第三百日
クリスマスが過ぎると、
町の景色は少しずつ変わり始めた。
赤や金色の飾りは片づけられ、
店先には門松やしめ飾りが並ぶ。
薬局へ向かう道でも、
家の前を掃除する人の姿が目立つようになった。
「みなさん、お忙しそうですね。」
リツカが尋ねると、
奈緒は頷いた。
「もうすぐお正月だからね。」
「一年の終わりは、
みんな少し忙しいんだ。」
一年の終わり。
異世界では季節の区切りはあっても、
これほど大きな節目はなかった。
この国では、
新しい年を迎えることそのものが、
一つのお祝いなのだ。
◇
昼過ぎ。
薬局から帰ると、
フミが縁側で障子を外していた。
「おかえり。」
「今日は大掃除だよ。」
「大掃除……?」
「いつもの掃除より、
もう少し丁寧にね。」
奈緒が雑巾を差し出す。
「一年ありがとうって気持ちで、
家をきれいにするんだ。」
「ありがとう……。」
リツカは雑巾を見つめた。
家に、
ありがとう。
物に感謝する習慣は、
どこか薬師の考え方にも似ていた。
薬草を摘むときも、
師は必ず土に一礼していた。
命を分けてもらうことへの感謝。
この家もまた、
一年間、
家族を守り続けてくれたのだ。
◇
窓を拭く。
きゅっ。
きゅっ。
ガラスが少しずつ澄んでいく。
みーちゃんは背伸びをしながら、
低い窓を一生懸命磨いていた。
「見て!」
「ぴかぴか!」
窓の向こうの冬空まで、
いつもより青く見える。
「本当ですね。」
リツカも笑顔になる。
「光が違います。」
「きれいになると、
気持ちも明るくなるでしょう?」
奈緒の言葉に、
リツカは静かに頷いた。
◇
午後になると、
由美が脚立に上り、
高い棚を掃除していた。
「リツカさん、
そっちお願い。」
「はい。」
棚の上には、
古い木箱が一つ置かれていた。
慎重に下ろす。
「これは?」
「おじいちゃんの薬箱。」
フミが懐かしそうに微笑む。
木箱の表面は、
何度も手に触れられたのだろう。
角が丸くなっている。
中には、
古い乳鉢。
小さな薬さじ。
そして、
手書きの薬草の記録帳。
リツカはそっとページを開く。
整った文字。
薬草の名前。
効能。
煎じる時間。
「……。」
思わず見入ってしまう。
「昔はね。」
フミが静かに話し始めた。
「この町には病院が少なくて、
おじいちゃんが薬草でみんなを助けていたんだよ。」
リツカは記録帳を胸に抱いた。
異世界の薬師も、
この町の薬師も、
人を助けたいという願いは同じだった。
時代も、
世界も違う。
それでも、
薬を届ける心は変わらない。
そのことが、
なんだか嬉しかった。
◇
夕方。
掃除を終えた家には、
冬の夕日が差し込んでいた。
窓は輝き、
畳はほんのり金色に染まる。
「終わったー!」
みーちゃんが畳に寝転がる。
奈緒は笑いながら、
温かいほうじ茶を配った。
「お疲れさま。」
湯飲みを手にしたリツカは、
きれいになった部屋を見回した。
同じ家なのに、
少しだけ新しく見える。
「不思議です。」
「掃除をしただけなのに……。」
フミが優しく頷いた。
「新しい年を迎える準備ができたからだね。」
その言葉を聞いたリツカは、
ゆっくりと微笑んだ。
新しい年は、
突然始まるものではない。
迎えるために、
人が心も家も整える。
その積み重ねが、
この国の美しさなのだと、
少しずつ分かり始めていた。
そのとき、
外から威勢のいい声が聞こえてきた。
「おーい、奈緒ちゃん!」
近所のおじいさんが、
笑顔で手を振っている。
「明日は餅つきだからな!」
「朝九時、集会所だぞ!」
みーちゃんは勢いよく立ち上がった。
「やったー!」
「お餅つき!」
リツカは首をかしげる。
「餅を……つく?」
奈緒は楽しそうに笑った。
「明日のお楽しみ。」
「きっと、リツカもびっくりするよ。」
冬の夕暮れに、
どこからか杵で何かを打つような音が、
練習なのか、かすかに響いてきた。
新しい年は、
もうすぐそこまで来ていた。




