夜が明ける前。


「リツカ。」


奈緒の優しい声で目が覚めた。


障子の向こうは、


まだ薄暗い。


時計を見ると、


朝六時前だった。


「眠い?」


「……少しだけ。」


リツカが正直に答えると、


奈緒はくすりと笑う。


「私も。」


その一言に、


二人で顔を見合わせて笑った。



温かい上着を羽織り、


手袋をはめる。


フミが魔法瓶に温かいほうじ茶を入れてくれた。


「寒くなるからね。」


「ありがとうございます。」


外へ出ると、


空気はきりりと冷えていた。


吐く息が、


白く夜空へ溶けていく。


町はまだ眠っている。


車も少なく、


聞こえるのは自分たちの足音だけ。


きゅっ。


きゅっ。


雪の残る道を踏みしめながら、


一行は近くの小高い丘へ向かった。



丘の上には、


すでに何人かの人が集まっていた。


毛布にくるまる家族。


温かい缶コーヒーを手にするおじいさん。


子どもを肩車するお父さん。


誰も大きな声では話さない。


みんな、


東の空を見つめている。


リツカも、


その中に並んだ。


空はまだ濃い藍色。


けれど、


地平線の近くだけが、


ほんの少し橙色に染まり始めていた。


「始まるよ。」


奈緒が小さくつぶやく。


リツカは息をのんだ。


ゆっくり。


本当にゆっくりと、


空の色が変わっていく。


藍色が、


紫へ。


紫が、


桃色へ。


そして、


金色へ。


「空が……。」


「色を変えています。」


その声は、


驚きよりも感動に近かった。



やがて。


地平線の向こうから、


小さな光が顔を出した。


ほんの少し。


それだけなのに、


世界が明るくなる。


「……。」


誰も話さない。


その場にいる全員が、


同じ朝を見つめていた。


太陽は少しずつ姿を現し、


冬の町を黄金色に染めていく。


雪も、


屋根も、


木々も、


やわらかな光をまとって輝いた。


「きれい……。」


リツカは、


それしか言えなかった。


異世界でも、


朝日は昇っていた。


けれど、


こんなふうに、


誰かと一緒に朝を待ったことはなかった。


太陽を見上げる人々。


笑顔。


静かな祈り。


そのすべてが、


新しい一年を迎える儀式のようだった。



「はい。」


フミが紙コップを差し出す。


温かなほうじ茶。


両手で包むと、


指先まで熱が伝わってくる。


一口飲む。


香ばしい香りが、


冷えた体へゆっくり染み渡った。


「おいしいです。」


奈緒も同じようにお茶を飲みながら、


太陽を見つめる。


「毎年見てるのにね。」


「毎年違って見えるんだ。」


リツカは頷いた。


きっと来年も、


同じ太陽が昇る。


でも、


自分は今日とは違う。


今日という日を生きた分だけ、


少しだけ変わっている。


それは、


桜を見た春も、


ひまわりが咲いた夏も、


焼きいもを囲んだ秋も、


雪で笑った冬も、


全部同じだった。


季節は巡る。


けれど、


人は同じ場所には戻らない。


一歩ずつ、


前へ進んでいく。


リツカは、


昇りきった太陽へ向かって、


胸の中でそっとつぶやいた。


「今年も……。」


「たくさんの人を、


笑顔にできますように。」


その願いは、


薬師としての願いであり、


一人の人間としての願いでもあった。


丘を吹き抜ける朝の風は冷たい。


それでも、


太陽の光は確かに温かかった。


新しい一年が、


静かに動き始める。

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