第三百九日目
百八つ目の鐘が、
静かに夜空へ消えていった。
誰かが小さく言った。
「明けましておめでとうございます。」
その一言をきっかけに、
境内のあちこちから、
同じ言葉が広がっていく。
「明けましておめでとう。」
「今年もよろしく。」
笑顔と笑顔が、
夜の中で交わる。
リツカも奈緒たちの後に続き、
小さく口を開いた。
「……あけまして、おめでとうございます。」
少したどたどしかったが、
その言葉には自然と笑みがこぼれた。
◇
お寺をあとにすると、
一行は神社へ向かった。
冬の夜道は静かだった。
雪がうっすらと残る石畳を、
ゆっくり歩いていく。
空気は冷たい。
けれど、
どこか晴れやかだった。
神社へ近づくにつれ、
提灯の灯りが見えてくる。
参道には屋台も並び、
甘酒や焼き団子の香りが漂っていた。
「あとで寄ろうね。」
みーちゃんが小声で言う。
奈緒が笑って頷く。
「ちゃんとお参りしてからね。」
◇
大きな鳥居の前で、
奈緒が立ち止まった。
「ここではね。」
「鳥居をくぐる前に、
一礼するんだよ。」
リツカも真似をして、
静かに頭を下げる。
鳥居をくぐると、
空気が少し変わった気がした。
冷たさは同じなのに、
どこか澄んでいる。
「神様のお家だからね。」
フミが穏やかに言う。
リツカは自然と背筋を伸ばした。
◇
手水舎では、
柄杓に水をくむ。
奈緒が一つひとつ教えてくれる。
「まず左手。」
「次に右手。」
「口をすすいで……。」
最後に柄を流す。
「きれいにしてから、
お参りするんだ。」
リツカも丁寧に真似をした。
冷たい水が手を流れる。
その冷たさが、
不思議と心まで澄ませてくれるようだった。
◇
拝殿の前。
長い列が、
静かに順番を待っている。
やがて、
リツカたちの番になった。
奈緒が小さな声で教える。
「お賽銭を入れて。」
「鈴を鳴らして。」
「二礼、二拍手、一礼。」
リツカはゆっくり頷く。
ちゃりん。
小さな音を立てて、
お賽銭が賽銭箱へ落ちる。
鈴を鳴らす。
澄んだ音が、
冬の夜へ響いた。
深く二度、
頭を下げる。
二度、
手を打つ。
ぱん。
ぱん。
その音は、
静かな境内によく響いた。
最後にもう一度、
深く礼をする。
目を閉じる。
願いごとは、
何にしよう。
異世界へ帰る方法。
それとも、
薬師としてもっと多くの人を助けられる力。
いくつもの思いが浮かんでは、
静かに消えていく。
そして最後に残ったのは、
とても小さく、
とても素直な願いだった。
「今年も……。」
「みんなが笑って過ごせますように。」
それだけだった。
目を開ける。
隣では、
奈緒も、
フミも、
由美も、
みーちゃんも、
穏やかな表情で手を合わせていた。
その姿を見て、
リツカは胸の奥が温かくなる。
◇
参拝を終えると、
みーちゃんが元気よく振り返った。
「お参り終わった!」
「じゃあ甘酒!」
「私は焼き団子!」
「おばあちゃんは温かいお汁粉かな。」
みんなが笑う。
奈緒がリツカを見て尋ねた。
「リツカは何が食べたい?」
屋台から漂う、
甘い香り。
香ばしい醤油の香り。
湯気。
笑い声。
新しい年の最初の景色。
リツカはゆっくりと微笑み、
答えた。
「みなさんと、
同じものを。」
奈緒は少し目を潤ませながら笑った。
「うん。」
「今年も一緒に、
たくさんおいしいものを食べよう。」
リツカは空を見上げる。
夜空には、
冬の星。
その向こうには、
自分が生まれ育った世界があるのかもしれない。
けれど、
寂しさはなかった。
今、
この場所にも、
自分の帰る家がある。
そう思えたから。
新しい一年が、
静かに始まった。
遠くで、
神社の鈴がもう一度鳴る。
その澄んだ音は、
リツカの新しい人生の始まりを祝福しているようだった。




