第三百四日目
餅つきが終わる頃には、
冬の陽射しが広場をやわらかく照らしていた。
「さて。」
フミが大きなお盆を運んでくる。
その上には、
つきたてのお餅が二つ。
丸く、
つやつやと光っている。
「これは食べないのですか?」
リツカが尋ねる。
奈緒は優しく首を振った。
「これは鏡餅になるんだよ。」
「かがみ……もち。」
聞き慣れない言葉を、
ゆっくり口にする。
◇
「ほら、触ってごらん。」
フミが笑いながら言う。
リツカは手を水でぬらし、
そっと餅に触れた。
まだほんのりと温かい。
指先でゆっくり丸く整えていく。
「思ったより難しいですね。」
少し力を入れると、
形が崩れてしまう。
「急がない、急がない。」
フミが手を添えた。
「優しく包むように。」
その一言で、
リツカの手つきが変わる。
丸い餅が、
少しずつ整っていく。
「できました。」
「上手、上手。」
みーちゃんが拍手をした。
◇
大きなお餅を下に。
少し小さなお餅を上に。
「どうして二つ重ねるのですか?」
奈緒は飾り台の上に、
そっと餅を置いた。
「昔の丸い鏡に形が似ているから、
『鏡餅』っていうんだよ。」
「鏡……。」
リツカは小さく頷く。
異世界でも、
鏡は真実を映す神聖な道具として扱われていた。
「それにね。」
フミが続ける。
「重ねるのは、
今年と来年が仲良く続いていきますようにって願いもあるんだ。」
今年と、
来年。
終わりと始まり。
別々ではなく、
つながっている。
その考え方が、
リツカにはとても美しく思えた。
◇
最後に、
奈緒がみかんを一つ持ってきた。
「これは?」
「橙。」
「代々っていう言葉と音が似ているから、
家族が代々元気でありますようにって願いを込めるんだよ。」
リツカは、
そっと橙を手に取る。
鮮やかな橙色。
冬の光を受けて、
やさしく輝いていた。
「願いも飾るのですね。」
その言葉に、
フミは目を細める。
「そうだよ。」
「お正月の飾りは、
みんな願いの形なんだ。」
しめ飾りも。
門松も。
鏡餅も。
「新しい年が、
良い一年になりますように。」
そんな願いが、
一つひとつに込められている。
◇
家へ戻ると、
床の間に白い布が敷かれた。
鏡餅を、
そっと中央へ置く。
みかんを載せる。
裏白の葉。
ゆずり葉。
小さな紙飾り。
すべてが整うと、
部屋の空気まで凛としたように感じられた。
リツカは静かに見つめる。
食べ物なのに、
食べない。
飾りなのに、
ただ飾るだけではない。
そこには、
目には見えない祈りが宿っていた。
◇
夕暮れ。
縁側から庭を眺める。
空気は冷たい。
けれど、
居間には鏡餅が静かに佇んでいる。
「リツカ。」
奈緒が湯飲みを差し出した。
「新しい年には、
どんな一年になるといい?」
突然の問いだった。
リツカは少し考え、
庭の雪景色を見つめる。
春には桜を見た。
夏には花火を見た。
秋には焼きいもを食べた。
冬には雪で遊んだ。
そして今、
新しい年を迎えようとしている。
ゆっくりと微笑み、
答えた。
「今年よりも、
たくさん笑える一年になると嬉しいです。」
奈緒は静かに頷いた。
「うん。」
「きっと、そうなるよ。」
鏡餅は何も語らない。
けれど、
その白く丸い姿は、
新しい一年への願いを、
静かに見守っているようだった。




