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魔法をなくした薬師  作者: 灯野 しおん


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第二百九十一日目

クリスマスの数日前。


まだ夜が明けきらない頃。


リツカは、いつもより早く目を覚ました。


しん――。


静かだった。


あまりにも静かで、


思わず耳を澄ませる。


風の音もない。


鳥のさえずりもない。


まるで、


世界が息をひそめているようだった。


「……?」


布団から起き上がり、


障子をそっと開ける。


薄青い朝の光が、


部屋へ流れ込んだ。


縁側へ出る。


思わず、


足が止まった。


「白い……。」


庭が、


真っ白だった。


柿の木も。


石灯籠も。


畑も。


屋根も。


世界中が、


白い布をそっと掛けられたように眠っている。


「初雪だねぇ。」


後ろから、


フミの優しい声が聞こえた。


湯気の立つ湯飲みを両手で包みながら、


縁側へ出てくる。


「これが……雪。」


リツカは、


空を見上げた。


灰色の雲から、


白い小さな欠片が、


ゆっくり、


ゆっくりと降りてくる。


一枚。


また一枚。


羽のように軽く、


風に身を任せながら。


リツカは、


そっと手を伸ばした。


ふわり。


掌に一片の雪が舞い降りる。


「……冷たい。」


次の瞬間には、


小さな雫になって消えていた。


「消えてしまいました。」


少し残念そうにつぶやく。


フミは微笑んだ。


「だからいいんだよ。」


「雪はね、


ずっと残らないから、


きれいなんだ。」


春に見た桜を思い出す。


咲いて、


散っていく花。


秋に見た紅葉を思い出す。


色づいて、


風に舞う葉。


そして冬は、


手の中で溶けていく雪。


どれも、


長くは残らない。


だからこそ、


人は季節を大切にするのかもしれない。


その時。


「リツカさーん!」


玄関が勢いよく開いた。


みーちゃんだった。


毛糸の帽子をかぶり、


首には、


フミが編んでくれた赤いマフラー。


「雪だよ!」


「早く早く!」


待ちきれない様子で、


庭へ飛び出していく。


きゅっ。


きゅっ。


雪を踏む音が響いた。


リツカは耳を傾ける。


「雪にも……音がある。」


「うん。」


奈緒が笑う。


「冬だけの音。」


リツカも、


そっと庭へ降りた。


一歩。


きゅっ。


また一歩。


きゅっ。


夏の砂とは違う。


秋の落ち葉とも違う。


雪だけが奏でる、


小さな足音だった。


みーちゃんが、


両手いっぱいに雪を集めて振り返る。


「リツカさん!」


「雪だるま作ろう!」


リツカは少し驚いた顔をする。


「雪で……人を作るのですか?」


「うん!」


「今日は先生にも教わるけど、


先に練習しよう!」


奈緒とフミは顔を見合わせて笑った。


「今日は薬局も少し遅く開けようか。」


「こんな日は、


雪を楽しまないともったいない。」


リツカは、


もう一度空を見上げる。


白い雪は、


静かに、


静かに降り続いていた。


この冬もまた、


新しい思い出を運んできてくれるように。

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