第二日目⑤
「——いた!!」
突然、
石段の下から声が響いた。
リツカがびくりと肩を揺らす。
見下ろすと、
奈緒が息を切らして立っていた。
「ハク!
また勝手に連れてったの!?」
ハクはしれっと座っている。
反省の色はない。
奈緒は石段を上がってくると、
額を押さえた。
「ごめん、
ちょっと目離した隙に……」
リツカは慌てて頭を下げる。
「い、いえ!
私がついて行ってしまって……」
「まあ、
ハクの案内なら帰れるけど」
奈緒は苦笑した。
どうやら、
本当に“案内犬”らしい。
ハクが見ていたその先には――
一匹の黒猫がいた。
黒い毛並み。
細い尻尾。
風を受けながら、悠々と座っている。
猫は逃げない。
ハクも吠えない。
まるで待ち合わせをしていたみたいに近づいていく。
「知り合い?」
リツカが聞く。
奈緒は肩をすくめた。
「たぶんね」
「たぶん?」
「神社にいる猫なんだけど」
「神社」
「ハクと妙に仲良いんだよ」
黒猫はちらりとこちらを見た。
そして興味なさそうに視線を戻す。
ハクだけが嬉しそうに尻尾を振っていた。
リツカは白い毛玉を見る。
ハクは誇らしげだった。
神社の境内には、
春の風が吹いている。
葉擦れの音。
鈴の音。
遠くで聞こえる電車。
穏やかな場所だった。
奈緒は鳥居の横へ腰を下ろす。
「ちょっと休も」
リツカも隣へ座った。
石段は少しひんやりしている。
眼下には、
星波町の景色が広がっていた。
青い海。
古い屋根。
細い線路。
ゆっくり動く二両編成。
それを見て、
リツカはぽつりと言う。
「……この町、
音が優しいです」
奈緒が隣を見る。
「音?」
「はい」
リツカは真剣に町を見つめていた。
「波の音も、
電車も、
人の声も……怖くないです」
その言葉に、
奈緒は少しだけ黙る。
リツカは時々、
不思議なくらい切実な顔をする。
まるで。
“怖くない”
こと自体が、
珍しいみたいに。
奈緒は何気ないふうを装って聞いた。
「前いた場所、
そんなに危なかったの」
リツカの指先が、
少しだけ止まる。
答えに困る。
本当のことなんて言えない。
戦。
疫病。
死。
薬師だった自分。
そんな話をしても、
きっと変な人だと思われる。
だから。
「……静かな場所は、
少なかったです」
それだけ答えた。
奈緒はそれ以上聞かなかった。
代わりに空を見上げる。
「まあ、
星波町は暇だからね」
「……いい町です」
即答だった。
奈緒が少し笑う。
「まだ二日目なのに?」
「二日目ですけど」
リツカは海を見る。
風が髪を揺らした。
「ご飯が温かくて、
風が気持ちよくて、
ハクさんが優しいので」
「最後、人じゃないんだ」
奈緒が吹き出す。
その笑い声に、
リツカも少しだけ笑った。
まだ知らないことばかりだ。
文字も読めない。
道も分からない。
この世界の仕組みも理解できない。
でも。
この町にいると、
少しだけ肩の力が抜ける。
そんな気がしていた。




